2009年10月31日土曜日

鞆の浦


突然の広島出張。といっても行き先は広島市内ではなく、福山からローカル線に乗り換えて45分ほどかかる中国山地の山の中。こんなところにグローバルに事業を展開する企業の本社があるのだから驚く。しかしこうした名の知れた企業が安易に東京に本社を移したりしないのだから立派だ。

面談は午後からだったので当日の朝に東京を出ても間に合ったのだが、朝早い新幹線に乗るのも疲れるし、広島県に行く機会もあまりないので前泊することにした。訪問先の企業がある町まで行って泊まろうかとも思ったが、インターネットで調べると一軒だけあるビジネスホテルはあまりパッとしないイメージで(失敬!)、旅館に泊まるには到着時間があまりに遅過ぎる。また、当地に行ったことがある人に聞くとこの町には面談の前に時間をつぶせる場所がないという。このため少なくとも宿泊場所は充実している福山に泊まることにした。

広島県といえば観光で広島市内や宮島、尾道あたりは行ったことがあるが、福山に滞在するのは初めてだ。昔、日本鋼管(現JFE)に勤めていた叔父の一家が当地に住んでいて企業城下町のイメージしかなかったので、観光で行くなどという発想はもちろんなかった。ところが最近のニュースで埋め立て工事の差し止め命令が報じられた鞆の浦が福山市内であることを知って驚いた。テレビに映し出される瀬戸内の風光明媚な港町の風景が一大工業都市のイメージとはほど遠かったからだ。

こんなタイミングで出張が入り、しかも福山に滞在することになろうとは。この上は朝のうちに鞆の浦に行ってみるしかない。翌朝チェックアウトをした後、荷物をホテルに預けて背広姿のまま出かけた。福山駅前から乗ったバスはやがて市街地を抜け、川沿いの道を進むと車窓から見える景色がのどかな田舎の風景に変わった。そして鞆の浦が市町村合併によって周囲の町村とともに福山市に取り込まれたことが想像された -- あとでこの想像が正しかったことを確認したが、福山市に編入されたのは思いのほか昔の1956年とのことだった。

実際に行ってみると想像していた通りの静かな港町だったが、想像していなかったのは当地が万葉集の歌にも詠まれているほど歴史が古く、『美しい日本の歴史的風土100選』に選ばれるくらい古い町並みがよく残っていることだった。そして平日にも関わらず、そこかしこに観光客の姿を見かけた。何でも瀬戸内海のほぼ真ん中に位置し、横断する船が当地で潮流が変わるのを待たなければならなかったため、古代より“潮待ちの港”と呼ばれる重要な港だったそうだ。しかしこの地方の港湾拠点の座を尾道に奪われてから衰退の一途とのこと。

さて埋め立て問題だが住民のアンケート調査では過半数が賛成しているといい、集落の周辺にはその必要性を説く看板や“生活権優先”と書かれた看板などを見かける。尊重されるべきはそこに生活している人たちの声だが、看板に書かれていた説明に今一つ説得力をを感じなかった。道路が狭いとあるが、一応アスファルトで舗装した道路が集落を貫いており、交通量も多くない。交通事故が多いというがそれは道路の問題というよりも運転マナーの問題。集落の狭い道路をスピードも落とさず走ってくる軽乗用車があり、そうした行為をやめさせるのが本質。そして集落の入口から福山市街まで立派な道路が通じている。いずれにしても海岸線の埋め立ては観光客にとっての鞆の浦の魅力を減じさせることは間違いないだろう。

2009年10月24日土曜日

HDR-TG5V

2か月ほど前に大阪から訪ねてきた大学時代の同級生。待ち合わせ場所の東京駅の丸の内北口の改札を出てくる彼の姿を見て開口一番「ずいぶん太ったね。」という言葉が口をついた。するとすかさず「その言葉、そっくりそのまま返すよ。」といわれた。そういえば彼と会うのは2年ぶりで、その間に私の体形もすっかり変わってしまった。

その彼の手もとを見ると見慣れない形のカメラらしきものを持っている。聞くとソニーのビデオカメラだという。そして彼はそれを構えると、何の断りもなく私の姿を撮りだした。ぶくぶくと肥え太った姿を映像に残されてしまってはたまらない、と思ったが時すでに遅し。しっかりと音声付きで撮られてしまった。

