2010年8月28日土曜日

防火・防災講習


秋葉原にある神田消防署で2日間にわたって防火・防災管理者講習なるものを受講した。以前の事務所では有資格者がいたのでお願いしていたが、今の事務所には資格をもった人がいないので仕方なく?私が受講することにした。

今の仕事を始めて我が国の官僚諸兄が退官後の天下り先確保のためにさまざまな“仕掛け”を作っている実態を目の当たりにしてきたが、この講習に参加して消防庁とて例外でないことがわかった。講習を受ける際に数百ページにわたるテキスト2冊と、およそ読み返すことがないであろう1,000ページを超える消防法の法規集を4,600円で買わされる。神田消防署だけで毎日新たに260人が受講するので一日でおよそ120万円の売上となる。事業仕分けで自動車の運転免許更新時のテキストが問題になったが、防火・防災研修で配られるテキストも御多分にもれず『公益財団法人東京防災指導協会』なる団体が作っている。さらに受講が一巡して売上が減らないようにか5年に一度の“再講習”まで義務づけている。

しかしさらに問題なのは社員をまる2営業日の間拘束することで、これをお金に置き換えるとテキスト代をはるかに超える負担になるし、人手に余裕がない零細企業にとってはたまったものではない。講習は我々が本当に知っておくべき消火器や消火栓の使い方、避難誘導のし方といった内容にしぼれば半日もかからないしオンライン学習で十分対応可能なのだが、もともとは防火管理者だけで1日の講習だったのが地震などに備えて防災管理者なるものが作られ、講習も2日間になったというから驚く。しかも講習を実施しているのは都内では3か所の消防署のみで、家から遠くても時間をかけて行かなければならない。

講習2日目の最後には認定試験が行われるのだが、その直前に出題される内容と二者択一の答えを教え、しかも各机に備え付けられているディスプレイで前に座っている人の答えが丸見え。20問中13問正解しなければ“補講”があるといいながら260人のうち誰一人として落ちる人がいないのだからばかばかしい。本当に管理者に必要な知識を身につけてほしいのであれば視覚に訴える動画をふんだんに使ったオンライン学習に切り替え、試験は受かるまで何度でも受けられるようにした方がよほど効率的であり、現に私の会社のクライアントである海外の政府機関はそのようなやり方をしている。

今回の講習に参加して改めて民間の感覚とかけ離れた官の実態を目の当たりにした気がする。経済が厳しい状況にある中で官が民に合理的な範囲を超える負担を強いるのは大きな問題だが、消防行政となると誰も表立ってその意義を否定しづらいのでなかなか見直されないかもしれない。今後もこのようなことが続くと思うと気が重い…。

2010年8月21日土曜日

羽田の再国際化

羽田空港の再国際化のニュースは感慨深いものがあった。幼い頃ロサンゼルスに赴任する父を見送ったのも、その後を追って母と兄と日本を発ったのも羽田からだった。当時まだ4歳になるかならないかの年齢だったが、雨天の中、展望台から飛行機を眺めたことや、空港でもらった花束を機内でスチュワーデスに捨てられたこと(検疫上の理由からだろうがそんなこともわからない年齢だったのでかなりショックだった)、当時はロスまで直行便がなかったため、ストップオーバーしたホノルルで日系人が経営するおにぎり屋に行ったことなどが断片的に思い出される。

ただ私が羽田の再国際化を歓迎するのはそうしたノスタルジックな理由からではない。日本の航空行政の失敗を取り戻すにはそれしかないと思うからだ。成田からの直行便がない中東などに行くときに大韓航空を利用してソウルのインチョン空港で乗り継いで行くと非常に便利で、機内に多くの日本人を見かける。東京に住んでいてさえそう感じるのだから地方に住んでいて羽田から成田まで移動してさらに海外のほかの都市で乗り継ぐことを考えるとインチョンに直接飛んで乗り継ぐ方を選ぶのはごく当たり前のことだ。乗客の利便性も考えずに国際線の成田と国内線の羽田とにすみ分けしたことは日本の航空会社にとっても競合上の不利益を生んだことは間違いないだろう。

ソウルもインチョンと旧国際空港であるギンポとの間で国際線と国内線のすみ分けをしているが、成田と羽田と決定的に違うのは市内から同じ方角にあってお互いのアクセスがいいことだ。成田という場所に空港をつくってしまったのもいかがなものかと思うが、乗客の利便性も考えずに成田に国際線を独占させたこともそれに輪をかけて理解に苦しむ判断だ。あれだけアクセスの悪いところに空港をつくってしまったのであればロンドンのガトウィックと同様に国内線、国際線両用にしていれば少なくとも地方の旅客の利便性は確保され、インチョンの後塵を拝することもなかったかもしれない。羽田の再国際化がこうした過去の誤った判断を正していく第一歩となることに期待したい。

