2009年7月25日土曜日

ソウル


実質20年ぶりのソウル。ずいぶん近代的な町に生まれ変わっていて驚いた。厳密にいえば7年ぶりだが2002年に当時勤めていた投資銀行の仕事で来たときには、会社が用意してくれたリムジンで当時開港したばかりの仁川国際空港と滞在先のホテルを往復したくらいで、町をゆっくり見る時間もなかった。

短い滞在なのでなるべく移動時間を短くしようと羽田・金浦間のシャトル便に乗ったが、その効率のよさに驚いた。羽田空港のこじんまりとした国際線ターミナルに入るとすぐにカウンターと自動チェックイン機があり、その裏手には出国審査場、そして階上の待合室へと続いている。行列することもなくすぐにゲートにたどり着いた。金浦空港でも同様で、ゲートから入国審査場まですぐ、税関も行列もなく、あっという間に入国できた。パスポートを携帯しなければならないことを除けばまさに国内旅行感覚だ。中国に行くときもぜひ羽田を利用したい。

大学時代の秋休みに初めて韓国を訪れて以来、会社の同僚などと何度か訪れたが、日本の航空行政の失敗も手伝って近年著しい発展を遂げている新しい国際空港(仁川)とは対照的に、かつてソウルの玄関口だった金浦空港もすっかり静かな空港に変わっていた。また、空港と市の中心部も近代的な地下鉄で結ばれており、路線図を見ると以前はバスかタクシーでなければ行かれなかったところへも市内を縦横に走っている地下鉄で行かれるようになっていた。

ひとり旅なのでホテルは市内に今年開業した大手財閥系の高層ビジネスホテルを予約した。空港から乗り換えなしで行かれ、市内のおもだった場所へのアクセスもよさげというのが選んだ理由だが、ウォン安とはいえ一泊1万円しないので部屋にはあまり期待していなかった。ところがいざチェックインすると真新しい部屋は東京の一流ホテル並みの広さで、機能性重視で無駄なものがいっさい置かれていないが、内装や家具は洗練されていてきわめて快適に過ごすことができた。嬉しい驚きだ。

週末に予定がなかったために対馬にでも行こうと思い立ったが日程的に難しく、比較的アクセスがよいソウルに決めたのだが、これといった目的もなかったので町をぶらぶらと歩き回り、あちこちで“買い食い”をしながら過ごした。20年前は道路沿いに屋台が並んで日本人とみれば高い値段をふっかけられたものだが、今は屋台が減り、壁にお品書きが掲げられたこぎれいな店に変わっている。日本語のブログに載っていたテンジャン・チゲの店は行列ができるだけあって実に美味で連日通ってしまった。

新大久保に行けば韓国のものは何でも手に入る時代。中央線沿線の人間としてはソウルまで出かける動機づけが薄くなっていたが、これほどアクセスがよく、国内旅行感覚で行かれるなら、気分転換にまた行ってみたいと思った。

2009年7月20日月曜日

トムラウシ

この山の名前をこのような形で聞くことになろうとは思いもよらなかった…。

大学生のとき、所属していた山岳サークルの夏合宿で1週間余りかけて大雪山系の山々をめぐった。我々が訪れた8月には高山植物の花の見ごろも終わっていたが、美しい山並みと夏の日差しを受けて眩いばかりに光り輝く木々の緑が今でも脳裏に焼きついている。

当時我々が恐れていたのは悪天候ではなくヒグマとの遭遇だった。ヒグマは人が近づくと自分から遠ざかるが、突然遭遇すると襲ってくるということだったので、見通しの悪い森の道を歩くときは皆で準備しておいた笛を吹きながら進んだ。我々がもう一つ心配したのはキタキツネなどを媒介にするエキノコックスという致死率の高い風土病への感染だったが、潜伏期間が10年もあると聞いて自分が30歳を過ぎるのが想像もできない遠い未来のように思えたことを思い出す。その2倍以上の月日が経過した今も元気で生きられているのはありがたいことだ。

今回の事故の報に触れてシルバーの人たちがしかも観光ツアーで行く場所になっていたことを知って驚いた。私が行った当時は時折ほかの大学の山岳サークルの人たちを見かけるくらいで年配の人をお見かけした記憶はない。日本アルプスの山々ほどの標高や険しさはないが、若者の足でも決して楽な行程でなかったと記憶している。しかも天候が悪化すると極楽浄土のような風景は一変し、山肌が露出しているところでは先に進むのがたいへんなくらい強い風と雨が真横から吹き付ける。

しかし考えてみれば私もあと20年もしないうちにその年齢に差し掛かる。いつかまた行ってみたいと思いつつ20年余りの月日が経ってしまったが、現役で仕事をしているうちは昔の山登り仲間と申し合わせて長い休みをとるのは難しく、退職してからツアーに参加するのも無理からぬことのように思える。私自身も似たような状況にあり、脳裏に焼きついたあの景色がますます遠く感じられる。

2009年7月11日土曜日

政権交代前夜?


