2012年12月29日土曜日

ダニエル・イノウエ

米国議会で最古参の上院議員ダニエル・イノウエ氏が死去した。イノウエ氏について知ったのは高校時代に交換留学で米国にいたときのこと。戦時中に敵国人として差別を受けていた日系2世の(当時の)若者たちが米国への忠誠を示すために軍に志願し、ヨーロッパでもっとも危険な戦地に送られた。この第422連隊に所属し、戦闘で右腕を失ったイノウエ氏は私が留学していた当時の日系人の若者(今ではいいおじさん、おばさんになっているだろう)の英雄で、その後カリフォルニアの州議会でインターンをやっていたときには日系人のスタッフのオフィスにイノウエ氏と一緒に撮った写真が飾られていた。日系人も私の世代は3世か4世で親や祖父母の世代に比べてパッとしないと(本人たちが)いう。それも裏を返せば差別が減り、ふつうに頑張ればよくなったからかもしれない。イノウエ氏の葬儀は元首級の扱いだったと聞くが、日系人初の上院議員となって半世紀勤め上げたイノウエ氏が米国の政治史に名を残すことは間違いないだろう。

2012年12月22日土曜日

韓国

久しぶりの韓国。釜山の空港はいつの間にかターミナルビルが建て替わり、町も高層ビルが立ち並んでいて、大学時代に来たときとはすっかり様変わりしていた。しかし変わっていたのは町の景色だけではない。空港から乗った韓国製のハイヤーは日本のそれをしのぐ快適さで、訪問先の財閥系企業が開発している製品は新規参入でありながら日本の同業の先を行く性能。日本企業がその地位を脅かされているのは電機業界だけではないようだ。今回訪問した韓国南部の地方都市はかつての日本の企業城下町を彷彿とさせる賑わいで、訪問先の企業には日本の同業を退職して移ってきた日本人もいた。同国は英語教育に力を入れていると聞いてはいたが、訪問した企業はTOEICで高得点をとらないと採用されないとかで、エンジニア職を含めて皆英語が流暢。久しぶりに乗った大韓航空も客室乗務員の英語力が格段に上がっていて、機内サービスを含めて日系の航空会社とはずいぶんと差がついてしまった。財閥支配による富の集中がいいとは思わないが、官民双方の合理的思考と意思決定のスピードは国際競争力をもつ上で欠かせない。最高学府を出た人たちが国の経済成長に関わる政策をリードしている点では日本も韓国やシンガポールと同じはず。それがなぜ“シロアリ官僚”などと揶揄される情けないことになってしまっているのか。また、政治主導でこうした状況を脱し、凋落に歯止めをかけられるのか。考えさせられる訪問となった。

2012年12月15日土曜日

国民的議論

選挙のときなどに政治家がよく使うこの言葉。もっともらしい響きだが、中国との“戦略的互恵関係”と同じくらい空疎に思える。政治家は政治をやるために国民から選ばれ、日本の場合、それを生業としている専業のプロのはず。従って一般の国民より多くの情報にアクセスがあり、知識も見識ももっていなければ困る。それが自ら判断することを避けて国民の議論に委ねるというのはいかがなものだろうか。今回の選挙でもセンシティブな争点についてこの言葉を持ち出して態度を明らかにしない政党があったが、つまるところははっきりしたスタンスもビジョンもないことの表れと理解した。それにしてもマスコミの選挙報道とは裏腹に、今回の選挙ほど結果が見えていて盛り上がらない選挙も珍しい気がする。現政権党は公約違反以外でも党首や閣僚選びに始まり、今回の選挙戦でのいわゆる“第三極”攻撃に至るまで、見事なまでのミスジャッジを繰り返し、想像しうる最短の期間で国民の信頼を失った。前政権党の負の遺産を引き継いだことや、いいこともやったことを差し引いても、あまりにお粗末。一度国民の支持を失った人がまた総理大臣になりそうな勢いだが、一度国民の信頼を失った政党が再び政権の座に返り咲くことはあるのだろうか。

2012年12月9日日曜日

総選挙

今回の総選挙では前回の選挙で国の無駄遣いをなくすことを公約しながらそれが十分に果たせていない現与党の大敗が予想されているが、こうした選挙を実施するために使われるお金にも無駄があるように思う。投票を呼びかけるポスターやCMだ。投票権は有権者の権利であり、その権利を行使するも放棄するも勝手なはず。積極的に権利行使をしてきた私でさえ、投票したい候補者がいなくて放棄したくなるときもある。それをなぜ国税でアイドル歌手を使ったポスターなど作るのか。若者の投票率を上げるためともっともらしい理由も聞かれるが、アイドル歌手のポスターを見て投票に行く気になった人がいたとして、その人の一票が熟考に熟考を重ねて一票を投じている人と同じ重みをもつというのはどんなものだろうか。また、こうしたPR活動が実際に投票率を上げているか検証されているのかも疑問。ただ政治家は立場上、投票率を上げるという目的には反対しづらいので、こうしたところにはなかなかメスが入らない気もする。

2012年12月1日土曜日

和栗のモンブラン

事務所近くのカフェが掲げる『銀座でいちばん美味しい和栗のモンブラン』の看板。通りがかるたびに「何を基準に“銀座一”を名乗る。そもそもここは赤坂だろう。」などと思っていたが、先日友人と昼食を食べた後に行ってみるとこれが実に美味。しかも一緒に注文したコーヒーがまた美味しかった(昼食代よりも高い1000円超えの値段にも驚いたが)。女性が一人でラーメン屋や牛丼屋に入りにくいというのと同じように、男が一人でスイーツを食べに行くのは気が引けるものと思っていたが、まわりを見回すと店の客の半分以上が背広姿のおじさんたち。自分もその中に十分に溶け込んでいると自覚しながら、「竹内さんも一人で来ても大丈夫ですよ」といわれてちょっと複雑だった…。

2012年11月24日土曜日

モスコミュール

どちらかといえば垢抜けない大学に通っていた私は社会人になるまでカクテルなるものを口にすることがほとんどなかった。そんな私がカクテルの奥深さを知ったのは後年会員となったゴルフクラブのチーフバーテンダーの渡邉さんが作ったモスコミュールを飲むようになってからだ。1933年生まれの現役最年長バーテンダーといわれ、日本ホテルバーメンズ協会(HBA)の特別功労賞を授与された重鎮である渡邉さんがバーカウンターの中で黙々と作るカクテルは大叩きをしたとき(といってもいつものこと)の憂ささえも吹き飛ばしてくれる絶妙の味だった。渡邉さんがいない日に頼むカクテルは材料も配合も同じはずなのにまったく別物で、何が味の違いを生み出すのか不思議でならなかった。ところがここ数カ月クラブのバーカウンターで渡邉さんの姿を見かけなくなり、最近のクラブの会報でお亡くなりになったことを知った。記事を読むと渡邉さんが作るモスコミュールに魅せられたのは私だけではなかったことがわかった。世の中に人の記憶に残る仕事ができる人はそれほど多くないだろう。あと何年あのゴルフクラブに通うかわからないが、ラウンド後にバーカウンターに行く度に渡邉さんのモスコミュールの味を思い出すことだろう。

2012年11月16日金曜日

士族

出張先の福山で高校時代の友人に会った。岡山の高校に通っていた彼とは同じ団体の派遣生としてカリフォルニア州に留学したことから知り合い、偶然同じ大学に進んだが、学部も違っていたのでその後付き合いが途絶えていた。ところがここのところ商用で毎月広島・岡山方面に行くようになり、ふと彼のことを思い出し、名前をグーグってみたところ、地元の福山に帰って司法書士をしていることがわかった。福山駅近くのニューキャッスルホテルのロビーで待ち合わせ、お昼を食べながら聞いたところでは、長年勤めた大手証券会社が不祥事を起こしたことをきっかけに退職し、それから司法書士の勉強を始めたのだという(相変わらずの努力家)。そして比較的自由がきく“士族”(“士”のつく国家資格の職業)の身なので、また来るときには声をかけてくれといわれた。考えてみればソーシャルメディアもやらない彼と再会できたのも、士族稼業を始めたことで同業のディレクトリーに載るようになったからで(本人は目立たず細々とやりたいのでウェブサイトも作っていないという)、彼がサラリーマンを続けていれば再び会うこともなかったかもしれない。