先月、海外出張のために成田のカウンターでチェックインをすると搭乗券と一緒に空港施設使用料の値上げを通知する紙切れを渡された。テロ対策で費用がかさんでいるというのがその理由だったが、出張から帰国するとテレビで成田空港のCMが流れているではないか…。空港施設使用料を値上げしなければならないくらいお金が足りないならなぜ意味のないテレビCMなど流すのか。CMを見て羽田ではなく成田を利用しようと思う人がいるとでも思っているのだろうか。こうした経営感覚も国際線を独占してきたことの弊害だとすれば羽田との競争にさらされることで改められることに期待したい。

2010年8月15日日曜日

都心回帰

久しぶりに投資銀行時代の同僚と飲んだ席、都心の家賃がだいぶ落ち着いてきていると教えられた。3年前に事務所を神谷町から自宅に近い阿佐ヶ谷に移したときには公私混同ではないかとあらぬ?疑いをかけられたが、港区の家賃が高騰する中、神谷町の事務所の契約の更新が迫っていたという事情があったのは紛れもない事実だ。そして事務所のロケーションを多少なりとも気にする海外のクライアントには阿佐ヶ谷は都庁がある都心から4マイルほど(もちろん直線距離)の場所だと説明して理解を得た。もちろん都庁からどちら方向に4マイルかによって大違いなのだが…。

あれから3年余り。元同僚の話では彼が仕事を手伝っている会社が神谷町の駅近くのそこそこ立派なビルに坪1万円台(2万円未満)で借りられたというから驚いた。それでは3月に転居したばかりの中野の事務所よりもはるかに安く、阿佐ヶ谷で支払っていた坪単価並みということになる。私の通勤には便利とはいえ、中野の事務所は窮屈この上ない狭さで、さらに当地にあるまじき高い家賃を払っていたことを知り、にわかに都心への再移転を考え始めた。

ネットで検索したり、不動産屋から情報を取り寄せていると、いずれの物件も家賃の欄が応相談となっているものばかりで、いかに買い手市場になっているかが伺えた。そしてそうした中、別の知人が神谷町の有名高層ビルから移転した赤坂見附駅前(住所は千代田区永田町)のビルのことが妙に気になった。見附であれば都心のロケーションの中では比較的通勤に便利だし、何よりも駅前というのがいい。しかもうちが必要とする小さめのスペースの物件が出ているではないか。坪単価は2万円台半ばというが、それでもこのロケーションであれば文句はない。

ところが不動産屋に調べてもらったところこの物件はすでに申し込みが入っているとのことで、仕方なくほかの物件を探すことにした。四ツ谷で比較的気に入った物件に申し込みを入れようとしたところ、またも一足先にほかの会社にとられてしまい、いよいよ適当なところで妥協しようかと考え始めていた矢先に不動産屋からくだんの赤坂見附の駅前の物件がまたフリーになったとの連絡があった。何でも先に申し込みをした会社とビルの運営会社との間で条件面で折り合わなかったのだという。やはり応相談だとこういうこともあるのか。すっかり諦めていたところに思わぬ朗報で、当初提示されていた家賃より上がっていたがが、即座に申し込みを入れた。こうして中野に3カ月いただけで3年3か月ぶりに都心への復帰を果たした。

阿佐ヶ谷の事務所にいた頃、地元の名士でもあるビルのオーナーから「竹内君はまだ若いんだから都心でもっとバリバリやった方がいいよ。」といわれたのを思い出す。大病をしたことで残りの人生を心穏やかに過ごしたいとだけ思っていた私は会社を大きくして要らぬ面倒を抱え込む気もなかったので、こうしたアドバイスを受けながらその後中野という何とも中途半端なところに移ってしまったが、いざ都心に戻ると闘志がわくとまではいわないまでも気持ちが引き締まる思いがするから不思議だ。そして何より移転して1週間で多くのランチの誘いを受け、いかに自分が都心で働く人たちから心理的に遠い場所にいたかを認識させられた。

そんな折、今回の急な移転のきっかけとなった元同僚が新しい事務所を訪ねて来た。開口一番「便利だね。」といい、ランチと食後のコーヒーを一緒にした後、別れ際に「前の事務所だとなかなか行く気にならなかったけど、ここなら便利なのでちょくちょく来させてもらうね。」といわれた。こちらが都心に移って来てはじめて知らされた本音で、中野だとか阿佐ヶ谷というのはやはり無理があり、ビジネス上の機会損失もずいぶんあったのだろうかなどと考えさせられた。

