2010年3月27日土曜日

コナ


米国本土への出張の帰りに所用でハワイに立ち寄った。“所用”といっても誰も信じないが、日曜日を含めてわずか3日の滞在で、ワイキキには一切足を踏み入れていない。

滞在期間中、ハワイ島のコナに住む元同僚を訪ねた。ボストンに留学していた1992年の夏に当地で“サマージョブ”をさせてくれた不動産投資会社に勤める女性だ。ハワイ諸島最古の教会の裏手にある、コナの美しい海を見下ろすオフィスで日暮パソコンに向かって商業不動産の収益予測をしていたことを昨日のことのように思い出す。ハワイでサマージョブをするといったときにはクラスメートの誰も信じてくれなかったが、間違いなく毎日オフィスに通って働いていた。

思えばあれからもう18年が経とうとしている。サマージョブをさせてもらっていた会社はその後急成長し、私が働いていたときと同じオフィスビルの、広さが倍はあろうかという場所に移っている。ただ不動産不況の影響はまぬがれなかったようで、何年か前に来たときに比べて社員の数が減っていた。元同僚は今やコナのオフィスの最古参で、私を雇ってくれた社長が本土のアリゾナ州に居を移したことでコナのオフィスを取り仕切っている。

アメリカの不況はだいぶ深刻なようで、滞在したホテルがずいぶんと安くなっていたのにも驚いたが、くだんの不動産投資会社が買収したエコノミーホテルも近隣のグレードの高いホテルが大幅な値引きを始めたために苦戦しているという。しかしこの会社はパートナーシップ形式で物件を買収し、担保となる不動産以外に債務が発生しないノンリコースローンで資金を調達しているため不動産の価値が下がっても会社自体は安泰だ。

こうしたビジネスモデルを考えた同社の社長はボストンの有名大学で化学を専攻し、私が通っていた大学院で経営学修士(いわゆるMBA)を取得した。ハンガリー系移民の父親が経営していたニュージャージー州のパルプ会社を受け継いだが後に売却し、不動産投資の世界に転じた。大学時代のクラスメートのアメリカ有数の大富豪などが出資者となり、不良債権化した商業不動産を競売で買って、修繕や占有率の向上などでその価値を高めてから売却し、高いリターンを得て来た。

今思えば、超零細企業を経営する私もずいぶんと彼の教えに影響を受けている。まず拡大志向に陥らないこと。彼は不動産市況がいいときには年率に換算して30%を超える高いリターンを実現していたため、ほかの投資家からも運用の打診を受けていたが、これらの投資家は既存の投資家と同じ水準の報酬を払いたがらなかったためあっさり断ったそうだ。利益率を犠牲にしてまで利益額を追及しないのだ。規模のメリットがものをいう産業でない限り、経営の安定の観点からは拡大志向に陥らない方が賢明だろう。

「固定費を低く抑えろ。」これも彼の教えである。ビジネスには浮き沈みはつきもので、固定費が重いと売上の減少が利益を大きく圧迫し、経営の危機を招きかねない。固定費は製造業などが宿命的に背負っているが、これを最小限に抑えることができれば不景気による売上の減少に負けない体力をつけることができる。私の会社の場合、固定費は事務所の家賃や運営費用くらいで、私やコントラクターの給与を含めてすべて変動費化している。それだけに売上が減ると自らの収入に直に影響するが、私はプライベートでも固定費が低い地味な生活を送っている(これが自慢すべきことかははなはだ疑問だが…)。

思えば大企業勤めをしていた私が初めて身近に接した企業家がこの不動産投資会社の社長だった。彼がいなければ私がこの地を訪れることもなかったし、こうして起業することもなかったかもしれない。元同僚と当時と変わらない海辺のバーに行くと、彼女が携帯でアリゾナにいる社長に電話をかけた。向こうの時間で日曜日の夜9時だというのにまだ事務所で仕事をしていた。今年で70歳になる彼の当時と変わらない快活な声を聞き、“所用”で立ち寄ったハワイで思わぬ元気をもらった。

2010年3月21日日曜日

ご先祖探し

"Who do you think you are?"英語がわかる人にこんなことをいったら恐らくムッとされるだろう。日本語でいえば「いったい何様のつもり?」といったところだろうか。出張先のアメリカでこのような名前のテレビ番組が人気であることを知った。

何年か前に高校時代にホームステイしていたホストファミリーの娘(といっても今は40代半ばの4児の母)がインターネットで集めた情報から家系をたどっていってメイフラワー号に乗ってアメリカに渡った最初の移民に行き着いたという話を聞いた。どっからどう見ても“アメリカン”でしかないアイルランド系やイタリア系のアメリカ人が自らを“アイリッシュ”だの“イタリアン”だのと呼ぶ北東部ニューイングランド地方の人々ならともかく、西海岸育ちの彼女が自らのルーツに興味をもったというのは意外だった。ちなみにメイフラワー号でやって来た人々の末裔の中には会員組織まで作っている人たちもいるというから驚く。

昨年末南アフリカを旅行したとき、ツアーのガイドさんがアフリカ系アメリカ人が祖先の地であるアフリカにやって来てビジネスを始めようとするが、なかなかうまくいかないのだという話を聞いた。何でもアフリカでは土着の人々が皆同じ人種という意識はなく、細かい部族(tribe)に分かれているため、自分の祖先がどの部族に属していたかがわからないと仲間として扱ってもらえないのだそうだ。アフリカ系アメリカ人の祖先は移民としてアメリカに渡ったわけではなく、家系図を残せる状況にあったわけでもないので、これはなかなか難しいだろう。

