2013年5月25日土曜日

隔世遺伝

こういう言葉があるということは実際にあることなのだろうと想像はしていたが、先日会食でご一緒した九州の銀行の幹部の話を聞いて確信した。この方は東京の私学を出てこの地銀に就職されたのだが、お父上は東大出の素粒子物理学者で息子さんも今東大で素粒子の研究をしているという。お父上と息子さんは話が合うものの、その会話がご自身にはチンプンカンプンなのだそうだ。家では奥さんがナントカ障害ですぐ絡んでくるそうで、お気の毒に思えたので、「よい遺伝子を後世に引き継ぐ大役を果たされたので、よかったじゃないですか。」などと軽口をたたいてしまったが、黙って聞いていた方がよかっただろうか…。

2013年5月18日土曜日

FDA

「小牧は今後も旅客用に使いますよ。」福岡空港で名古屋行のフライトを待つ間、2年前に愛知県庁の職員がいった言葉を思い出した。羽田からアクセスの悪い成田に国際空港をつくったり、どうみても採算の合わない地方空港をつくったり、我が国の国土交通行政は驚くほど合理性を欠く判断を繰り返して国の借金を膨らませ、国際競争力をそいできたが(ソウルの仁川空港は金浦空港の延長線上にある)、中部国際空港の開業で小牧の民間利用をやめるといった愚かなことが行われずにいることは実に喜ばしい。採算性が疑問視されつつ開港した静岡空港をハブとしていたはずのフジドリームエア(FDA)が小牧に軸足を移しつつあることで、全国の主要都市から名古屋へのアクセスが格段によくなり、東京から福岡に出張した帰りに名古屋に寄ることも容易にできるようになった。これは名古屋の経済にとって間違いなくプラスだろう。1時間余りの短いフライトでも飲み物と抹茶味のウイロウ的茶菓子(さすが静岡&名古屋)まで出る。そして何よりも間際に購入しても運賃が安い。福岡ではメガ航空会社が競合する路線だけ値下げを宣伝していて、そのあまりのわかりやすさにあきれたが、こうした地方発のLCCがますます増え、健全な競争を生み出すことに期待したい。

2013年5月11日土曜日

ロンドンデリー

商用で訪れた北アイルランドのロンドンデリー。「ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)」で知られるこの町を訪れるのは三度目だったが、今回はホストの計らいでガイド付きのツアーに参加したことで、ようやくこの町の複雑な歴史について理解することができた。17世紀前半にフランスなどの外敵の侵略から町を守るために、イングランド王の命でロンドンの商工業者が資金を出して城壁が築かれ、第二次大戦中にはドイツ軍のUボートがやって来たというから、今はのどかなアイルランド北部のこの町が地理的に重要な場所であったことがわかる。紛争時代の1970年代から80年代にかけては町のそこかしこで爆弾が爆発し、城壁の中で被害を受けなかった建物がほとんどなかったというからすさまじい。城壁の砲台では、貴重な戦力である成人男子を暴発事故で失わないために、危険な点火役を子どもにやらせていたという話を聞き、小学生の頃ドキュメンタリー映画で見た1972年の血の日曜日事件が起きた現場では、現キャメロン政権になってようやくカトリック系の若者たちを銃殺したイギリス軍の非を認めたということを知った。ところでロンドンデリーの本来の名前はデリーで(綴りが違うが日本語ではインドのデリーと同じに聞こえてしまうため、私はあえてロンドンデリーといっている)、もともと当地に住んでいたカトリック系の人たちの中にはロンドンデリーと呼ぶことを嫌う人が多い。しかし自らもカトリック教徒のツアーガイドはロンドンとの歴史的なつながりのおかげでイングランドから大勢の観光客が訪れ、アイルランド人の懐を潤してくれるのは喜ぶべきことと冗談めかしていって笑いを誘った。ちなみにこのガイドはTripadvisorでトップの評価を受けている予約待ちの人だそうだが、間際に電話で予約を申し込んできた女性がスーザン・ボイルと知って特別に時間をやりくりしたという。そんなガイドの案内を受けられたのは実に幸運だった。

2013年5月3日金曜日

ライアンエアー

ろくな評判を聞かないアイルランドのLCCライアンエアー。ほかの航空会社が飛んでいないロンドンデリーからロンドンまでのフライトに乗ることになった。片道およそ9ポンド(およそ1,400円)という謳い文句だが、実際には発券手数料、荷物の預け入れ費用、クレジットカード手数料など、ふつうの航空会社であれば航空券代に含まれているものを加えると5,000円を超える。さらに事前にパソコンでチェックインを済ませ、搭乗券を印刷して来ないと空港で70ポンド(およそ1万円)取られるというから驚く。フライト当日、時間通りに飛行機に乗り込んで出発を待ったが、いつまでたっても動き出さない。しばらくして機長から、エンジンをかけるのに必要な部品がなくなっているので、別の方法でエンジンを起動させようとしているという驚くような説明があった。しかしまた長い時間何も起きず、冷房の切れた機内が暑くなってきた頃に「やはりエンジンがかからないので、ほかの空港から技術者を派遣する」との説明。その後しばらくして「別の機体をロンドンから送ることになったのでいったんターミナルビルに戻るように」との指示。結局4時間遅れの真夜中過ぎに代わりの飛行機で出発し、ロンドンのホテルにチェックインできたのは午前4時過ぎだった。いくら安いとはいえ、こんな危なっかしい航空会社は日本では誰も乗りたがらないと思うが、国民性の違いからか乗客の誰もが慣れた感じで文句もいわない。私自身はスケジュールを調整してでも今後は何としても避けようと心に決めた。