2012年11月10日土曜日

広島

「広島の人は外に出たがるから。」県庁で面談した人がいった。確かに東京で広島出身の人をよく見かけるし、神宮球場や横浜スタジアムに対広島戦の試合を見に行くと、結構な数の広島ファンが集まっていたりする(しかも応援が激しく、そんな人たちで埋め尽くされているであろう広島の球場はちょっと怖くて行かれない)。この県庁の人によると北海道の新千歳空港から札幌に向かう列車に乗っているときに通る北広島の町も広島からの移民がつくったのだという。そういえば私が高校時代の1年間を過ごした北カリフォルニアに住む日系人もそのほとんどが広島からの移民とその子や孫たちだった。広島は山陽道が通っているので昔から人の行き来が盛んだったという説を聞いたが、それなら岡山も条件は同じはず。何か県民性に由来するものがあるような気がする。国でいえば日本よりも韓国の方が外に出る人が多く、中東では同じアラブ系でもエジプト人は国を離れたがらないのに対して、レバノン人は外に出る人が多いという。経済状況や人口密度(耕地面積)といった要因もあるのだろうが、近隣の地域や国同士でもこうした違いが出てくるのは興味深い。

2012年11月4日日曜日

Sibos

大阪で行われた世界最大の金融業界の商談会。国内外の大手行が勢揃いしていずれ劣らぬ豪華なブースが立ち並ぶ。欧米の銀行はブースの中にカフェカウンターをつくって(中には本国からバリスタを連れて来ているところも)淹れたてのラテを振舞い、日系大手は日本庭園を仕立てたブースでお茶をたてたりきらびやかな打掛を飾ったり。夜のレセプションは市内の一流ホテルで豪華なバフェに舞台では舞妓さんの踊りや和太鼓のパフォーマンス。最終日には大阪城ホールを借り切っての一大パーティー。これでもリーマンショック後に地味になったというから驚く(かつてウィーンで行われたときには宮殿を借り切ったとのこと)。一方、関西のローカルニュースでは地元に本社を置く大手家電メーカーの業績不振が報じられ、投資銀行時代にそのうちの一社のCFOに同行してパリの機関投資家を訪問し、最高級レストランで接待したことを思い出した。お金を動かす人々と一円一銭を切り詰めてものを作る人々。自分がかつて身を置いていた業界が対極にあることを改めて思い起こした。

2012年10月28日日曜日

メイド・イン・ジャパン

久しぶりに見たNHKスペシャル。自分が取材を受けたこともあり、どのような出来上がりなのかが気になった。そもそも10年以上も前に辞めた会社のことをマスコミに話すのもどうかと思い、出張でほとんど東京にいないと伝えたが(これは事実)、出張先にでも出向くといわれ、結局逃げ切れずに?下関駅近くの喫茶店で会うことになった。実際に会って話をすると日本の大手メーカーのエンジニアが海外の競合に技術を売っていることも知っていて、窮すれば鈍するというネガティブスパイラルに陥った状況をよく理解しているようだった。私が入社した頃のソニーはひたすら市場シェアーを追って国内外で工場を新設し、ハードの販売に寄与するとの確信から大金をはたいてレコード会社に続いて映画会社を買収したが、こうした拡大主義、自前主義と独占の発想が、ソニーがデジタル時代の覇者になることを阻害したという考察は実に的を得ていると感じた。その後移った投資銀行でソニーの競合に出入りするようになり、そうした大手企業が自分たちが活かしきれないほど大量の理系学生を採用していることを知ったが、番組ではこうした大企業で思うような仕事ができない人たちが独立して起業している事例が紹介されていた。取材を受けている間、ポジティブなトーンでの番組作りをしたいという意図が感じられ、今の状況でそのようなことができるのだろうかと思ったが、実際に番組を見てみると私が業界との関わりを失ってから色々な動きがあって、必ずしも悲観することばかりではないと感じた。

2012年10月20日土曜日

汁なし担担麺

何年か前にテレビで四川省の本場の担担麺には汁がないと知り、一度食べてみたいと思っていたが、美味しい四川料理なら北京でも食べられるので、担担麺だけのために四川省に行くという気にはならなかった。ところが最近、やはりテレビで四川省風の汁なし担担麺が広島で食べられることを知った。広島県庁の人に同県が四川省と姉妹関係にあると聞いていたが、広島のラーメン屋の人が実際に四川省に行って作り方を学んできたというから本格的だ。さっそく面談の合間に行かれそうな店を4軒リストアップしてそのうち3軒をまわってみた(一杯の量が少ないのであって私が大食いというわけではない)。日本風の汁あり担担麺もそれはそれで美味しいが、山椒を効かせた汁なし担担麺も実に美味。冒険しない性格の私は広島に行くとようやく見つけた納得のいくお好み焼きの店にばかり行っていたが、今後は汁なし担担麺もローテーショーンに加わることになりそうだ。行った3店とも有名な店のようだが、そのうち1店だけインスタントのような食感の麺がゆですぎで歯ごたえがなかった。店内では大手ネットモールに出店したことを宣伝していて、以前チェーン展開を始めた当地の有名お好み焼き店で同じようながっかり感を味わったことを思い出した。やはり拡大主義とクオリティの維持は両立しづらいものなのか…。

2012年10月13日土曜日

重過失

福島原発の事故原因の究明が一向に進まないように見える(というか震災から1年半たってもまだ明確な説明が公にされていない)が、電力業界の知人によると同原発は電源が地中に置かれていたので2メートルの津波でもやられてしまう脆弱さだったという。そうした危険性の指摘は震災の前からされていて、東電の当時の経営陣もそのことを明確に認識していたのだそうだ。この事実が白日の下に晒されれば、経営陣の重過失(いわゆるグロースネグリジェンス)が明らかとなり、アメリカであれば刑務所行きだろう。しかしこの国ではなぜ、そうした事実すら明らかにされないのか。この業界関係者によればほかの原発で同じリスクをはらんでいるところは少ないそうだが(具体名をいわれたが忘れてしまった)、重大事故の原因や責任の所在すら明らかにされない国では信頼の回復などとうてい無理な話だろう。

2012年10月6日土曜日

光陰矢の如し

先週何年ぶりかで青森に行くことになり、当地に移り住んだ幼馴染に電話したところ、「あ、今週は四国に来てるんでだめ。」という思いもかけない返事。広島で働いている息子と旅行しているのだという。思えば大学時代に結婚した彼の息子はもう成人だ。「ミケーラが結婚することになった。」高校時代にホームステイしていたサクラメントの家族からのメール。ミケーラといえば私より一つ年下のその家の娘のそのまた娘。後年アメリカに遊びに行ったときに生後数か月の彼女を抱っこした記憶がある。あのときの赤ん坊がもう結婚とは…。サラリーマン時代に自分より一回り下の子たちが入社してきてずいぶんと歳をとってしまったものだなどと思ったものだが、今や二回り下の子だって成人しているし、私より一回り上の人は定年間近だ。こんなことが重なると、否が応でも歳をとっていくことがどういうことなのか実感せずにはいられない。

2012年9月29日土曜日

デフレの正体

先日『デフレの正体』の著者、藻谷浩介氏の講演を聞く機会があった。あまりテレビに登場しない氏だが、全国各地で行う講演の合間に時間ができたときのみ出演依頼に応じるのだという。また、KK女史を引き合いに、ベストセラーを出すとすぐに本を乱発して荒稼ぎしようとするのは自分の目指すところではないとチクリ。円高が日本経済の低迷の原因という大多数の経済評論家に対し、円高こそ日本経済の強さの表れとする氏の考えは確かに異端に映るかもしれないが、「競争力のない企業を救うことが政府の目的ではない。社員に人権はあるが、企業にはない。」というのはその通りで、マスコミが根拠となる数字もあげずに危機感ばかりあおっているというのも同感だ。新型インフルエンザの死亡率が従来型に比べて高いという証拠もないのに大騒ぎをしてみたり、日本の経常収支の数字も見ずにただでさえ心配性な日本人をさらに心配にさせるような悲観的な報道ばかり流したり。講演の数日後に低所得世帯と生活保護受給者の数が過去最高を記録した一方で、高所得者の数も増えているという報道を聞き、経常黒字の国がこれほど低迷感を感じているのは前述の報道が生み出すムードと富の再分配の問題があるのではないかと思った。

2012年9月22日土曜日

日本の外交力

「予想以上の反発だった。」中国の反日デモを受けた総理の発言に、この国の外交は大丈夫だろうかと思った。東京都に勝手にやらせておけばいいものを、それを国の行為にしてしまうことで必要以上の反発を招き、実効支配の強化を逆に難しくすることくらい素人の私でも想像がつく。北京の友人は中国にとって尖閣はフィリピンやインドとの領土問題に比べてマイナーな話だったのが、日本政府が歴史的に見ても敏感なタイミングで関与してきたために、中国人は侮辱されたと感じ、現状に不満をもち、何かあれば騒ぎを起こしたい若者たちに火をつけてしまったのだと説明した。情報の収集力も分析力もない外交官たちであれば、国内外で泥臭い仕事に携わり、日本人に足りない強かさと国際感覚を備えた商社マンと入れ替えれば、日本の外交力はどれほど高まるだろうかと思う。