彼は昔からのソニーファン。このビデオカメラは使いやすく、映像データをパソコンに保存するのも簡単でとても気に入っているという。実際に持たせてもらうと驚くほど軽量で縦長の形状が何とも持ちやすい。ただ、旅行先にビデオカメラはおろかデジカメさえも持っていかないことが多い私が買っても持ち腐れになるだろうと思った。

それからしばらくして妹の家に遊びに行くと、今年の6月で1歳になった二人目の甥っ子がよちよち歩きを始めそうな様子だった。しかし肝心の妹は二人の息子の面倒をみるので手いっぱいで、下の甥っ子の姿を映像に残す余裕などなさそう。私も二番目なのでほとんど写真が残らない不遇さを知っている。にわかに友人が持っていたビデオカメラのことを思い出した。

ソニーに入社したての頃、新人研修で赤羽にある電気店に派遣された。同期入社の人たちと当時売り出し中だった8ミリビデオのハンディカムを売りに戸別訪問した。このとき電気店の人から入れ知恵されたのが「お子さんのかわいい姿を残せるのは今しかありませんよ。」というフレーズだった。次々に新しい機種が出るので買うのをためらっているお客さんへの殺し文句だ。電気店のおやじさんは確かに正しかった。

事務所近くのソニーショップに行くと友人が持っていたのと同じ機種の展示品が格安の値段で売られていた。しかしたまたま店を訪れていたソニー社員の人にどうせ買うなら新しい機種のほうがいいと勧められた。「でも値段が倍近いと…」などとためらった風な態度をとるとすぐに店長にいって2万円ほどまけてくれた。しかも三脚付き。

新品のビデオカメラを充電するとさっそく妹の家を訪ねた。思えば妹夫婦には長男が生まれたときもかわいい姿を残せるようにとビデオカメラを買って渡した。当時は子どもが彼一人だったので親が撮影していたようだが、二人目だと手が回らないようなので今回は私がやらなければならない。その代わり今回はビデオカメラはあげるのではなく、私がキープする。

この製品、AV(機器)マニアの友人がいう通り、すこぶるいい。軽くて持ちやすく、映像もきれい。これなら旅行に持って行ってもいいと思う。まだやってはいないが、パソコンにデータを移すのも簡単そう。ソニーの商品開発力が健在であることを改めて認識するとともに、私が新入社員だった頃に比べてずいぶんと単価が下がってしまったものだと思った。(私がためらいなく買える価格帯になったことは個人的には嬉しいが。)

2009年10月18日日曜日

ハブ空港

ひと月あまり前に、所属している千葉のゴルフクラブのコンペで地元の地銀の前会長さんとご一緒した。この方は地元財界のトップで、あの森田健作知事の後援者でもある。一緒にラウンドをしている間に聞いた裏話がその後にニュースになった出来事と妙に一致しておもしろい。

まず不正経理問題。このコンペの翌日に健作知事が謝罪し、記者会見場に居並ぶ県庁の幹部職員に向かってこうしたことが行われていることを知っていた者は手を挙げろという様子がテレビで放映された。誰一人として手を挙げなかったが、前会長の話を聞く限り、誰一人として知らなかった者はいないはず。千葉県庁では伝統的に庶務が決裁権のある管理職の印鑑を一括して預かり、本人たちの代わりにポンポンとハンコを押しているというから驚く。監査はないのかとお聞きすると、もちろんあるが皆地元の慣れ合い業者とのこと。やれやれ…。

千葉県でも行政首長が財政の健全化に取り組むために地銀など民間から人を入れて行政改革に取り組もうとしたことがあるそうだが、部長職を減らすように命じたら別の中間管理職をつくって人件費全体が逆に膨れ上がってしまったというから笑える(千葉県民だったら笑えないか…)。

前会長はコンペの翌日に健作知事と成田空港会社の社長との会食をセットアップしているということだった。何でも石原都知事と個人的に親しい健作氏が千葉県知事に当選すると成田の国際線を羽田に持っていかれてしまうのではないかと心配した成田航空会社の社長が知事選挙で対立候補を応援したため、今になって健作氏との仲直りの場を設定してほしいと頼んできたとのこと。しかし当の健作氏は青春ドラマのスターらしく?そんなことは一切気にしていないという。最近健作知事が羽田の国際化を優先的に進めるという前原大臣の言葉に鼻息を荒げて反応しているのを見て、この会食は成田空港会社側の目的を十分に達成したものとみた。

