2009年1月25日日曜日

がんと腰痛

先日民放の番組で、ある専門医が「人体には一日に5千個ほどのがん細胞ができていて、免疫機能が衰えるとそうしたがん細胞が破壊されずに増殖する」という話をしていた。また昨年はNHKの番組で腰痛の回復には安静ではなく運動が有効であることがわかったとする研究結果がさも世紀の大発見であるが如き扱いで放送された。しかし7年前からかかっている鍼の先生にそうしたことを聞かされていた私には何ら驚くようなことではなかった。

7年前に腰痛どころか少しでも動くと背中から腰にかけて激痛が走る症状に見舞われた私は病院でも原因がわからず、そのまま寝たきりになりかけた。心が休まることがない投資銀行勤務をしていたときで、これからどうしたものかと病床で思案していたところ、駅の近くに“万病を治す”が如き怪しげな看板を掲げている鍼灸院があったことを思い出した。西洋医学が解決しないなら東洋医学に頼るしかない。考えてみれば東洋医学のほうがよほど歴史が長く、経験の蓄積も大きいはず。歩くのもやっとの状態だったので塀を伝いながら普通なら10分とかからない道のりを30分以上かけて歩き、その鍼灸院にたどり着いた。

60代と思しき大柄でがっちりとした鍼灸師は私の肩や背中、腰を触診して原因は運動不足による内臓機能の低下にあり、背中とか腰の問題ではないといった。背中全体が岩のように固まっていたため、いちばん細い針でも刺されるたびに激しい痛みが襲い、額からあぶら汗がにじみ出た。何年も通ってわかったことだが、針を刺されて痛く感じるのはそれだけ筋肉が硬直しているからで、筋肉が柔軟さを取り戻した後は針を刺されると逆に気持ちがよくなって施術中に眠ってしまうこともある。

ようやく施術が終わった後、先生から「どんなに痛みがあっても毎日外を歩くように」とにわかに信じ難いことを言い渡された。こちらは激しい痛みでゆっくり歩くのもやっとなのに、いったいこの先生は鬼か!と思った。しかし内臓機能を活性化させるには腸のぜん動運動が不可欠で、それを起こすのにもっとも効果的なのがジョギング、それができないのであればウォーキングをしなければよくならないという。いわれた通り鍼治療に通いながらウォーキングを続けると徐々に痛みもひき、軽いジョギングまでできるようになった。発症した当日に行った病院で空きベッドがなかったために入院を免れ、この鍼灸院に通うことになったのはまさに幸運で、あの日あのまま入院していたら今自分はいったいどうなってしまっていただろうかと思う。

この先生が常日頃から口にしていたのは「安静にしてはいけない」であった。安静にするということは体力を落とし、内臓機能も低下させ、病気を治すどころか悪化させるというのだ。いわゆる腰痛もしかりだ。私がインフルエンザにかかってふらふらしながら行ったときも施術の後に何キロかジョギングして来いといわれて驚いた。また何たる鬼のようなと思ったが、ふらふら歩きで近所の川沿いの遊歩道を何キロかウォーキングし、その後教わった方法で体を温めて休んだら翌朝には予定していた京都旅行に出かけられるほど回復した。2003年にSARSが流行したときには死者が出ている原因は「肺炎にかかっているのに横にして寝かせているから」だといった。健康な人でも何日も病院に寝かされていると肺の機能が低下する、せめて上半身を縦にした状態で休ませなければ肺炎の患者はどんどん悪化するといった。

この先生のところに通い始めてから4ヵ月後に当時勤めていた投資銀行に辞表を提出した(健康上の理由からではない)。担当顧客からもらっているIPO案件を失いたくない経営陣から何ヶ月か先延ばしするよう求められた。後任に仕事を引き継ぐだけとなり、時間に余裕ができたので長らく受けられずにいた健康診断を受けにいくとレントゲン検査で腹部に黒い影が映った。すぐに紹介を受けた虎ノ門の病院で手術を受けることになったが、何と摘出に失敗されてしまい、ただ痛い思いをしてお金を取られただけで終わってしまった。(入院・手術のことは家族にもいわないでいたため、ここの病院が医師の間でもすこぶる評判が悪いことを知ったのはその後だった。)もともと痛いことが嫌いな人間なので何とか再手術を逃れたい思いから別の二つの病院に行って再度調べてもらったがやはり腫瘍がはっきりと確認され、早く切ったほうがいい、さらには放っておくと危ないとまでいわれた。