2012年9月15日土曜日

直方

今週は商用で福岡県の直方に行った。思えば筑豊に足を踏み入れるのは大学時代に福岡の友人が連れて行ってくれて以来で、それまで小説の世界でしかなかったぼた山や炭鉱労働者の住宅(炭住)を見て大いに興奮を覚えたのを思い出す。そして炭鉱のイメージしかないこの地を仕事で訪れることになろうとは当時は想像もしなかった。しかし今回は炭住の一つも目にすることはなく、すべて取り壊して新しい公営住宅にしてしまったのだと聞いた。郊外型の大きなショッピングモールができ、駅前が閑散としているあたりはどこの地方都市とも同じ風景。古いものを残そうという意識がないのだとタクシーの運転手さんがいったが、かつて日本の経済発展を支えた歴史ある町がふつうの町になってしまったのは実にもったいない気がした。

2012年9月8日土曜日

西の小京都

抹茶とともにふるまわれる見た目も味も洗練された松江の和菓子。寺町にある老舗のお茶屋に案内してくださった当地のお茶の先生に松江でこのような美味しい生菓子を頂けるとは知らなかったというと、「松江は西の小京都ですから」といわれた。「西の小京都って津和野じゃなかったでしたっけ」などとつい余計なことをいってしまったところ、「いえ、松江です」ときっぱり。関東ではなかなかお目にかかれない京都レベルの和菓子はまさに小京都と呼ぶにふさわしいが、西の小京都が本当に松江のことなのか気になってネットで調べてみたところ、確かに松江は津和野と倉吉と並んで山陰の小京都と呼ばれ、西の小京都というとこれに尾道や山口が加わるとのことだった。地元荻窪の酒まんじゅうは大好物だが、食事でいえばB級グルメといわざるを得ない。近くに小京都と呼ばれる町があればもっと身近に生菓子を楽しめただろうが、北前船も通らず、戦略的に京都と距離を置いていた江戸では仕方がないことか。

2012年9月1日土曜日

参入障壁

「利益を必要最小限に抑えた価格で商品を提供することが参入障壁を築くことになる」商用で訪れた山口の会社の経営者がいった。設備産業なのでもともと人件費の比率は高くないのだが、イギリスに工場をもち、中国製品と競合する中でシェア1位を維持している。先日鳥取にある炉端焼きのチェーン店で元上司と一献傾けた。この店は安来発祥でその後山陰一体と東京にチェーン展開しているのだが、何年か前に同じ元上司に新宿店に連れて行ってもらった(といってもいつも割り勘だが…)ときと変わらないコストパフォーマンスの高さで、この日訪れた鳥取店も予約がいっぱいの盛況ぶりだった。特に山陰ならではのお造りのクオリティの高さとボリュームが際立っていて、チェーン展開してもクオリティが落ちないところに感心するが、メニューを見ると刺身の内容は書かれていない。つまりその日に入るいちばんいいネタを盛り合わせているようだ。飲食店は粗利率が高いので、固定費を埋めた後はほぼ丸儲けと元上司がいったが、ほとんどお腹いっぱいの二次会客用の割安プランも用意しているこの店を見ていると、いいものを安く提供することで目いっぱい稼働率を高めて十分ペイするような好循環が垣間見える。利益を低く抑えて参入障壁を高めるという発想は株主利益の最大化ばかりを論じるアメリカのビジネススクールでは教わらないことだが、なるほどと思える。

2012年8月25日土曜日

電機業界

「サムスンがすごくデザインのいい携帯電話を出してきているけど大丈夫か?」「白物家電は経営の重荷になっているように見えるが今後どうしていくのか?」外資系証券会社に勤めていたおよそ10年前に某大手家電メーカーのCFO(最高財務責任者)のお供でヨーロッパの投資家回りをしていたときに受けた質問だ。その後サムスンが携帯電話市場を席巻し、この電機メーカーは白物家電事業からの撤退を迫られていることを考えると実に的を得た質問だった。当時横並びで似たような製品をつくっていた日本の電機メーカーの中で今唯一まともな業績をあげている三菱電機。他社との大きな違いは事業の選択と集中を口先だけでなく、きちんと実行してきたことだろう。今になって思い出すのがソニーに入社を希望し、私のところを訪ねてきた大学の後輩のこと。私は何の役にも立てず、その後三菱電機に入社すると聞いた。当時は本人の期待にそえず申し訳ないと思ったが、今考えると期待にそえなくてよかったのかもしれない。

2012年8月18日土曜日

公共放送

番組作りの民放化が進む我が国の公共放送。受信料を使って夜の連続ドラマや朝のワイドショーをやるなど、ほとんど民業圧迫。それほど民放になりたいのなら受信料をとらず、同じ土俵で勝負すべき。唯一の存在意義ともいえるニュースも客観性を欠き、内容もお粗末に思える。ベトナムで数十人しか集まっていない反中デモを毎週のように取り上げたかと思えば、足元の東京で何万人も集めている反原発デモは積極的に取り上げない。震災がれきの受け入れをめぐる問題では抗議をしているごくわずかなヒステリックな市民ばかりを大きく取り上げ、最近の尖閣の問題ではどう見ても盛り上がっていない香港や北京での抗議活動の様子をあえて全国に流す。その一方で、中国がどのような根拠で領有権を主張し、それがなぜ合理性がないのかといった肝心な情報はいっさい流さない。こうした体たらくを見せられると公共放送などという特別な地位をなくし、民放として健全な競争にさらした方がよいのではないかと思う。

2012年8月11日土曜日

ロムニー

ニューヨークで行った資金集めパーティーで「我々は10年、あるいは1世紀にわたる衰退と苦難に陥っている日本のような国とは違う」と述べたという共和党の大統領候補。外遊先のイギリスでは五輪の準備状況について疑問を呈して反発を招いたことが報じられていたが、いっている内容が正しいかは別として、無為に他国民の感情を逆なでする判断力のない人間が世界の超大国の大統領になったら果たしてどのような事態を招くのだろうかと心配になる。そこでちょっと不思議に思うのが彼の経歴。前職は私も留学していたマサチューセッツ州の知事だ。留学時代にルームメートだった同州出身のクラスメートがマサチューセッツ州は民主党でなければ選挙に勝てないといっていたのは1990年代のことだった。そんな州の上院議員選挙で無敵だったエドワード・ケネディを脅かし、ついには知事となったのがこのロムニーだった。確かに州知事は外交に関わる立場ではないが、政治家としての判断力は必要だろう。今度ボストンに行ったときには、なぜこの州の人たちが彼を支持したのか聞いてみたいものだ。

2012年8月4日土曜日

子どものときにその存在を知ってから、なぜこのような短い地名が存在するのか不思議に思っていた。津といえば港のことで、大津、唐津、木更津など、何かがその前に来ないと地名として成立しない気がする。あまりに長年不思議に思っていたので、先週初めて商用で当地を訪れたときに商談相手に尋ねずにはいられなかった。そしてようやく長年の謎が解けた。なんでも津はもともと伊勢神宮に参る人たちの海の玄関口で、伊勢神宮が全国の神社の頂点である神宮の中でも別格な存在なため、その門前の港である津はいわば“ザ・港”であったという。その真偽は100%確信がもてるものではないが、それなりに説得力があり、すっきりした気分で当地を後にすることができた。

2012年7月28日土曜日

職場のジェンダーレス化

「今日は少し熱がありました」4歳になる甥っ子のお迎えで保育園に行くと、思いもかけず男の保育士さんから報告を受けた。この世界にも男が進出していると聞いてはいたが、実際に目にするのは初めてだった。そういえば病院で看護婦といったら看護師と訂正されたのを思い出す。(なぜ看護“士”となると男なのに、保育士は男女両方を指すのかは不明。)男女の分け隔てなくどんな職種にも就けるのは誠に結構なことで、ついでにダメ男君が続く某国の総理大臣もそろそろ女性にやらせてみてはどうかと思う。ただ、最近うちの事務所に集荷に来る宅配業者の担当が女性に代わったのにはちょっと戸惑っている。相手が女性だと何となく重い荷物が出しづらいし、この業者は荷物の扱いが乱暴との評判でよく中身を壊してくれるのだが、こうしたときにも厳しく言いづらい。などといっている時点で私も女性を同等に見なしていないことになるのだろうか…。

2012年7月22日日曜日

プリンター

トナー代がかさむばかりでよく故障をし、画質もレーザーカラープリンターとは思えないお粗末なものだった事務所のプリンターにいよいよ見切りをつけ、新しいプリンターに買い替えた。前のプリンターがあまりにひどかったので、別のメーカーのものにすることだけは心に決めていた。このメーカーの悪質?なところはトナーが減っても警告一つしないため、肝心なときにトナー切れを起こしてしまうことだった。事務所にある同じメーカーの複合機など、一色切れるだけでプリントもファックスも(白黒なのに…)できなくなり、ファックスの場合は何日も気づかずにいてしまう。勘ぐって考えればトナーの残量がわからなかいようにすることでハードを買い替えるタイミングを判断しづらくしているような気もする。新しいプリンターはあれこれ迷ったあげく、ネットのレビューが悪くなく、しかも値段も手ごろだったNECの製品にした。同社は投資銀行時代のお客様で、プリンターを作っていたとは知らなかったが、使ってみると期待以上にいい。画質は前に使っていたB社のものとは天と地の差で、印刷するたびにトナーの残量がパソコンの画面に表示される。NECが密かに?こんないいプリンターを作る技術をもっていたとは…。毎日のストレスからも解放され、ますます同社を応援したくなった。