仕事柄、外国の大使館が主催するイベントにお招き頂くことがある。企業スポンサーがつくイベントであれば、たとえばアイルランドならギネスビール飲み放題、アメリカであればクリスピークリームのドーナッツ食べ放題、スターバックスのコーヒー飲み放題と、中年健診ですべての数値がメタボを示している人間には目の毒だ。

先日出席したアメリカ大使館主催のイベントでは大手ファストフードチェーンの出店と並んでオバマ大統領ご推薦のメニューと称した料理がいくつか並べられていた。七面鳥のチリビーンズとクラブサラダはまずまずだったが、“ミネソタライスサラダ”なる料理はあまりのまずさに一口食べて全部残してしまった。ふだん食べ物を無駄にしないように心掛けている私もお手上げのまずさで、失礼ながらオバマ大統領は相当な味覚音痴なのだろうかと思った。

ドミノピザのコーナーではフレンチばかり食べていそうなイメージの有名料理研究家がピザにパクついていて、クリスピークリームのドーナツをお土産に配りはじめたときにはテレビでよく見かける有名弁護士が真っ先に列に並んでいた。いずれもイメージ的にいかがなものかと思ったが、自宅でデリバリーピザをとったりドーナツ屋の前で行列するよりは、限られた人しかこないこうしたイベントの方が“棄損度”が低くて済むという計算なのか…。

それはさておき、大使主催のイベントでは日本の有力政治家が招かれることがよくあるが、今回のアメリカ大使館主催のイベントには何と共産党の委員長が来ていて、臨時大使といちばん長く話をしていた。時代は変わったものだ。また、最近のイベントでは来賓の顔ぶれから民主党のプレゼンが非常に高まっているのを感じる。ヨーロッパの某国主催のイベントでは与党をさしおいて民主党出身の参議院議長が挨拶に立っていた。これも日本での政権交代を見越しての人選だろうか。

首相の不人気ぶりに、吉田茂の孫が自民党最後の首相となるなんてこともありうるのではないかと思っていたが、最近になってますます現実性を増してきているように思える。選挙に勝つためには票を稼げそうな有名人の候補を立て、過半数の議席を獲得できなかったときにはイデオロギー的に相容れない政党と組んでまで政権を維持してきた党なので、ひとたび政権を失ったら議員の心も離れ、分裂しないとも限らない。もちろんこれまで政権を維持するためにそのしたたかさを存分に発揮してきた政党なので、そうした事態を阻止するために色々な手を使ってくるだろう。今度の衆院選はダーティーな戦いになるのだろうか…。

2009年7月4日土曜日

大崎

元同僚たちとの久しぶりの飲み会。場所はかつて本社があった大崎。職住接近となった今は山手線で渋谷より先(品川方面)に行くことはめったになくなり、メーカー勤めをしていた頃に毎朝通っていたところに行くのがちょっとした遠出に感じる。

それにしても大崎の変貌ぶりには驚く。私が入社した頃には山手線で一、二を争うショボい駅だったのが今は臨海線だの湘南ライナーだのが停まる立派な駅になっている。周辺も再開発が進み、私が入社して間もなく建てられたニュー・シティと呼ばれる駅ビルも近代的な高層ビルに囲まれてすっかり“オールド・シティ”の様相を呈している。

元同僚との飲み会では当然のことながら会社で起きていることや元同僚たちのこと、経営陣のことなどが話題となる。会社を辞めてから時間が経てば経つほど社内の話題にもついていかれなくなるものだが、元同僚の大半は会社に残っており、まだ辛うじて話についていかれる。

我が古巣の電機メーカーは元同僚の一人が“土砂降り”と評する厳しい経営状況だが、近所の商店街にあるソニーショップで薄型テレビやDVDデッキが大安売りされているのを見るとその深刻さが察せられる。社内のムードも停滞気味らしく、元同僚からは「やめられるものならやめたい」といった本音もこぼれる。しかし新卒で大企業に正社員として雇われた立場は雇用の安定性の面でも報酬の面でもかなり恵まれているので定年を待たずに辞めてしまうのはもったいない気がする。特に私と同年代であればあと20年の辛抱ではないか。

話題はさらに芝浦に建った新しい本社ビルに及んだ。昔から立派な本社ビルを建てたメーカーは経営が傾くといわれ、同業の電機メーカーも同じ憂き目に あっているのにこの本社ビルはかなり立派なものらしい。館内には業績発表などで使われる大きなホールに加え、いかにもエネルギーを消費しそうなエレベー ター、さらにショッピングモールでもなかろうにほとんど誰も乗っていないエスカレーターが一日中動いているという。「あんなところにいたらドーパミンが大 量に分泌されて危機感など持ちようがない」のだそうだ…。

こうした株主にとってありがたくない話を含めて同社のやることは経済状況が変わっても、経営環境が変わっても、業界の勢力図が変わっても、私がいた当時とあまり変わっていないように感じられる。同社の変わらなさは大崎の発展ぶりとは対照的だが、思い出の場所で昔の同僚たちと会うのはいつも変わらず楽しいものだ。