2010年1月30日土曜日

ブルックス・スポーツ

高輪のアメリカンクラブで行われたメディア向けのイベント。主催者はアメリカのブルックス・スポーツというランニング用シューズメーカー。聞きなれないブランドだが走る人たちの間では知らない人がいないほどよく知られていて、アメリカでは市場シェアがトップに迫る勢いとのこと。ランニングシューズなど目新しい製品でもないのになぜこれほど急速に台頭するメーカーが出て来たのか、にわかに興味がわいた。

かのウォーレン・バフェットが出資しているこの会社、バフェット銘柄らしく戦略が非常に明快。あれもこれも手出しせず、ランニング用のシューズにのみ特化している。このため広く一般にブランド名を知らしめる必要がなく、あれもこれもやっている大手のスポーツ用品メーカーのように人気スポーツ選手を起用した広告宣伝も行わない。経営資源をより走りやすく機能的な製品の開発に充てることができるため、この分野においては他社の追随を許さないのだそうだ。

一つの分野に特化し、経営資源を集中しているというのは強い。このメーカーはあらゆる足のサイズと形、体重、そして用途に合ったシューズを取りそろえている。取材の合間に来日していたブルックス社の社長に冗談めかして「運動不足の中年男にも合うシューズはあるのか」と尋ねると、「あなたにぴったしのものがある!」と即答された。何も運動不足の中年男が自分のことだといったわけではないのだが…。

ちょうどジョギングを再開しようと思っていたこともあり、ふつふつと購買意欲がわき、仕事も忘れてスタッフに足の状態を調べてもらった。体重や用途(ランニングかウォーキングか)、一回の使用時間などを聞かれ、さらに座った状態と立った状態で地面からくるぶしまでの高さを測って筋肉の状態を調べられた。私は運動不足との判定で、体重を聞かれて「これから減らす予定だけど…」と前置きする見苦しさ。

面白かったのは左右の足のサイズに1センチの違いがあったこと。これまで26.5cmか27.0センチの靴を買っていたが、大きいほうの足は27.5センチあって、靴を買うならそちらに合わせないと足を痛めるという。こんなことどこの靴屋にも教えてもらったことがない。1センチの違いというのはとても大きいように感じるが、そのくらいの差がある人は珍しくなく、私と同じで本人が気づいていないだけとのこと。調べてもらってよかった…。

かつて私が勤めていた電機メーカーは本業とはおおよそ関係のない金融や小売、レストラン業にまで手を広げていった。最近テレビでよく流れている傘下の保険会社のCMを見ると「お前はいったい何屋になりたいんだぃ!」とつっこみたくなる。エレクトロニクス事業の落ち込みをほかの事業が埋め合わせているという人もいるが、はたして本業の弱体化は経営資源の分散と無縁だったといえるのか、改めて考えさせられた。

2010年1月24日日曜日

キャピタルロス

日本航空株を売らないかという証券会社からの電話。二束三文で売るまでもないと思っていたが、何でも一応売却しないと確定申告のときに損失を控除できないとのこと。そこで一株2円で売ることになった。

しかし有価証券の売却損はほかの所得とは相殺できない。3年間繰り越せるというが、それはそれで面倒くさい、というか安い料金で請け負ってくれている税理士さんに申し訳ない。売却益が出る株を売って日本航空株の損失と相殺することにした。我ながら面倒を避けるための決断だけは早い。

証券会社の人に私がもっている銘柄で上がっているものはないかと聞くと、ソニーが上がっているとの答え。いくらの値がついているか聞くと3,020円といわれ、即刻売ることにした。ソニーをカバーしている知り合いの証券アナリストに3,000円になったら売るようにいわれていたからだ。1,800円くらいで買ったはずなので、いくらかの売却益は出るはず。

株価は個別銘柄の状況よりも市場全体の動きに左右されることが多いので、これから株価全体が戻したらもっといい価格で売れるのかもしれないが、コスト高の会社が厳しい価格競争に巻き込まれているというのは日本航空の状況とよく似ていて不安になっていた。ソニーのIR(投資家との窓口)の話では業況が好転する見通しも立っていないという。