2012年7月15日日曜日

JAL再上場

JALの再上場をめぐるANAとの応酬は面白い。5,200億円にのぼる債権の放棄を受け、破綻時に発生した赤字が次年度から利益と相殺されて法人税が大幅に減免されているのは競合上の不平等というANAの社長の主張はわかるが、JALの業績の急回復は社員が身を削る努力をした結果というJALの社長の主張もその通りだろう。そして何よりも会社更生法の手続きに則って行われたことなのだから仕方がない。私は国内出張でJALとANAが競合している路線に乗るときはJALを選ぶことが多い。というのも破綻後に路線を減らしたJALは羽田のゲートの距離が近いが、逆に路線を増やしたANAは果てしなく歩かされることがある。JALの業績回復を受けて元与党議員が不採算路線を復活させるべきと主張していると聞き、こうした人々の存在がJALを破綻に導いた一因であったとの認識を新たにするとともに、政治家が介入するような銘柄だと再上場してももう買うことはできない、と思った。

2012年7月7日土曜日

定宿

気に入ったレストランができるとそこにばかり通ってしまう冒険をしない性格の私は出張先のホテルも一度気に入るとそこにばかり泊まってしまう。福岡はまだこれといったホテルにめぐりあっていないため、行く度に違う所に泊まっているが、今回は中洲にしたところ図らずも祇園山笠が始まっていて、ホテルの近くに飾り山が立つなど、祭りの気分が味わえて得した気分だった。一方、北九州では小倉と門司港に気にいたホテルができ、何も迷うことなくそのいずれかを予約するが、今回は定宿の近くに美味しい生パスタの店を見つけ、滞在期間中毎日通ってしまった…。ホテルで地元の美味しい店を聞くと、無難に観光客の定番となっている有名店を教えられてしまうが、その人がよく行く店を聞くと意外な穴場を教えてもらえたりする。そんなことを心得るまでになったのだから、我ながらずいぶんと出張慣れしてしまったものだ。(写真は小倉のホテルの日本庭園)

2012年6月29日金曜日

和モダン

先週の出張に続き今週は母と伯母を連れて休暇で再び山陰を訪れた。当初はハワイに行く予定だったが予約がとれず、色々と検討した結果、昨年来何度も来ている出雲地方と、津和野しか観光したことがない石見地方に来ることにした。今回はお付き合いのある当地の銀行の方が旅程を作成し、お勧めの宿の予約までして下さったので、松江市内、出雲大社、日御碕、石見銀山などの観光地を効率よくめぐりながら玉造、湯の川、温泉津、有福という名だたる温泉地に宿泊することができた。地元の大手銀行の取引先とあって宿はいずれ劣らぬすばらしいところばかりだったが、玉造と温泉津では昔ながらの温泉旅館だったのに対して湯の川と有福は内装も食事も貸切温泉も凝りに凝ったいわゆる“和モダン”で、高級家具が配置された部屋や洒落たお皿に盛りつけられたフレンチやイタリアンテイストの和食が何とも新鮮だった。ビジネススクール出の人間はすぐに初期投資にいくらくらいかかっているだろうかなどといやらしいことを考えてしまいがちだが、いずれも平日でも満室の盛況ぶりで、銀行にとってはいい貸付先であることが想像された。土地勘がないところでは宿選びも大変で、こうした高級旅館には自ら積極的に泊まることもないので、今回は願ってもないいい機会となった。(写真は湯の川温泉の旅館の部屋からの眺め)

2012年6月22日金曜日

鳥取

今週は下関→小野田→広島→岡山→松江→鳥取とまわり、思えば1週間で中国地方のすべての県を制覇?してしまった。このうち鳥取は当初の旅程に含んでいなかったが、当地にいる電機メーカー時代の上司から松江に来るときには寄るようにいわれ、足を延ばすことにした。大手企業で経営管理をやっていた二人がそれぞれ医療法人の事務長と零細企業の経営者というまったく畑違いの道に進んで鳥取の地で会うことになるなど、当時はお互いにまったく想像もつかないことだった。元上司によると若手サラリーマンだった頃の私は気が利かず、愛想もなかったそうだ。気が利かなかったのは十分自覚しているが、愛想がなかったのは恐らく元上司にあまり好感をもっていなかったからではないかと想像する。それが当時一緒に働いていた人たちの中で今でも交流がある数少ない人たちの一人なのだから不思議なものだ。元上司は政治や経済に関してK大の卒業生らしくいささか冷徹ながらきわめて合理的な持論を唱え、これが結構面白かったりする。地元選出の代議士からも一目置かれているようで、東京で時間を持て余すと議員会館に立ち寄ってお茶を飲むというから恐れ入る。うちの事務所も永田町なので、今度上京するときは寄ってくださいとお伝えした。(写真は摩尼寺の石段)

2012年6月17日日曜日

上海

10数年ぶりの上海。この間にロンドンを超える規模の地下鉄網と浦東空港と市内を結ぶリニアモーターカーが築かれた。民主国家でないので強権が発動できるとはいえ、万博に向けての数年間でここまでのインフラを築き上げた実力は驚くべき。振り返って日本は私が子どもの頃から開発していたはずのリニアがいまだに商業化されていない。このあたりのスピード感の違いが日本企業が競争に勝てない一因か。滞在中は現地に赴任している友人と楽しい時間を過ごすことができたが、ホテルで突然日本のウェブサイトにアクセスできなくなって閉口した。その後ニュースで”co.jp”のドメインのサイトへの接続が遮断されたことを知った。YouTubeやFacebookのみならず、特定の国のサイトとの接続を遮断するとは…。久しぶりの上海を楽しみつつも、ますます力をつけるこの隣人がいかにやっかいな存在であるかも改めて思い知らされた。

2012年6月9日土曜日

長崎

長崎に来るのは何年ぶりだろうか。まさか商用で来る機会があろうとは思わなかった。午前中は何も予定がなかったのでインドからの来客と町を散策したが、駅ビルと原爆資料館が新しくなっている以外、平和公園も路面電車も浦上天主堂も前回来た20年余り前の記憶のままだった。商用が終わり、夜の電車で福岡に戻る前に中華街で食事をしたが、コースで出てきた料理のすべてが驚くほど不味くて驚いた。サラリーマン時代、当地出身の上司が、いい料理人は皆町を出てしまったとは聞いていたが、これほど大変なことになっていたとは…。一方でランチで行った駅ビルに入っているインド料理屋がインド人を満足させる美味しさで、こちらはうれしい驚きだった。

2012年6月2日土曜日

電力不足

1か月以上ぶりのゴルフ。ご一緒したのは大手重工で電力事業をやられている方。話題は自然とアイスランドの地熱発電と日本の電力不足問題となった。中国がアイスランドと地熱発電分野における協力関係を深めようとしていることで、これまで機器を提供してきた日本が“おいしいとこ取り”されているのではないかとの私の印象は当たっていて、悲しいかな同社を辞めた社員が中国の企業に短期間高給で雇われて技術を提供しているという。電力不足の問題については実は手っ取り早い解決策があるそうだ。第一世代の買い替えが始まるハイブリッドカーの電池を使って夜のうちに充電しておけば、家庭の一日分くらいの電力はまかなえるとのこと。しかしこれも日本固有の規制とか業界の利害の関係で実現は難しいとのこと。せっかくの興味深い話だったが、当日のスコア同様、あまり明るい気分にはなれなかった。

2012年5月26日土曜日

Dr. Nakamats

米国系航空会社の国際線の機内エンターテインメントで表題のビデオ番組をやっていて、これが意外に面白かった。いわずと知れた発明家の中松義郎氏について取り上げた番組だが、ご本人が英語で自分の名字をつづるときに語尾に”u”をつけないらしい。中松氏は私が子どもの頃から都知事選に立候補していたため、当時の選挙ポスターの顔写真が印象に残っているが、このビデオ番組を見て“変わったおじさん”というイメージしかなかった氏が結構まじめ?なものもたくさん発明していることを知った。80歳を過ぎてもなお元気な中松氏は150歳まで生きるつもりだそうだが、「人間、一日一食で十分。一日に三食も食べたらどんどんと老化が進むだけ」、「そもそも頭を使っていればお腹など空かない」とか、「睡眠は一日4時間で十分」といった氏の言葉に我が身を振り返ってどきりとした。ただ水泳を日課とする氏が「人間、体に酸素を取り込み過ぎると頭の働きが悪くなる。死ぬぎりぎりのところですいごい発想が生まれる」といって窒息寸前まで潜水している姿にはちょっと共感できなかった。