西洋医学に否定的な鍼の先生には一連の病院通いについて話さずにいたのだが、サード・オピニオンまでクロと出るとさすがに万策尽きた感があり、ついに打ち明けることにした。すると先生は「切ってもいいけどそれで問題は解決しない。がんと呼ばれるものはヒトの体内で発生する異常な細胞で、代謝が正常に起きていれば正常な細胞に置き換わる。自分が行っている施術はつぼを刺激するといった一般的な鍼治療ではなく、体の中の細胞を人為的に壊して再生を促しているのだ」といった。つまり代謝を改善しないと腫瘍をきってもまた体の別の場所で同じことが起きるというのだ。他界した父の舌癌が肺に“転移”したと聞いたときに、なぜ血管を流れるわけでもないものが体のまったく違った部分に“移る”のかと思ったものだが、代謝の乱れによるものだったら体のどこで起きても不思議でない。また、その代謝が改善しない限り“再発”を繰り返すというわけだ。「抗がん剤はがん細胞と同じように正常な細胞をも破壊するのできわめて危険」という先生の話も抗がん剤を打たれるたびに目に見えて衰えていった父の実体験と重なる。

再生を促すために細胞を壊すという話を聞いて先生が体を貫通するかと思うほど長い鍼を使っている理由がわかった。レントゲン検査で腫瘍が見つかった場所はどのあたりかと聞かれ、そこをめがけて太くて長い針を差し込まれた。先生の話は我々がとらわれてしまっている西洋医学の常識とあまりにかけ離れているため、はじめのうちは半信半疑で腫瘍を切らないことへの不安もあったが先生にいわれるがままに鍼治療に通いながら運動を続け、その後6年余りも生き続けているのだから真実は意外なところにあるのかもしれない。先生の話が世に受け入れられるにはまだまだ時間がかかるだろうが、前述のような“専門医による新発見”が重なれば西洋医学の常識が見直されていく可能性はあるだろう。

2009年1月24日土曜日

カムジャタン

久しぶりの友人たちとの飲み会。場所は新大久保の韓国料理屋。同じ年にソニーに入社したいわゆる“同期入社”の韓国通が勧める店で、豚の背骨とじゃがいもを煮込んだカムジャタンという料理を出す。日本の韓国料理屋というと焼肉もビビンパも冷麺も置いていていかにも総花的であるのに対して、韓国ではそれぞれに専門店があり、同じ店でこうしたメニューをそろえることはあまりないという。いわれてみればそのような気がする。特にサムゲタンは専門店でしか食べた記憶がない。

同じように外国の和食屋に行くと寿司にうどん、天ぷらなどのメジャーな日本料理が普通にメニューに並んでいたりするが、日本ではそれぞれの専門店で食べることが多い(和歌山のラーメン屋には巻き寿司がおいてあったりするが)。来日したインドの取引先の人を都内のインド料理屋に連れて行ったところ、本国ではサモサとカレーが同じ店で売られていることはないといっていたのを思い出す。

総花的であるということはその国でメジャーになったメニュー以外は切り捨てられることになる。どのようなものか想像できないと客はなかなか入らないので、それもいたしかたがないことだろう。カムジャタンなる料理もはじめて聞いたが、日本ではメジャーにならなかったため、こうした専門店でしか出されないのだろう。そして何年ぶりかで行った新大久保はすっかりハングルの看板があふれるコリアタウン化していたので、こうした店も成り立つのだと理解した。

カムジャタンは確かにおいしく、しかも前菜、サイドディッシュ、ビール、まっこりにペクセジュ(百歳酒)、さらに座布団サイズのチヂミでお腹を満たしても一人5千円いかない安さだった。また、ビール会社、水産、光学機器、素材など、違った業種で働く幼馴染や元同僚の話を聞くのも楽しかった。サラリーマンをやめてからグループで食事に行く機会がめっきり減ったが、暖かくなる前にもう一度行ってみたい。

2009年1月17日土曜日

定額給付金とガザ攻撃

最近すっかり政治離れをしている私は、見ていてあまり明るい気持ちにならない政治家の討論番組は極力避けるようにしているが、先日テレビをつけっぱなしにしていたら各政党の代表が景気対策について論じる番組がはじまった。世論の支持がない定額給付金に関してどう見ても旗色が悪い与党がどのように説明するのだろうと思ってみていたのだが、元宝ジェンヌの公明党の女性議員が議論を打ち切らんとばかりに「給付金はやらせていただきます!」ときっぱりと発言するのを聞いていったいこの国の政治はどうなってしまっているのだろうかと思った。

“キャスティングボート”という言葉があるように、議会で安定多数を占める政党がないときには少数政党が議席数以上の力を持つことはありうるが、彼女の発言は国民のごく一部の支持しか得ていない政党の人間がいう台詞ではない。こうした物言いは小選挙区制のもと、公明党がもつ固定票に頼らなければ当選がままならない議員を多く抱える自民党との力関係をよく表している。公明党が世論の支持がない政策を強引に推し進めようとしているのは自分たちの支持者と約束したことだからという理由のようだが、国民全体ではなく自らの支持者にしか目がいっていないような政党がこの国の政治を動かしているとしたら健全な状況とはいえまい。