ソニー在職中に持ち株会を通じて買った株はその後の株価下落で売却損を出して売るはめになった。今回は純粋な投資目的で買ったのだし、同じ銘柄で二度失敗したくない。賢明な判断と思いたいが、かといって元いた会社がどうかなることを望むわけではない。複雑な心境だ。

2010年1月21日木曜日

八ツ山通り散策


一昨年神谷町から御殿山の開東閣裏に移転したアメリカンクラブで行われたイベントに参加するため、新入社員時代に通っていた八ツ山通り(通称ソニー通り)を歩いた。私が最初に勤務した昔の本社ビルは跡形もなく取り壊され(写真)、マンションが建設されているようだった。後に勤務した通り向かいにある2つのビルはそのままに残っているが、本社ビルが芝浦に移転したせいかひっそりとしていた。

ソニーの需要に大きく依存していると思われた近隣の飲食店だが、昼食時間に行われる役員会の食事を提供していたそば屋や、本社のお偉方が仕事の後に飲みに行っていた近くの飲み屋はまだ営業しているようだった。この飲み屋では夜な夜な会社の内情に関わる話がされていたので、この店の主人は誰よりもソニーの事情に通じているといわれていた。一方、ソニー需要が減ったためかはわからないが、姿を消した店や看板が掛け変わっている店もあった。よく食べに行っていた本社近くの寿司屋が店名をそのままに定食屋に変わっていたのには驚いた。

10年ひと昔というが、私がこの通りを歩いて会社に通っていたのはもうふた昔も前の話になる。新入社員のときに20年前のソニーを知る人は大先輩といった感覚だったが、私も会社に残っていたら今の若い社員にそのように見られていたのだろうか。留学時代の同級生(といっても年齢は私よりだいぶ上)からの年賀状に、娘さんがソニーに就職したと書かれていたことを思い出した…。

事務所に戻った後、たまたま用事があって私が新入社員時代に同じフロアで働いていた人物(今は同業者)に電話をかけた。昔本社ビルがあった跡地を見て来たなどと話しながら、こんな話ができる相手もすっかり少なくなってしまったと思った。思えば当時から本社ビルが2回変わっている。何年後になるかわからないが、再びこの地を訪れたときにはそびえる高級マンションを前に、ここは昔…なんて話をするようになっているのだろうか。

2010年1月16日土曜日

甲州ワイン

甲州ワインをイギリスに売り込むためにロンドンで大規模なテイスティングが行われたという。海外展開を試みる理由が国内市場で輸入ワインとの競争が厳しくなっているからという。アメリカのワイン産地でもっともおいしいといわれる小規模なブティーク系のワインは国内で消費される量で充足されてしまうので輸出にまわらないものが多い。海外に出して売れるほど競争力のあるワインであれば国内で十分に売れると思うのだが。

私は大のぶどう好きで季節になると山梨産のぶどうを買って食べるが、当地のワインを飲んでおいしいと思ったことはない。昨年能登を旅行した際に地元のワイナリーに立ち寄って試飲してみたが、やはり水っぽくてとてもおいしいといえる代物ではなかった。日本の風土はワイン用のぶどうの栽培に適していないという話を聞いたことがあるが、それが真実味をもって感じられた。実際に大手メーカーの中にはぶどうを海外の産地から輸入して国内の自社の醸造所でワインにしているところもある。

今回のイベントをワインの有名産地がある大陸欧州ではなく、イギリスでやったというのが興味深い。やはりワインの本場でやる勇気まではなかったのか。イギリスでは軽いワインが人気だそうで、味にこだわりのある国民でもないので(失敬)、物珍しさも手伝っていくらか売れるかもしれないが、美食家の国で同じようなイベントを開いたら立ち直れないくらい酷評されてしまうかもしれない。このあたりは主催者側も心得ているのか。

お茶の葉は緑茶も紅茶も烏龍茶も皆同じだとかで、最近は緑茶の価格が下がっているため国内のお茶農家でも紅茶を作り始めているところが多いと聞く。しかし鳥取で買った大山産の紅茶も、静岡の業者に頼まれて試飲した当地産の紅茶もまずくはないが海外の有名産地のものにはとうてい及ばない。逆にスリランカで試飲した緑茶は嗜好の違いはあるかもしれないが日本で売れるレベルではなかった。土壌による違いなのか製造の技術によるものなのか、あるいはその両方なのか。