2012年5月19日土曜日

アイスランド4

アイスランドの英字紙に掲載されていたトップ記事は中国の温家宝首相の同国訪問に関するもの。日本ではアイスランドの話題すら日頃あまり耳にしないが、中国は国の大きさとは関係なく、自国にとっての戦略的に重要であれば首相を送り込んでくるのだからたいしたものだ。記事によると訪問の成果は北極圏の調査活動における協力、地熱発電の共同研究及び東アフリカなどの発展途上国での開発協力、アイスランドでのソーラーパネル用シリコンの生産(同国では水と電気が潤沢で安い)、両国の相互投資の促進、等々。今回欧州をまわって当地の企業の中国熱の高さを再認識したが、(彼らが思っているほど参入が容易かは別として)巨大な成長市場を武器に次々に国益を実現していく中国の貪欲さには驚く。良し悪しは別として、戦略が見えぬままお金をばらまき、お公家さんのような外交官ばかり抱えている国には到底できない芸当だろう。それにしてもこの新聞の一面(写真)、下方に書かれている文字らしきものが漢字のようで漢字になっていない…。

2012年5月12日土曜日

アイスランド3

日本を発つ前にフジテレビの番組で当地の地熱発電が紹介されていたが、水力、地熱などの再生可能エネルギーだけで国全体の電力需要が満たされ、しかも余っているというからうらやましい。フジテレビのクルーにアテンドしたガイドさんにレイキャビク周辺を案内してもらったが、日本は同じ火山国でアイスランドで使われている発電設備は日本製(三菱)なのに、なぜもっと地熱発電をやらないのかと聞かれ答えに窮した。「既得権益にがんじがらめで政府が合理的な判断ができない」というのはあまりに格好が悪くていえない。アイスランドは中国で世界最大の地熱発電所の建設に協力しているというが、この分野でも日本のプレゼンスはますます小さくなっていってしまうのだろうか…。

アイスランド2

アイスランドの売店で見かけた揚げ菓子。どっからどう見ても沖縄のサーターアンダギー。食べてみると味も食感もそっくり。Astarpungur(発音不明)という伝統菓子だそうで、沖縄から伝わったわけではなさそう。地球の裏側での思わぬ発見。

アイスランド1

イギリス出張の合間に立ち寄ったアイスランド。想像していた通り風光明媚な美しい国で、空気も水も実に美味しい。さすが北欧で、通信などのインフラも完璧に整備され、どこでもクレジットカードが使えるので、途中で立ち寄ったノルウェーと同様、一度も両替をしていない(従って当地の紙幣や硬貨を一度も見ていない)。人の多い国で生活しているとこうしたところは本当に落ち着く。

2012年5月5日土曜日

Longs

ベルファストにある行きつけのフィッシュ&チップス屋。東京のイギリス大使館に勤める知人から、イギリスで1位にランキングされたと聞いた。自分の味覚が正しかったとちょっと嬉しく思った反面、年に一度の出張でしか訪れる機会がないのに、行列ができる店なんかになっていたらいやだなと思った。 先日1年ぶりの出張で当地を訪れ、グレートビクトリア駅の近くの裏路地にある店を訪ねると、何も変わった様子がなく、客の姿もまばら。これが日本だったら全国から一見客が押し寄せて大行列になっているだろう。店側も1位になったと宣伝している様子もない。これも国民性の違いなのか。 考えてみれば地元に固定客をもつお店にとって一見は有難くない存在。家の近所の定食屋はテレビで著名な料理研究家に「メンチカツが絶品」などといわれて一見客が押し寄せ、地元客が入りづらくなったことがあった。最近、某グルメ雑誌で私の地元が紹介されたが、やはりいちばん支持されている店は取材に応じなかったのか、載っていなかった。 よく「雑誌に取り上げられた」などと店の前に記事を貼りだしている店を見かけるが、私などは黙っていても客が入る店ではないのだと、逆に避けてしまう。ベルファストのこの店も、全国1位になって浮かれている様子もなく、黙々と地元客相手の商売を続けている様子に好感をもった。

2012年4月29日日曜日

スマホ

イギリスのクライアントから送られてきたスマートフォンの端末。メールをいつでもチェックできるようにとの配慮だ。スマートフォンなどなくても大丈夫とがんばってきた私も最近はノートパソコンを持ち歩くのがわずらわしいのと、仕事柄従来型を使っているのは格好が悪いことから、いよいよ観念することにした。 端末に使うミニシムを買おうと同じ赤坂にあるドコモとソフトバンクの店に行ってその違いに驚いた。ドコモの方は余裕をもたせた人員を配置しているため、さして待たされることもなく、ゆっくり話を聞くことができたが、ソフトバンクの方は店員が二人しかおらず、ひっきりなしに訪れる客を必死でさばいていた。それでも二人ではさばききれず、ソファで待たされている客からため息が漏れた。 投資銀行時代に出入りしていたソフトバンクはアメリカ流の徹底した効率を追及する企業という印象だった。それが高じてか、派手なテレビCMを流し、安さを強調して集客をする一方で十分な設備投資をせず、つながりにくいという声を聞く。先週は来日したクライアントが持ってきたブラックベリーがソフトバンクのネットワークにつながってしまい、まる一日以上メールが着信せず、ドコモに切り替えさせてようやく受信できた。 効率を追求しない経営は競合上長続きしないし、サービスが過剰でそれが価格に転嫁されるのも嬉しくないが、必死に立ち働く店員から“搾取されている感”がにじみ出てしまうと、やりすぎの印象は否めない。

2012年4月22日日曜日

スーパーおき

「自由席は何号車ですか?」早朝の松江駅で改札の駅員さんに聞くと「2号車です。」との答え。短い編成の列車の場合、“1号車だけ”というのならわかるが“2号車だけ”といわれるとどうも釈然としない。「2号車だけですか?」と聞き返すと「スーパーおき号は2両しかないんです。」との思わぬ答え。“スーパー”と名のつく特急にしてはいささか短すぎやしないか。しかし松江から人口が少ない石見地方を通って山口方面に至るので、そんなものかもしれない。途中お客の入れ替わりがあったが2両編成の特急の座席が半分うまるのがせいぜいだった。 松江から山陽方面に出るには岡山行きの特急に乗るのがもっとも一般的だが、私は商用で大分に行かなければならなかったため、一日に三本しかないこの特急を利用することになった。松江からの移動時間はどのみち長くなるので、なるべく当地には泊まらず、商談を終えた当日に次に移動するようにしているが、前回当地を訪れたときに「次回は泊りがけで来てください」といわれ、今回は泊まることになった。 それにしてもこの特急、在来線とはいえ新山口まで4時間もかかる。新幹線であれば東京から広島まで行かれる時間だ。しかも乗っているうちにだんだんと気分が悪くなってきた。思えば前夜はおでん屋での一次会の後に田端で修業したという大将がやっている江戸前寿司の店に行き、最後は近くのスナックで夜中までカラオケなどして過ごした。スナックに行くなどメーカー時代以来のことなのでつい羽目をはずしてしまったが、自分の回復力を過信していたところもある。車窓から日本海沿岸の美しい風景を眺めながらしばし反省することとなった。

2012年4月15日日曜日

きざみ奈良漬け


出張先の北九州のホテルで腰痛に耐えかねてマッサージを頼むと、約束の時間よりだいぶ遅れて60代と思しきおばさんがやって来た。言葉で地元の人間ではないことがわかったのか、どこから来たのかと聞かれ、東京と答えた。話題に事欠いておばさんは地元かと聞くと違うという。博多あたりの人はわかりやすいが、色々な地方の人が入り混じっている北九州の人の言葉は今一つ特徴をとらえづらい。

おばさんはすんなりとは教えてくれず、どこと思うかと聞かれた。あまり特徴的な言葉ではなかったので全国各地を旅行した私も皆目見当がつかず、最後にようやく「大和の国」だと教えてくれた。確かに奈良出身の知り合いは少なく、数少ない同県出身の知り合いも私には標準語(東京弁?)を話すので、奈良言葉というのはあまり聞いた記憶がない。それにおばさんは北九州の人と結婚して何十年も当地に住んでいるというから、話し言葉もだいぶ変わったものと想像する。

それにしてもこんなタイミングで奈良出身の人に会うとは驚きだった。というのもその翌週に商用で何年かぶりに奈良に行くことになっていたのだ。おばさんにそのことをいうと、私が訪問する先の銀行の前に老舗の奈良漬け屋があって、そこの「きざみ奈良漬け」がおいしいということと、そのまた近くにあるうどん屋がお勧めだと教えてくれた。

昨年、うちでバイトしていた子が就職した九州の家電量販店の採用担当が私のいとこの知り合いであるというありえない偶然に驚いたが、めったに奈良に行くことがない(商用では初めて)私がその直前にめったに会うことのない奈良出身の人に、しかも北九州で出会う偶然に驚いた。