一方、年末から年始にかけての国際ニュースのヘッドラインはイスラエル軍によるガザ攻撃だった。過激派にロケット弾を打ち込まれたからといって無差別に反撃を行い、何百人もの民間人を殺害するのは虐殺以外の何ものでもあるまい。かつて大量殺戮の犠牲となった民族が今度はほかの民族に対して同じことをやっているのだからどうしようもない。イスラエルがこのようなでたらめを行えるのは国内世論の支持があることと、超大国アメリカの無条件の支持が得られるとの自信があるからにほかなるまい。そして民主主義、人道主義を口にし、自らが国際社会の代弁者であるかのように発言する当のアメリカもイスラエルの期待にしっかり応え、その意のままに発言、行動する。まさにダブル・スタンダード(二重基準)であり、アメリカ国民全体の利益とはほど遠い。

アメリカの人口のたかだか2%しかいない民族がその経済力を背景に政治に大きな影響を行使し、国民の血税を自らに都合がよいほうに振り向けさせるというのは今の日本で起きていることと似ているが、その影響の深刻さという点では桁違いだ。何せアメリカは世界(唯)一の超大国で、アメリカの政府を動かすことは全世界に影響がおよぶ。サブプライム問題で話題となったレバレッジにたとえれば100円の自己負担で100万円分のお金(そのほとんどが人様のもの)を動かすようなもので、そうした意味ではアメリカが提供する最新兵器による攻撃に晒されているアラブの人々だけでなく、そうしたからくりについて知らされることもなく税金を徴収され、自らがつくった敵との戦いに駆り出される多くのアメリカ国民も被害者といえるかもしれない。

2009年1月5日月曜日

紀伊勝浦

年齢とともに寒さが身にしみるようになっている今日この頃、年末の休みを利用して南紀の勝浦に 行くことにした。この地を訪れるのは二度目だが、太平洋の大海原から吹く暖かい風、水平線から昇る朝日、海を見下ろす岩場に湧く温泉、水揚げ量日本一を誇る近海産まぐろ・・何度来ても飽きそうにない。

ただここは東京からのアクセスがすこぶる悪い。新幹線で名古屋まで行き、そこからさらに3時間半特急に乗ってようやくたどり着く。新幹線よりもずっと短い距離をより長い時間をかけて行くことになるわけだが、紀勢線の車窓から見える海や山の景色には心を癒され、時間も忘れる。

帰省ラッシュのピークが過ぎた月曜日の早朝に家を出て昼過ぎに紀伊勝浦の駅に到着した。紀伊勝浦駅のホームに降り立つと暖かい南国の空気に包まれる。南紀白浜や鹿児島、八丈島の空港でも感じるこの感覚が何ともいえない。前回来たときに観光案内所の人に勧められた駅前の飲食店でマグロ定食を食して腹 ごしらえをした。

シャトルボートで沖合に浮かぶ島にある滞在先のホテルに行くために港に続く道を歩いていくと、店頭にみかんが山と積まれた店を発見した。以前来たときはまったく気づかなかったのは季節でなかったからだろう。値段を見ると何とキロあたり350円だった(安っ!)。試食すると東京であれば値のはる部類に 入る甘さだった。さすが紀州。さっそく10キロ入りを買って東京の実家に送った。

今回滞在したのは島全体がホテルになっている大きな施設だった。こうした大型のホテルはあまり好みではないが、朝日が望める絶好のロケーションでいくつもの温泉があると聞いて選んだ。実際に行ってみると評判に違わぬ大きさで、ホテルの中が一つの町であるかのようにいくつものお店やゲームセンター、マッサージ店やレストラン、カラオケボックスまであった。朝、敷地内にある山のてっぺんから眺める日の出もすばらしかった。

関東の人間は勝浦というと千葉県の勝浦を思い浮かべる。和歌山県にあるのはあくまで“紀伊勝浦”だ。しかし実際には和歌山県の勝浦が元祖で、房総の勝浦は紀州から移り住んだかつお漁の漁師たちが故郷の地名をつけたに過ぎない。千葉県の白浜ももとは南紀白浜から来ているという。電機メーカー時代に合弁 交渉の相手だった大手部品メーカーの和歌山出身の経理部長から聞いた話だ。

しかしホテルの部屋でテレビをつけると職も住む場所も失った人たちのニュースが流れ、悠長に避寒旅行などしている我が身を省みて一抹の罪悪感を感じる。もちろんそんな感傷は何の役にも立たないのだが。2009年は明るい年になってもらいたいものだ。