世界中のものが流通する時代、土壌であれ、気候であれ、製法であれ、ほかの国にまねができない強みのある商品でないと勝算はないだろう。日本産のものだと価格も安くないだろうからなおさらだ。日本人が海外のおいしいワインの味を知ってしまった以上、甲州ワインの売れ行きが伸び悩むのは当然のこと。輸出にこだわるなら、むしろ食用のぶどうを近隣の国々に売ることに注力してはどうかと思う。

2010年1月12日火曜日

上場廃止


日本航空の上場廃止の報。いよいよ来てしまったか。株主的にはいちばん避けてほしかったのだが…。金融機関が貸付金の棒引きをしているのに、優先順位が劣後する株主の利益が守られるのはおかしいとの指摘はもっともである。しかし自らの懐に関わるから文句をいっているといわれるのを覚悟でいえば、今回の一連の事態には釈然としないものを感じる。

まず今回の事態に至った原因。もともと高コスト体質ではあったが経営陣はその負の遺産を何とかしようと努力していたはず。むしろ採算が疑問視される地方空港の建設を認めて日本航空に定期便を飛ばさせ、この1年のことでいえば金融危機による旅客の減少にさらに拍車をかけた新型インフルエンザ騒動を引き起こした国や政治家に責任はないのか。これが経営危機の決定打になったのだとしたら、公共インフラを守るという大義にとどまらず国が資金援助する合理性はあると思う。

次にタイミング。国によってばらつきはあるとはいえ、世界全体で景気が回復傾向にあるという今のタイミングでなぜやらなければならないのか。実は今が最悪期で今後は旅客需要も伸び、業況も回復するかもしれない。その場合は当座のつなぎ融資とアメリカの航空会社からの出資で間に合う可能性はないのか。経営陣を入れ替えた効果をアピールするためにこうしたタイミングでここまでやっているのかと勘繰りたくなる。

などと小口株主がいってもいたしかたのないこと。結果を受け入れるしかないのだが、株主優待券をどうすればいいのか迷う。これも日航にとって一種の債務だろうが、保護される優先順位がわからない。紙くずになるなら早く使いたいのだが、経営危機が叫ばれる前後から大量に送られてくるようになった上、私が行く先が全日空しか飛んでいなかったりするため、日航の優待券は余りまくっている。今の状況では金券ショップも引き取ってくれないか…。

2010年1月9日土曜日

ナイアガラの滝


イグアスの滝とビクトリアの滝を見たことで世界三大瀑布はナイアガラの滝を残すだけとなった。旅行代理店に勤める友人が1位と2位にランク付けした滝を見てしまった後ではわざわざ3位を見に行くべきか迷うところだったが、ビクトリアフォールズで同じホテルに泊まっていたカナダ人夫妻にトロントから日帰りで見に行かれると聞いて急にその気になった。というのも今回の旅程の最後の訪問先がカナダのバンクーバーで、途中トロントで飛行機を乗り継ぐことになっていたからだ。さっそく航空会社に連絡をしてバンクーバーまでの乗り継ぎ便を変更した。

ビクトリアの滝では上流で例年になく雨が少なかったためこの時期としては珍しく水しぶきにじゃまされずに滝の全景を見ることができたが、カナダもまた異常気象なのか、トロントに着くと驚くほど気温が高く、季節はずれの雨が降っていた。ボストンに留学していたときに同級生と行ったコッド岬で中途半端な服装の私が寒さで震えているのを見て彼のカナダ人妻が「カナダ人は寒さを甘く見ない」といったのを思い出し、上から下まで重装備で空港に降り立ったのだがまったくの拍子抜けだった。