きざみ奈良漬けはそれ自体の味が濃い奈良漬けが粕漬けのようになっていてその絶妙な組み合わせが癖になりそうだった。また、この老舗で今はやりの塩麹を売っていたので買ってきて肉料理や魚料理に使ってみたが、これがまた美味。一方、うどん屋は近くに2軒あり、どちらとも判断がつかなかったので、結局好物の柿の葉寿司をたらふく食べて帰ってきた。

2012年4月7日土曜日

新世界


大阪に商用があるといっても通天閣を目にすることはまずない。訪問先はせいぜい北浜、京橋、道修町、博労町、心斎橋周辺で、泊まるのも梅田かなんばあたりだ。しかし今回の出張では富田林の高校の教員をやっている友人と食事をすることになり、彼の通勤経路でもある天王寺で待ち合わせることになった。

駅の周辺は何年も見ないうちに大きな公園ができるなど再開発が進み、ネオンの色調が変わった通天閣も以前より洗練されたように見えるが、新世界周辺のディープな雰囲気は昔と変わらず、タイムスリップしたような感覚を覚える。建設現場の柵の外面に明治か大正の頃の新世界の写真が飾ってあり、その当時いかに「新世界」という名にふさわしい繁華街だったかがうかがえた。往年の一大繁華街といえば東京なら浅草あたりになるだろうか。

友人と串カツ屋や将棋クラブが並ぶ一画を歩きながら、大阪に来たら一度は“二度漬け禁止”の串カツを立ち食いしたいと思っていたことを思い出した。ところが友人に話すと最近は胃がもたれるので揚げ物が食べられないなどとジジくさい(失敬!)ことをいわれた。天王寺で待ち合わせる相手などほかにいないので、また来る機会があっても串カツ屋体験はかないそうにない。

昭和の雰囲気が漂う古いアーケードの商店街を歩きながら、ふとこの風景を再び目にすることはあるのだろうかと思った。こうした昔ながらの風景がそのままであってほしいと思うのは、それだけ年をとったということだろうか…。

2012年3月30日金曜日

小児病棟

小学1年生の甥が細菌に感染して入院した。突然発疹が出て、脚が腫れ上がり、大変な状態だったという。2日後に私が見舞いに行ったときには腫れも引き、一見するとふつうに見えるくらいに回復していたが、大事をとってその後さらに一週間入院することになった。

週末の朝、寂しくしているのではないかと思い、再び病院を訪れた。女の子と二人部屋だった病室に彼の姿はなく、看護婦さんに聞くと隣の大部屋に移ったとのことだった。中に入ると同じ病室の、同年代と思しき男の子と話している甥の姿があった。私が行って少しは喜んでくれるかと思ったが、妙に素っ気ない。自分が彼と同じ年頃だったら同じような反応をしたような気はする。オジである私になついてくれるのも今のうちとは思っていたが、それが終わる日がこんなに早く来るとはちょっと寂しい…。

それはさておき、今回甥が入院したことで、生まれて初めて病院の小児病棟に足を踏み入れた。甥と同じ病室の子たちがどういう病気なのかもわからなかったが、小さいうちから病室で過ごしている子どもたちを見て、何ともいえない気持ちになった。甥がいるおかげで子どもを入院させなければならない親の気持ちも察しがつく。二度ほど入院を経験した私も子どもの頃は大病もせず育ったので、そのありがたみを改めて感じた。

2012年3月25日日曜日

福島


「香典の前渡し」島根原発を抱える松江で、空港まで見送ってくれた当地の会社経営者が、原発建設の際に支払われた交付金をこう呼んだ。受け入れた自治体はもちろん香典などと思って受け取ったわけではないだろうが、事故が起きたときの結果はもとより、廃炉にするときのプロセスやコストも明らかにされず、使用済み核燃料の最終処分地も決まっていないのだから、多少の香典では済まない大きな負の遺産を末代まで残したことは間違いないだろう。

その2日後に商用で福島を訪れた。復興ボランティアにも参加していなかったので、白河の関を超えるのは震災後初めてだった。当地でお会いした地元地銀の方の話では、全国的に海外からの観光客が戻っている中、福島はまったく回復の兆しがないとのこと。原発事故のおかげでチェルノブイリ並みに世界的に名前が知れてしまったのだから無理もがない。島根原発でもいえることだが、なぜ原発の名前に泊、女川や刈羽、大飯、玄海のような町の名前ではなく県の名前をつけてしまったのか。

思えば福島には子どものときからよく行っていた。小学生のときは二度の夏休みをそれぞれ会津田島と二本松で過ごし、初めてスキーをしたのは裏磐梯だった。大学時代は飯坂温泉で自動車の教習所に通い、社会人になってからは原発近くの原ノ町(現在の南相馬市)にある協力工場に訪ねた。仙台から常磐線の単線を時間をかけて南下し、海側の車窓から景色を眺めながら、「確かこのあたりに原発があったはず」と思ったことを思い出す。それが福島県全体を不幸に巻き込む事故を起こそうなどとは当時は思いもよらなかった。

2012年3月17日土曜日

ペットボトル飲料

私はペットボトル飲料はなるべく避けるようにしている。リサイクルのコストが高く、環境にも悪いし、直射日光が当たるドラッグストアの店頭に長時間置かれても腐りもしないのは、それを防ぐために自然界には存在しない物質が使われているものと想像され、抵抗がある。ペットボトル入りのお茶の原料によく“ビタミンC”などと書かれているが、これは自然の食物に含まれるビタミンとは異なる合成物質というから何ともミスリーディング。

しかし今週はそんな私も驚く話を聞かされた。農林水産省が国内で売られているミネラルウォーター30種類を検査したところ、何と20種類からホルマリンが検出されたのだそうだ。欧州などの“先進国”では採水場で熱成形したペットボトルにすぐ水を詰めるのだが、日本ではこの方法が認められていないため、ミネラルウォーターのメーカーは仕入れたボトルを規定通り洗浄するのにホルマリン入りの洗剤を使うのだそうだ。

この話を教えてくれたのはミネラルウォーターの水質検査をしている会社の人だが、肌に塗る化粧品に許されている量の最大8倍のホルマリンが、直接体内に取り込むミネラルウォーターから見つかったというから驚く。ホルマリンは消毒に使われることからもわかるように、細菌やカビが生きられないくらい毒性が強い物質で、シックハウス症候群の原因にもなっている。後でネットで調べてみると、ペットボトル飲料が汚染されている事実を知っている人はいるようだが、どうしてこのような重大なことがマスコミで報じられないのだろうか…。

原発事故の後、ミネラルウォーターを買って子供に与えている親は多いと想像するが、微量の放射性物質に汚染された水と、化粧品に許される上限の数倍ものホルマリンを含む水のどちらがより安全といえるだろうか。比較はともかく、少なくとも後者が安全でないことは確かだろう。監督官庁にはせめて検査結果の公表はしてもらいたいものだ。

2012年3月11日日曜日

震災

震災から一年。かつて出張や旅行で訪れた被災地の町も今はテレビの画面を通してその変わり果てた姿を見るだけとなった。当面復興がトッププライオリティなので、それ以外のことは後回しでも仕方がないと思うが、なぜこれほどの人的被害を出してしまったのかについては、いずれ検証する必要があると思う。

かつて三陸沿岸を訪れ、釜石などで過去の津波被害の資料を目にしてきた私には、当地の人々が津波に対する備えをしていなかったとは到底思えない。メーカー時代に度々出張で訪れた、海岸からだいぶ離れた多賀城の事業所にも津波が押し寄せたというから、その規模が相当なものであったことは理解できるが、気象庁は潮位の変化などからそれを十分に予測できたにもかかわらず、そのデータを無視して過小な予測を出したと聞く。

物的被害はお金をかければ取り返せるが、人命は戻らない。昨年の震災の深刻さは何といっても2万人近い犠牲者及び行方不明者を出したことだろう。震災の特別番組もいいが、これほどの人的被害を出してしまった原因がどこにあるのか、その核心に迫り、今後の教訓にしてもらいたいものだ。

2012年3月3日土曜日

千年の都


「リニアがここを通らないのは国にとって100年、1000年の損失。」チェックインした京都のホテルでテレビをつけるとローカルニュースで市長のこうした発言が流れていた。さすがは京都。こんなことをいえる都市がほかにあるだろうか。

当地で訪問先の場所を確認しようとグーグルマップで調べてもなかなか出てこない。○○通りを上ルだの下ルだのいっているのも京都くらいのものだろう。関西出身の同僚に、どうして京都にだけ通常の住所表記と違うことが許されるのかと聞くと、「都だから」という一言が返ってきた。

