2012年11月24日土曜日

モスコミュール

どちらかといえば垢抜けない大学に通っていた私は社会人になるまでカクテルなるものを口にすることがほとんどなかった。そんな私がカクテルの奥深さを知ったのは後年会員となったゴルフクラブのチーフバーテンダーの渡邉さんが作ったモスコミュールを飲むようになってからだ。1933年生まれの現役最年長バーテンダーといわれ、日本ホテルバーメンズ協会(HBA)の特別功労賞を授与された重鎮である渡邉さんがバーカウンターの中で黙々と作るカクテルは大叩きをしたとき(といってもいつものこと)の憂ささえも吹き飛ばしてくれる絶妙の味だった。渡邉さんがいない日に頼むカクテルは材料も配合も同じはずなのにまったく別物で、何が味の違いを生み出すのか不思議でならなかった。ところがここ数カ月クラブのバーカウンターで渡邉さんの姿を見かけなくなり、最近のクラブの会報でお亡くなりになったことを知った。記事を読むと渡邉さんが作るモスコミュールに魅せられたのは私だけではなかったことがわかった。世の中に人の記憶に残る仕事ができる人はそれほど多くないだろう。あと何年あのゴルフクラブに通うかわからないが、ラウンド後にバーカウンターに行く度に渡邉さんのモスコミュールの味を思い出すことだろう。

2012年11月16日金曜日

士族

出張先の福山で高校時代の友人に会った。岡山の高校に通っていた彼とは同じ団体の派遣生としてカリフォルニア州に留学したことから知り合い、偶然同じ大学に進んだが、学部も違っていたのでその後付き合いが途絶えていた。ところがここのところ商用で毎月広島・岡山方面に行くようになり、ふと彼のことを思い出し、名前をグーグってみたところ、地元の福山に帰って司法書士をしていることがわかった。福山駅近くのニューキャッスルホテルのロビーで待ち合わせ、お昼を食べながら聞いたところでは、長年勤めた大手証券会社が不祥事を起こしたことをきっかけに退職し、それから司法書士の勉強を始めたのだという(相変わらずの努力家)。そして比較的自由がきく“士族”(“士”のつく国家資格の職業)の身なので、また来るときには声をかけてくれといわれた。考えてみればソーシャルメディアもやらない彼と再会できたのも、士族稼業を始めたことで同業のディレクトリーに載るようになったからで(本人は目立たず細々とやりたいのでウェブサイトも作っていないという)、彼がサラリーマンを続けていれば再び会うこともなかったかもしれない。

2012年11月10日土曜日

広島

「広島の人は外に出たがるから。」県庁で面談した人がいった。確かに東京で広島出身の人をよく見かけるし、神宮球場や横浜スタジアムに対広島戦の試合を見に行くと、結構な数の広島ファンが集まっていたりする(しかも応援が激しく、そんな人たちで埋め尽くされているであろう広島の球場はちょっと怖くて行かれない)。この県庁の人によると北海道の新千歳空港から札幌に向かう列車に乗っているときに通る北広島の町も広島からの移民がつくったのだという。そういえば私が高校時代の1年間を過ごした北カリフォルニアに住む日系人もそのほとんどが広島からの移民とその子や孫たちだった。広島は山陽道が通っているので昔から人の行き来が盛んだったという説を聞いたが、それなら岡山も条件は同じはず。何か県民性に由来するものがあるような気がする。国でいえば日本よりも韓国の方が外に出る人が多く、中東では同じアラブ系でもエジプト人は国を離れたがらないのに対して、レバノン人は外に出る人が多いという。経済状況や人口密度(耕地面積)といった要因もあるのだろうが、近隣の地域や国同士でもこうした違いが出てくるのは興味深い。

2012年11月4日日曜日

Sibos

大阪で行われた世界最大の金融業界の商談会。国内外の大手行が勢揃いしていずれ劣らぬ豪華なブースが立ち並ぶ。欧米の銀行はブースの中にカフェカウンターをつくって(中には本国からバリスタを連れて来ているところも)淹れたてのラテを振舞い、日系大手は日本庭園を仕立てたブースでお茶をたてたりきらびやかな打掛を飾ったり。夜のレセプションは市内の一流ホテルで豪華なバフェに舞台では舞妓さんの踊りや和太鼓のパフォーマンス。最終日には大阪城ホールを借り切っての一大パーティー。これでもリーマンショック後に地味になったというから驚く(かつてウィーンで行われたときには宮殿を借り切ったとのこと)。一方、関西のローカルニュースでは地元に本社を置く大手家電メーカーの業績不振が報じられ、投資銀行時代にそのうちの一社のCFOに同行してパリの機関投資家を訪問し、最高級レストランで接待したことを思い出した。お金を動かす人々と一円一銭を切り詰めてものを作る人々。自分がかつて身を置いていた業界が対極にあることを改めて思い起こした。