羽田の国際化がもっとも国益にかなっていることは誰の目にも明らか。早く実現してもらいたい。ただ今回のハブ空港論議で一つ思い出したことがある。石原都知事が最初に知事選挙に立ったときに公約としていた横田基地の国際空港化だ。個人的にはこれが実現すればさらにありがたいのだが、“内際分離”の原則についてコメントする都知事の口からはもはや横田のヨの字も出てこなくなっている。アメリカとの交渉が難しいことは想像していたが、今度は千葉県知事が成田の既得権の維持に走り始めているので、しばらくは議論すらできる雰囲気ではないだろう。

2009年10月12日月曜日

特別講義

仕事でお付き合いのある大学から『ビジネス英語』の特別講義の依頼を受けた。しかもテーマは私自身が到底得意とは思えない交渉術。いかにもこうしたことを教えそうなアメリカの大学院に留学していたからだろうか。

断るのが苦手な私は「私に務まるかどうか・・・」などど消極的な発言をしながら話が立ち消えになることを期待したが、こうしたやり方はこれまでの人生の中で成功した試しがない。私の消極的な発言もただの謙遜と受け取られたのか、今回も失敗に終わり、先月になって担当の先生から講義の候補日をいくつか提示された。もうこうなると後戻りはできない。

確かに留学先のアメリカの大学院で交渉の講義を受けたが、どちらかといえば条件交渉でどこを落としどころにすれば双方にとってメリットのある結論に至るかを定量的に分析するといったもので、交渉自体のスキルを磨くような内容ではなかった。民間企業に勤めていた時代を振り返っても、私の実際の経験といえばメーカー時代に行った赤字の子会社の合弁や売却の交渉と、投資銀行時代にやった顧客への営業活動くらいだ。最近は与えられた予算の中でサービスを提供するパブリックセクター絡みの仕事が多いため、交渉をすることもほとんどなくなっている。

とはいえ引き受けた以上はしかたがない。限られた交渉の経験をできるだけストレッチして、学生が社会人になっときに役立つと思える話をするしかない。準備の日数もあまりない中、過去の記憶をたどりながら考えた結果、交渉の成否を決める重要なポイントとして事前の準備、相手との関係作り、効果的なメッセージの伝え方、交渉の締めくくりについて話すことにした。

交渉の事前準備というのは単に交渉で相手に伝えるべきことや目指す結論について決めておくということにとどまらず、相手(の会社)の置かれた状況を調べてより効果的なメッセージを考えておくこと、そして自分に不利な状況があればそれをなくしておくことを意味する。人は自分(の会社)にとってメリットのあることにしか興味を示さないのが常なので、こちらが何かを売り込もうとしているときには一方的に熱意を伝えても無駄で、それが相手にとってどのようなメリットをもたらすかを納得させなければならない。この製品を買えば業務効率が飛躍的に向上するとか、このサービスを使えば社内の固定費を大幅に浮かせることができる、といったことだ。

また、自分にとって不利な状況がある場合は交渉に臨む前に改めておく必要がある。電機メーカー時代に毎年大きな赤字を出していたフランスの子会社の売却交渉を任されたが、最初に買収を申し出たイギリスの会社からのオファー金額は何と1フランだった(ユーロが導入される前の話)。赤字の原因はその子会社に営業力がなかったことで、営業力のあるイギリスの会社が買収すれば十分に利益が出る見通しがあったが、他に買い手がいないだどうと足元を見られていたのだ。このような状況のままで交渉に臨んでもこちらにとっていい条件を引き出せないことは目に見えていたので、この会社との実交渉に入る前にヨーロッパの同業者に声をかけてドイツの会社を新たな売却先候補として見つけてきた。そのことを知ったイギリスの会社はとたんに買収価格を引き上げてきた。

次に相手との関係作りだが、一回売り切りの商売でない限り交渉相手と初めて会ったときには今後の長い付き合いを見据えて好ましい印象を与えておくに越したことはない。身だしなみはいうまでもないが、笑顔で握手をするとか、相手の目を見て話すといったことは基本だろう。自分がそうするのと同じように相手もこちらが信用に足る人物か見極めようとしていることにも留意したいが、こればかりは自分と違う人物を演じてもいずれボロが出るので自然体でいくしかない。そしてすぐには本題に入らず、少し相手とおしゃべりをするのが望ましい。交渉相手が外国から来ている場合には日本は初めてか聞くのもいいし、天気の話でも景気の話でも時事ネタでもいい。これは交渉を行う雰囲気作りに役立つし、いきなり本題に入ってガツガツとした印象を与えないようにするためにも有効だ。