かくいう私も大阪出張のときでさえ京都に滞在することがあるくらい好んで訪れる町ではある。東京にないものを多くもっていることは間違いない。町のそこかしこにある寺社もさることながら、和食・洋食を問わずレベルが高いのは美食家が多いからだろうか。町家を改装した店も実に雰囲気がいい。

くだんのテレビニュースによると、リニア中央新幹線を建設するJR東海は「奈良市付近を通すことで法律上の手続きを踏んでおり、京都駅が奈良市付近というのは無理がある。」としている。そりゃそうだろう。京都駅は明らかに奈良市付近ではないし、京都を通したら東名阪を最短距離で結ぶことにならない。また、リニアが通らないことでアクセス面での優位性は失われるかもしれないが、京都が寂れることはないだろう。

思えば奈良も都。京都よりも期間は短かったが古い。大都市京都に比べるといささか地味だが、私にとっては中学校の修学旅行で訪れた思い出の地だ。100年後も変わらない(それほど発展余地が感じられない)安心感があったが、リニアが通ると状況は変わるのだろうか。ただ、大阪まで開業するのは2045年というから私には関係のない話かもしれない。

(写真は宇治の平等院)

2012年2月25日土曜日

関さば


関あじとともに魚の最高級ブランドとして知られる関さば。豊予海峡で獲れ、大分の佐賀関で水揚げされるさばで、旅行で初めて別府を訪れたときに食し、その新鮮さと身のしまり(歯ごたえ)が忘れがたいものとなった。

関さばも関あじもふつうのさばやあじよりも大ぶりだが決して大味ではなく非常に美味。そして何よりも前述の身の締りが東京あたりで食べる刺身とはまったく異なる。潮の流れが速い海峡で泳いでいるため、筋肉が鍛えられ、一本釣りなので、餌に食らいつく生きのいいのが獲れると聞く。

しかし大分に行く用事もそうそうなく、それ以来、もはや食べる機会もあまりないかと思っていたが、ここのところ商用で立て続けに大分を訪れる機会があり、今週は商談先のお招きで、何と関さばをまる一匹、活造りでご馳走になった(写真)。別府で初めて食べたときはふつうの皿にのる程度の切り身の数だったが、今回はそれだけでお腹一杯になりそうなくらい食べた。何たる贅沢…。

今回はまた、東京からの来客のために“大分尽くし”のメニューを用意してくださり、関さば以外にも鳥天や団子汁が出てきた。団子汁は名前は聞いたことがあったが食べたのは初めてで、白味噌っぽい味噌の味が野菜や豚肉、平麺(団子)と相まって実においしい。これは材料をそろえれば自宅でも作れそうだ。

九州は食べ物が美味しく、食事にお招き頂くと実にありがたい。しかしそれだけに、当地で接待してくださった方々が東京に来られたときに食事にお連れしようとすると相当ハードルが高くなってしまうのが悩ましい。

2012年2月18日土曜日

機窓の風景


鹿児島出張から帰る飛行機が駿河湾の沖合あたりにさしかかったとき、窓側の座席に座っていたおばあさんがトントンと私の肩を叩き、「あれは富士山ですか?」と聞いてきた。窓の外を見ると、富士山が日の光に照らされて美しく輝いていた。「そうですよ。」と答えると、おばあさんは一言も発することなく見えなくなるまで富士山を眺め続けていた。

東京で富士山を見ながら育った私でも、飛行機から眺める姿は格別と感じる。このおばあさんは九州の方のようだったので、富士山を見るのすら初めてだったのかもしれない。東京で乗ったタクシーの運転手さんが今や羽田に到着してタクシーで富士山を見に行く中国からの観光客がいいお客さんだといっていたが、国内最高峰という以上の魅力をもっているのだろう。

しかし富士山の見え方というのはアングルによって異なる。羽田から関西方面や福岡に向かう便は火口が見えるくらい近くを通るので、迫力はあるがあまり美しいとは感じられない。一方、鹿児島あたりから羽田に向かう便はずっと沖合を通るので、北斎の浮世絵のように駿河湾を前景とした景色が見られる。また、富士山の南側を通るので、天気のいい日は日の光に輝いて実に美しい。

機窓から眺める景色でもう一つお勧めなのが関西空港から東京に向かう夜の便だ。空港まで送ってくれた大阪の友人が「夜景を見に生駒山まで連れて行く時間がなく残念」といっていたが、おそらくその比ではないだろう。離陸後左方向に旋回する機内からは大阪湾岸の夜景が神戸方面まで一望できるのだ。たまたま左の窓側の席を選んだのだが、とても得をした気分になった。

同じ料金を払うのであればいい景色が見られるに越したことはない。一度の出張でなるべく多くの面談をこなそうという発想になりがちな私は、間際まで飛行機の予約をしないことも多く、窓側の席がとれないことも多いが、飛行ルートを頭に浮かべつつ、なるべくいい景色が見られる側の席をとるように心がけている。

(写真は冬の羽田空港の日の出。これもまた格別の美しさ)

2012年2月12日日曜日

CDプレイヤー


「安物買いの銭失い」とはよくいったものだ。香港で買った北京語の教材についていたCDを聞こうと大手量販店にポータブルCDプレイヤーを買いに行った。そこに置いてあったのは中国のメーカー2社のものとソニー製の計3種類。値段は中国製のものがいずれも2000円台、ソニー製の方は4000円台だった。かつて何万円もしたものがいつの間にこんな価格になってしまったのかと驚くとともに、これでは日本のメーカーはやっていかれまいと思った。

どれを選んだらよいものか迷って店員さんに違いを聞くと、中国のメーカーの一つはあまり品質がよくないとの答え(っていうか、そもそもそんなものを置くんじゃない!)。もう一つの中国のメーカーのものはまだましだが、品質で選ぶならソニー製との答え。昔いた会社の製品に全幅の信頼があれば迷わず2000円余分に払ったのだが、そうでもなかったのでつい中国メーカーの方を買ってしまった。機能はさして変わらないというし、数千円しかしないものの2000円の違いというのが大きく感じられたからだ。

ところがどうだろう。このCDプレイヤー、買って一週間も経たないうちにまともに再生しなくなった。買った量販店の修理コーナーに持ち込んだところ、斜めにすると光学ピックアップがうまく信号を読み出せなくなることがあるとのこと。なんじゃそりゃ?ポータブルCDプレイヤーの意味ないじゃん!新しいものに取り換えてくれたが、差額を払ってソニー製のものにすることはできなかった。おまけにほかに苦情は来ていないのかと聞くと、元が安いからか苦情は少ないといわれ、まるで修理に持ってきた私がセコいみたいなことになってしまった…。

それにしても大手量販店が品質に疑問がある製品を平気で並べるなんてちょっと驚いた。2000円をケチった私がいうのも何だが、これも日本人が値段の安いものしか買わなくなっているからだろうか。最近はネットやコンビニで買う日用品や文房具(特にPBブランド)の質の低さに驚かされることがあるが、購買力が落ちて行く国の悲哀を感じさせ、実にさびしい…。

2012年2月4日土曜日

恵方巻


3週間ほど前、事務所の下のコンビニに行ったところ、「恵方巻の予約受付中」という貼り紙がしてあった。消費が低迷しているとはいえ、恵方巻がテレビの番組などで全国的に知られるようになったとたん、それまでそんな習慣はなかった関東でも売り出すなんてなんたる便乗商法。

それにしても節分に恵方に向かって黙って太巻きを食べるなんて誰が思いついたことなのか。バレンタインデーのチョコレートのように販促を狙った太巻き屋が節分と恵方にかこつけて縁起がよいと宣伝したのが始まりかもしれない。私の地元には太巻きや押し寿司を売る老舗の寿司屋があるが、今年の節分は行列ができていたというから、日本人の縁起好きと感化されやすさには驚く。買った人たちはおそらくいわれた通りに恵方に向かって黙って食べたのだろう。

縁起がらみのこととなると一度やり始めると毎年やめられなくなるのが日本人の悲しい性。私はあえてそうならないように太巻きを食べようとは思わなかったが、実家で美味しいロールケーキを食べ、それでならやってみたいと口走った。ところがどうだろう。出張先の岡山の駅ビルで実際に売っていたではないか。ケーキ屋も同じことを考えたようで、便乗というものにはきりがないようだ。ただこうしたことで消費が刺激されるなら必ずしも悪いことではないか…。

2012年1月29日日曜日

ドミグラ丼


先週は広島と岡山を一日でまわる“二県またぎ”の出張をした。昨年は広島と山口(下関)の組み合わせで日帰りをし、新幹線が通っているルートであれば無理なくできることは実証済みだ。

広島までのフライトはあのボーイング787型機だった。座席は特に座り心地がいいとも思わなかったが、心なしか音は静かで、シェードの代わりに窓の下にあるボタンで透過光量を調整する電子カーテンは実に革新的。また、やはり新しい機体というのは気持ちがいい。3年ほど前にアメリカのボーイング社の工場を見学したとき、世界の航空会社で初めて同機を発注したANA向けの機体がラインの先頭にあるのを見た。その後納期がだいぶ遅れ、昨年ようやく日本に到着したのがニュースとなったが、私が乗った機体がそれだったとすれば久しぶりの再会だ。