2010年8月7日土曜日

MGM

“ジェームスボンドは誰が殺した”。2週間ほど前、移動中の機内で読んだファイナンシャル・タイムズ紙にこんなタイトルの記事が掲載されていた。ウエストサイド物語、ベンハー、風と共に去りぬなどの名作で知られるハリウッドの名門MGMスタジオの経営が絶不調であの007の次回作の制作もままならないのだという。この会社の大株主こそ私がかつて勤めていたソニーである。

同社を去ってから4年後の2004年に同社とアメリカの投資会社のコンソーシアムがMGMを買収したとのニュースに触れたときにはまたライブラリー目的で高い買い物をしているのではないかと疑った。ライブラリーとはスタジオが保有する過去の作品のことで、私が在籍していた頃の同社ではそれに無限の価値があるかのようなことがいわれ、それが高い金を払ってレコード会社や映画会社を買収することを正当化していたところもあった。

しかし私はそうした考えに疑問をもっていた。というのも過去の作品は時を経てリアルタイムでその作品を知る人が減るにしたがって需要は下がる一方で、毎年新たなヒット作が生まれている中である程度の収益力を維持できるのは“名画”として名を残すほんの一握りの作品でしかない。さらに娯楽が多様化し、消費者が音楽や映画の視聴にかけるお金が増えなければなおさらだ。

記事を読むと私の推測通りライブラリーが十分な収益をもたらしていないことが同社の経営危機の原因であると書かれていた。だがソニーがまた高いものをつかまされたのかといえば必ずしもそうではないという。同社の作品はソニーの販路を通じて売られるため思ったほど売れなかったとはいえ一応儲けはあったし、何よりMGM買収のおかげでブルーレイとHD DVDとのフォーマット戦争に勝つことができたというのだ。

当時はフォーマット争いも手伝って映画会社の価格が高騰していたように記憶しており、ソニーが買収に投じた資金に見合うリターンが得られているのかは定かではないが、それでもMGMがあげる利益だけが頼りの投資会社よりはましな状況というわけだ。投資会社を巻き込むことで“自腹”の投資額を減らす一方で戦略上の目的はしっかり達成するなど、コロンビア・ピクチャーズの買収で空前の損失を出したソニーも10数年を経てしたたかさを身につけたのだろうかと移動中の機内で一抹の感慨を覚えた。

2010年8月1日日曜日

三洋電機

関西出張で定宿にしている京都駅に直結するホテルで部屋に案内してくれたボーイさんに渡された夕刊紙を見ると一面にSANYOブランド消滅のニュースが出ていた。パナソニックの完全子会社となり、製品群の多くが重複する以上はしかたがないことか。

思えば今日まで続く私の関西出張が始まったのは投資銀行時代のことで、初めての出張で最初に訪問したのが三洋電機だった。このときのことは9年余り経った今でも忘れることができない。というのも飛行機派の私は余裕をもって大阪空港まで飛んだのだが、乗ったタクシーが高速で大渋滞に遭い、30分以上遅刻してしまったのだ。携帯で面談相手に連絡し、事なきをえたが、初めての面談で何たる失態…。

その後三洋電機と松下電器(現パナソニック)がある守口市へは空港からモノレールに乗れば難なく行かれることがわかった。メーカー時代の私であれば間違いなくそうしたはずで、投資銀行に入って身についたすぐにタクシーに乗る癖が裏目に出てしまったわけだ。ただ大阪の高速ではその後もほとんど車が動かないくらいの渋滞に遭い、オリンピックだのAPECだのに立候補する前にインフラを何とかせい!と思ったものだった。

最初の面談での遅刻にも関わらず、同社からはM&A関連の案件を頂けそうなところまで行ったのだが、その後私がいた投資銀行のマネジメントの干渉で三洋の担当者の頭越しに同社の役員にアプローチして出入り禁止状態になってしまった…。こうして三洋さんから商売をもらうことはついぞなかったものの、今の仕事を始めてからは環境関連のビジネスで再びお付き合いが復活した。

かつて私が勤めていた電機メーカーとライバル関係にあったパナソニックも今や海外市場で韓国勢に押され気味の家電製品から環境などの分野に大きく舵をきっている。経営問題でのごたごたばかりが印象に残ってしまった三洋電機だが、地道に環境事業を展開してきたことが統合後の会社にとって大きな資産となるのではないだろうか。今回の完全買収が会社にとっても日本の環境産業にとっても吉と出ることを願いたい。