2019年4月27日土曜日

赤化統一

昔聞いたこの言葉も国力に差がつきすぎてもはや死語となったものと思っていたが、今の韓国大統領の北へのすり寄りぶりは、もしやそれを望んでいるのではと疑うほどだ。しかしあのような経済が疲弊した独裁国家と一緒になることにメリットがあるのだろうかと思っていたところ、一部の財閥が富を独占し、一般の国民は大学を出てもまともな仕事に就けない韓国の状況は相当深刻で、自力で財閥を解体できない大統領にとってのウルトラCが北との統一という話を聞き、まんざらありえない話ではないと思った。しかも核保有国になれば日本に対してもより強く出られる。構想は実はさらに大きく、中国と協調して東アジアの超大国の一角になることを目指しているというが、アメリカが同盟国であるはずの韓国に伝えた機密情報が中国に「ダダ漏れ」で、もはや信用されていないという話と符合する。単独では大国に太刀打ちできなくても、アメリカに代わって世界一の経済大国になるのも時間の問題の中国と連携すれば格段に影響力が増す。実現したら日本は「赤組」に対峙する最前線となってしまい、決してありがたい話ではないだろう。

2019年4月21日日曜日

大阪人 in 名古屋

「関西の人は東京の人は嫌いでも、九州の田舎から来たといえば仲良くしてくれる。」関西の大学に通っていたという福岡の会社社長が神戸の知人にいった。そのことよりもちょっとショックだったのは、ふだん親しくしているその知人が思い切り賛意を示したことだった。東京で「東京感」を出しているのも、テレビドラマのロケで使われるようなおしゃれな場所に住みたがるのもたいがい地方の出身者(私の大学でいちばん都会的な服装をしていたのは岡崎出身の人だった)なのだが...。一方、名古屋には大阪嫌いが多い。日本の製造業の中心で、大阪に勝る面が多いゆえのプライドかもしれないが、中には管理能力のない大阪の電力会社が福井で原発をやっていることが迷惑(事故が起きたときに被害を受けるのは風下にあたる名古屋)とまでいう人もいる。しかし大阪の人たちを前にそうしたことをいうはずもない。ヘビーな河内弁を話すITコンサルタントから名古屋の企業から大事な契約が取れなかったと聞き、営業のときくらい標準語を使えば結果が違っていたのではと思った。また、名古屋で行うセミナーの運営を委託した大阪の会社の人が関西弁でMCをやっているのを見て、レセプションにほとんど人が残らなかったのはそのせいではないかと疑った。(この人物は兵庫の人だが、関西以外の人に区別はつかない。)本人を目の前にして本音をいわないのが人間の常。こうしたことは全国各地にあるものと想像する。

2019年4月14日日曜日

地方選

「今度はもっとまともな若手が知事になるから」松江の知人がいったのは何か月前のことだっただろうか。前の知事は与党に担がれただけで地元愛などなく、知事などやめて早く東京に戻りたい人だったとも聞いた。ところが与党が公認したのがその若手ではなく、別の人物だったことに少々驚いた。同じく何か大きな問題を起こしたとも聞かない福岡の現職知事に与党が対抗馬をぶつけたと聞いてまた驚いた。伝統的に地元の電力会社の長が会長を務めてきた経済連合会のポストに与党副総裁の弟がなっていたことを聞いたのもその頃だった。こうしたごたごたの裏で糸を引いていたのが、その家に生まれてこなければ国会議員になれる器でもなかった二世・三世議員たちと聞いて納得するとともに、選挙結果を見て自民党であれば誰にでも投票する地方の人たちも代替わりし、そうした世襲議員たちの言いなりにはならなくなっている印象を受けた。島根の新知事には鳥取に負けないよう頑張ってもらいたいが、髪型はコンサバ目に変えた方がいいかもしれない。

2019年4月5日金曜日

新元号

新元号発表の日、テレビでは各チャンネルとも朝からお祭り騒ぎで祝賀ムードの押し売り。どこか一局でも別の話題をやってくれたらそちらを見たのに、選択肢がないなんてまるで全体主義国家だ。発表された元号の?さにコメンテーターも言葉少なだったが、それが選ばれた経緯について明かそうとしない官房長官のこわばった表情に自信のなさが表れているようにも思えた。国粋主義的とする海外メディアの反応が的を得ているかはわからないが、日本の古典にこだわっても漢字自体が中国のものなのだから意味のない抵抗だろう。ほかの候補を聞いてまだましな方かと思ったが、そもそも?な候補があがるのは有識者なる人たちに任せているからではないだろうか。一般の国民の投票の中から選べばもう少し納得しやすい元号になったことだろう。それにしても卑弥呼の装束で有識者会議に現れた元ニュースキャスターの相も変らぬ「イタさ」ぶりが印象的だった。あんなのと同席させられたら誰しも「一緒にされたくない」と思うだろうが、本人にはそうした想像力が働かないらしく、震災の被災地で高価そうな毛皮のコートを着てテレビ中継して批判を浴びたときから何ら学習も成長もしていないのが垣間見えた。一般の感覚と大きく乖離した人が「有識者」に選ばれている時点で元号を選ぶ場としてふさわしくないだろう。実際のところずいぶん大げさなことをやって決めたわりには、昭和天皇の崩御で急いで決めた「平成」の方がよほど納得しやすかったように思う。