広島での面談の後、午後一で岡山でのアポが入っていたため、すぐに直行すればよかったのだが、岡山で食べたいものが思いつかなかったので、広島駅の駅ビルにあるお好み焼き屋でお昼を食べていくことにした。以前行った有名店はかなりがっかりだったが、今回はちゃんとタクシーの運転手さんに聞いていったので、期待に違わぬ味だった。しかし焼きあがるまでだいぶ待たされるので、時間がない人にはお勧めできない。私も余裕で乗れると思った新幹線に乗れず、岡山での面談に遅れるという失態を演じてしまった(もちろんクライアントに広島でお好み焼きを食べていて遅れたなどとはいえない)。

わざわざ広島で食事をしていったのは前述の通り岡山で食べたいものが思いつかなかったからだが、今回の出張では岡山のタクシーの運転手さんから「ドミグラ丼」なるものを教わり、勧められた店に行ってみた。要はカツ丼のカツを卵とじにする代わりにデミグラスソースをかけたものなのだが、これが結構うまい。名古屋の人には申し訳ないが、みそをかけるよりはよほどメイクセンス。この店ではふつうのカツ丼とセットで注文できるが(もちろんそれぞれのサイズは小さ目)、ふつうのカツ丼はごくふつうの味なのでドミグラ丼だけをフルサイズで注文するのがよいと思う。

親の話では私は幼い頃から気に入ったものだけをひたすら食べ続けていたらしい。今もそれは変わらず、オフィスの近くにいくらでも食べるところはあるのに、決まった数店をローテーションでまわっている。(こうした冒険をしない性格からか、会社も小さいままだが、これも対外的には「規模を追ってサービスの質を下げないため」ということにしている。)次回広島と岡山に行くときも同じ店に行ってしまうことは間違いないだろう。

2012年1月21日土曜日

ソニー

「ソニーって大丈夫なんですか?」最近たまに聞かれるが、10年以上も前に辞めた私には正直わからない。何期も赤字を続けても持ちこたえていられるのだから規模が大きく事業が多角化していることは強いのだろうというくらいに思っていたが、ムーディーズが同社の長期社債の格付けをBaa1にまで下げた(しかもネガティブアウトルック)というニュースを聞き、いよいよ黄信号がともったのだろうかと思った。

テレビの討論番組で「電機業界は日本でもっとも競争力のない業種」と断じた経済評論家の言葉を聞き、私が何となく感じていたことが間違っていなかった気がした。自動車と並んで日本の代表的な産業といわれてきたが、デジタル化とキーコンポーネントの外製化によって商品の差別化が難しくなり、価格競争に巻き込まれやすくなった。コスト高の日本のメーカーは競合上不利で、利益の落ち込みによって投資に充てられるお金も減り、さらに不利な状況に陥るという悪循環が始まって久しいように感じる。

この評論家はまた、日本が競争力があるのはキーコンポーネントで、サムスンの携帯電話が売れれば売れるほど日本の韓国に対する黒字が増えるといった。確かに他社に真似できないコンポーネントを作っている企業は完成品メーカーとは比べものにならない高い利益率をあげている。

ただソニーの誰も今日のこの事態を想定していなかったかといえば決してそうではない。私が在籍していた1990年代には業容の転換を図らなければならないと唱える経営者がいたが、まわりがついて来なかった。当時の花形で、多くの経営幹部を輩出していたテレビ事業が今や赤字の源泉となっているのを見ると、過去の成功体験がいかに危険なものかを感じる。

ソニーに再生の道はあるのか?これも私にはわからない。ただ私が在籍していた当時検討されていた持ち株会社化は有効な施策と思う。これによって持ち株会社の経営陣はポートフォリオの管理や組み換え、事業間のシナジーの醸成や新規事業の立ち上げに集中することができ、持ち株会社にぶら下がる各事業会社は経営責任が明確になるとともに有効な経営評価尺度を与えられれば自律的に収益の改善に取り組むことができる。

では同社にそのような自助努力ができるのか?それはあまり楽観できない気がする。いかんせん何期も赤字を続けている経営者がそのまま残って毎年多額のボーナスを受け取っている上に、昔ながらの後継指名をしようとしているように見える。早々に株を売ったのは私にしては珍しくいい判断だったかもしれない。

2012年1月14日土曜日

食べログ

食べログのやらせ騒動。ばれたきっかけが月島のもんじゃ焼き屋に突然できた行列というのが笑える。フランス料理屋とかだったらわかるが、もんじゃ焼きなんてそもそもそれほど味に差がつくものではない。なのに食べログのランキングで一位になるとさっそく行列しに行く人たちがいるというのだから、こうしたビジネスがはびこるわけだ。

昨年札幌に行ったとき、以前ぶらりと立ち寄ったラーメン屋に行列ができていた。そこは街中をちょっと離れた住宅街にあり、札幌で行ったラーメン屋の中で特においしい店ではなかった。店の近くで営業している整体師さんに聞いたところ、地元のテレビで紹介されたとのこと。その整体師さんも「たいして美味しくもないのに」といっていたので、私の好みの問題とはいいきれまい。

テレビ局がこのラーメン屋を取り上げた経緯は知る由もないが、いつ行っても空いていて近所の人もあまり評価していない店が突然紹介されることに違和感を覚える。雑誌に紹介されている料理屋も実際に行ってみると期待外れなことが多いので、こちらも何かしらの裏があることは想像に難くない。こうした旧来のメディアへの信頼の低下がネットの口コミへの依存を高めた一因かもしれない。

かくいう私も口コミサイトはよく利用する。しかしそれは初めて行く店によほどの問題がないか知るための予防策でしかなく、書かれていることをすべて真に受けるわけではない。また、経験上偏った意見が多く書き込まれていると感じるサイトは避けるし、可能な限りクロスチェックもする。そもそも人の味覚は千差万別なので、自分が味覚に信頼を寄せている人の情報以上にあてになるものはなく、こうしたマニピュレーション可能な媒体は割引して読むのが鉄則だろう。

2012年1月7日土曜日

香港


12月の後半は欧米のお客さんが冬眠状態に入るので、例年だと休暇をとるのに絶好のタイミングだが、昨年の年末は大みそかまで積み残しの仕事をすることとなった。しかしどこにも行かないのも癪なので、年明けの数日間でも旅行に出ようと思い立った。

旅行先をあれこれと考えているうちに、日本航空のマイルが貯まっていることを思い出し、ハイシーズンなのでダメ元と思いながら調べてみたら、元日以降は結構空きがあった。しかもかなりのマイルが今年の前半に期限切れとなることに気づき、行き帰りとも羽田便に空席があった香港に行くことを即断した。日本航空には経営破たんされて株で損をさせらされたので、この上マイルをエクスパイヤーさせることなど考えられない。

思えば初めて香港を訪れたのは20年余り前だった。当時町中にあり、飛行機が高層の共同住宅の間をかすめるようにして着陸していた啓徳機場を知る人間はもういい歳といえるだろう。その後も中国への返還の前後に留学先のアメリカのビジネススクールのクラスメートたちや会社の同僚と訪れたが、投資銀行時代の2002年にM&Aの仕事で行った後は足が遠のいていた。

今回滞在した尖沙咀(チムサーチョイ)辺りの町並みは昔と変わらず、新興のチェーン店がそこかしこに現れ、一方で以前行った足裏マッサージ屋や粥の店がなくなるなど、店の入れ替えが見られるくらいだった。香港に来るたびに通った老舗の飲茶レストランは同じ場所にそのままあったが、料理を乗せたカートで席をまわる方式から注文形式に変わっていた。

返還前の香港は「深夜特急」にも描かれた猥雑といった感じの独特の雰囲気があったが、その後町がきれいに整備されていくとともに、ちょっと味気のない町になってしまった気がする。ここのところ足が遠ざかってしまっていたのも一つにはまた行ってみたいという気がわかなかったこともある。そんなこともあって今回はせめてショッピングでもしようと私にしては珍しく小型のスーツケースを転がしていったが、結局これといってほしいものが見つからず、半分空のまま帰って来てしまった。

今回行って改めて香港の“中国化”が着実に進んでいるように感じた。返還前に教育を受けた世代は英語が流暢だが、北京語教育が始まった後に教育を受けた若い人たちは外国人相手の接客をする店でも英語がおぼつかなかったりする。かくいう私も今回香港でしたいちばん大きな買い物は北京語の学習教材で、滞在中にスカイプでチャットした(もちろん英語で)北京のビジネスパートナーと近いうちに北京語で会話しようなどと大口を?たたいてしまった。それが実現すれば今回香港に行った甲斐があったといえよう。

(写真は九龍側から望む香港島)