実際の交渉でのメッセージの伝え方だが、私の経験からいうとできるだけ少ない単語数で簡潔にポイントを伝えるのが効果的だ。我々日本人が外国語である英語で交渉する場合はなおさらだ。日本語で商談をするときには長々と周辺情報を述べた後で結論を伝えることが多々あるが、そうした周辺情報は結論の合理性を納得してもらうためのものだったりして、どうしても伝えなければならない内容ではない。英語でそれをやってしまうと肝心の結論がぼやけてしまいかねず、英語が母国語でない我々であればなおさらだ。私も何度も経験しているが、10を聞いて10が頭に残っている人というのはまずいない。よくて半分である。その頭に残っている半分の中に肝心のポイントが入っていなければ10話したこともすべて無駄になってしまう。

もう一つ交渉で重要なのは相手もだらだらと周辺情報を伝えて来ることがあるので、その中で何が自分にとって重要な情報なのかをしっかりと選り分けて、結論と関係ない情報は切り捨てて行くことだ。こうすることで頭の中が整理でき、目指す結論に持って行くことができる。また、相手がいいたいことが10あるのだったらさえぎらずに全部いわせることだ。そうしないと相手に“言い残した感”が残ってしまい、なかなかお互いが納得のいく結論に至れない可能性がある。内容が何であれ、相手がいいたいことはすべていわせた上で関係のない情報は自分の中で切り捨てていき、自分に受け入れられないないことには一言NO(できればI'm afraid not.)で返せばよい。

最後に交渉で出た結論は必ず確認しておく必要がある。何が合意され、お互いが次のステップとして何をするのかを確認するのだ。このステップを怠ると認識のズレが生まれ、交渉自体が無駄になってしまう可能性もある。

ここまで考えてふと思った。私が大学生のときにこのような実ビジネスで役に立つ話が聞けていたならどれほど興味深く、また社会人になった後に役に立ったことか。私に特別講義の依頼をした大学では度々ゲストを招いてこうしたレクチャーをやっているそうで、これはとても好ましいことに思える。積極的に引き受けた話ではないが、こうした取り組みの一助となる機会を与えられたことを前向きにとらえ、学生たちが聞けてよかったと思える話ができるように努めたい。

2009年10月2日金曜日

オリンピック招致

リオデジャネイロの順当かつ妥当な勝利。東京の案の定の敗退。すでに開催経験がある都市で、しかも同じアジアの北京でやったばかり。勝算が薄いことくらい誰の目にも明らかであっただろう。なぜ我々都民の税金を使ってこんなことをやってくれたのかと改めて思う。

開催地を決める投票に参加するIOC委員がもっとも重視するのは開催候補地の市民の支持率という。リオやマドリッドが8割を超えていたのに対して東京はダントツ最下位の56%だったという。百数十億円もの税金を使うならせめて招致に賛成するか都民に事前にアンケートをとってから立候補するかを決めるべきではなかったのか。私のまわりではきわめて関心は低く、招致を積極的に支持していた人は一人も知らない。日本国内の候補地選考で東京と争った福岡・九州であればまだましな数字が出ていたのではないかと思う。

一都民としてさらに気になったのが都庁職員の動員のされ方だ。この4年間もの間誘致活動に専念する人を何人も出せるほど庁内に人がだぶついているのか。今回のIOC総会を見物するツアーは格安な料金にも関わらず一般の参加者が集まらず、それを埋めるように都庁の職員が大挙してプライベートで参加したというが、それほど多くの職員が一斉に有給休暇をとっても業務に支障をきたさないくらい人に余裕があるのか。

今回の開催地選びでせめてもの救いはシカゴも事前の評価通りに敗れたことだろうか。開催地を選ぶ最近のIOC総会では国家元首クラスの参加が当たり前のようになっているが、人気のある大統領とその夫人が総会に参加して演説するという本質とは関係のないことで開催地の座を得てしまうようなことがあっては悪い前例をつくることになっていただろう。