さすが世界のコマーシャリズムの中心地。ナイアガラの滝の周辺は大手のホテルチェーンやレストランチェーンやらが軒を連ねる一大観光地になっていた。肝心の滝はといえば、カナダ滝とより小規模なアメリカ滝の二つがあり、いずれも水量が豊富で迫力はあるのだが、ビクトリアやイグアスのような美しさがなく、友人のランク付けに賛同せざるを得なかった。朝早い便で到着してほぼ丸一日を滝周辺で過ごし、夜のフライトでバンクーバーに向かう予定だったが、遊覧船も出ていないオフシーズンだったので滝見物はすぐに終わってしまい、到着しておよそ1時間半後にはトロント空港に戻るバスに乗っていた。

これから三大瀑布を見る人には感動を損なうことがないよう、くれぐれもナイアガラの滝を最初に見るようにお勧めしたい。

2010年1月2日土曜日

ケープタウン


中学の世界史の授業で習った南アフリカの喜望峰は一生に一度行ってみたい場所だったが、同国の治安の悪さについては旅行の事前準備として調べるまでもなくわかっていたので当初の旅程には入れていなかった。しかしビクトリアフォールズから次の目的地に向かうためにはどうしても同国の中でももっとも危ない町といわれるヨハネスブルグに一泊しなければならないことがわかり、急きょケープタウンに“退避”することにした。ケープタウンはヨハネスブルグよりは安全と聞くし、帰路は朝早い便に乗ればヨハネスブルグで同日乗り継ぎをして南アフリカを脱出?できる。

ところがビクトリアフォールズからのフライトが遅れて大変な目にあった。機体の到着が遅れた上に、積載重量が予定を超えたために燃料が足りなくなり、隣国のザンビアに立ち寄って給油をしなければならないという。何か釈然としない説明だったが、後に客室乗務員からイギリスの大手石油会社がジンバブエから撤退を始めたために空港に燃料の備蓄がなくなっているのだと知った。出国の段になって一見平和でのどかなビクトリアフォールズの町も混乱が続くジンバブエにあることを再認識させられた。

乗客はクーラーのない空港の待合室で長時間待たされ(虫よけがなくなっていたので汗をかきながらまたマラリアが心配になった)、ようやく機内に乗り込んだらまたクーラーのない状態で長時間待たされ、離陸してほどなく到着したザンビアの空港で給油を受けた後も何の説明もないまま炎天下の滑走路に駐機された機内でまた長い時間待たされた。このままケープタウンへの乗り継ぎ便に乗れずにヨハネスブルグに滞在することになっては元も子もないので気が気ではなかったが、ぎりぎりで予定していた次の便に乗り込むことができた(ホッ)。

ヨハネスブルグより安全といわれるケープタウンに着いてひとまず安心したのもつかの間、空港から宿に向かうタクシーの中で運転手にペンギンを見に行くにはどうすればいいのか尋ねると、鉄道があるが外国人が乗ると命に危険が及ぶ(life threatening)というから穏やかでない。これまで色々なところを旅行してきたが、こんな強烈なことばを平然といわれたのは初めてだ。ていうか、そんな国がサッカーのワールドカップを開催していいのだろうか…。安全が当たり前の日本から来るサポーターにとっては想像をはるかに超える状況で、彼らの身に何も起こらないとは思えない。

滞在先のB&B(ベッド・アンド・ブレクファスト)は市内でも安全といわれる高台の高級住宅地の中にあったが、それでも暗くなったら近距離でもなるべくタクシーで移動するようにいわれた。命は金に代えられないので、テーブルマウンテン(市内や喜望峰を一望することができる、てっぺんが平たい山)やウォーターフロントなどの市内の観光はすべてタクシーで回り、郊外にある喜望峰、ペンギン園、ワイナリーなどは2日に分けてツアーで回ることにした。

滞在はそれなりに楽しいもので念願の喜望峰を見ることができたのも(何があるわけでもないただの岬だが)嬉しかったが、ケープタウンも失業率が30数%といわれる南アフリカ社会の現状と無縁ではなく、とりわけ安全が当たり前の国から来ている人間には積極的に勧めることはできない。行くのであれば常に最大限の注意を払い、市内の観光はタクシー、郊外へはガイド付きのツアーで行くことだろう。

(写真はテーブルマウンテンから望む、喜望峰に沈む夕日)