前述のテレビ番組は有名人の先祖を調べるというもので、人気女優の何代か前の先祖の一人が奴隷だったといった発見があるのだそうだ。こうした番組の影響でご先祖探しがますます盛んになり、インターネットに掲載される情報が増えていくと、簡単な検索で意外な人たちと血縁関係にあることがわかったりして面白いかもしれない。果たして日本でもこうしたことが流行り出すのだろうか。

2010年3月13日土曜日

引っ越し


「来月で契約が切れるので一か月分の更新料を振り込んで頂けますか。」事務所のオーナーの秘書さんからの突然の電話。“公私混同”といわれながら神谷町にあった事務所を地元に近い阿佐ヶ谷に移してからもう3年も経ったのだ…。

家賃を折半していたクライアントが不況で予算を削減せざるをえなくなり、そのあおりで私の会社の負担が増えていたところにさらに更新料を払ってまで阿佐ヶ谷にいたいという気にはならなかった。今いるビルは地元ではそれなりに名の知れたところだが、それでも所詮は杉並。周囲に初めて訪ねてくる人がわかりやすいランドマークもなければプレゼンテーション資料の製本をしてくれるKinko'sすらない。職住接近の生活は楽ではあったが、ビジネスをやる雰囲気ではない。行き先も決まらないうちにオーナーに退去の意思を伝えて次の事務所を探し始めた。

とはいえ家賃と通勤の(不)便を考えると港区あたりに戻るというのは考えられず、やはり中央線で新宿以西ということになる。ただし電話番号が03圏内でないとビジネス上不都合だし、家賃を折半していたクライアントは予算を削ってもなお、それなりのアクセスと建物の体裁を望んでいたので西荻窪は検討の対象から外れた。さらに私個人の希望として駅前ないし駅から至近の場所にしたいということがあったので自ずと候補がしぼられ、最終的に中野駅近くの有名ビルにあるサービスオフィスに移転することに決めた。

阿佐ヶ谷から中野に移転する旨を顧客に連絡したところ、「不景気な中よく…」といった反応が来た。杉並区民にとって中野区は同じ沿線ということもあって同格というか仲間のようなイメージだが、世間的には阿佐ヶ谷より中野の方が上らしい。東京人であれば誰しも知るビルだけあって坪単価は周辺の倍だが、会議室などが共同になる分、デスクのスペースを今の半分以下におさえて家賃の総額を低く抑えることができた。それでも“アップグレード”したと思われるのなら、それはそれで結構なことだ。

デスクのスペースを半分以下にしたことで4つあったデスクの2つを処分し、常勤していた3人のうち1人を在宅勤務に切り替えてもらった(彼は八王子在住なので喜んでいる様子)。今の時代メールでのやり取りが主で電話も転送できるので、私もあまり通う必要はないのではないかと思っている。サービスオフィスとうい形態は初めてだが、これでうまくまわるようだったら高い保証金や更新料を払ってふつうの事務所を借りる必要はないだろう。

ビルのオーナーの秘書さんから電話をもらってから3週間以内で引っ越しを完了した。この間に移転先探し、条件交渉、契約の取り交わし、新しい事務所に入らない家具の処分、そして引っ越しまでやってのけた。我ながら何たるスピード技。空になった事務所(写真)をながめ、一か月前には想像もしなかった展開に、一人暮らしを始めてから賃貸契約を更新することがなかった自らの引っ越し魔ぶりを思い出した。今度の事務所は更新料がかからないので少しは腰を落ちつけることができるだろうか…。

2010年3月6日土曜日

第二の人生


御殿山のアメリカンクラブで行われたワインのテイスティングイベント。仕事上のお付き合いで行っただけなのだが、せっかくなので業者でもないのにバンバンと試飲させてもらった。

ワインのテイスティングでは数多くの銘柄を試すためにワイングラスにごく少量注がれたワインを味わった後、紙コップや会場に置かれた容器に吐き出して次に行くのだが、私はせっかくのおいしいワインがもったいなく思えるのと、人前で吐き出すことへの抵抗感からついつい飲み込んでしまう。また、せっかく来たのだからなるべく多くの銘柄を試したいという欲張り根性を出して次から次へと試飲をしてしまう。今回はテイスティングの後にアメリカンクラブからも近い懐かしの大崎にあるアイリッシュパブで電機メーカー時代の友人たちと会うことになっていたのだが、会場を出るころにはすっかり千鳥足状態で、パブではひたすらコーラとジュースを飲み続けた。

今回のテイスティング会場で3つの銘柄を上代2000円という値ごろ感のある価格でそろえている業者があり、そのスタンドには私と同じくらいの年齢と思しきブロンドのおじさんが立っていた。聞けば外資系証券会社のJPモルガンの債券(fixed income)部門をリタイヤし、アメリカのワインを輸入しているのだという。取引しているカリフォルニアのワインメーカーは自らぶどう畑をもたず、複数の農園から適宜必要な量を買い入れて醸造しているとのこと。銀座のワインバー経営者に同じ農園のブドウでも斜面上の木の位置など、微妙な違いで実の品質が大きく異なってくるといったウンチクを聞いたことがあるが、このおじさんは醸造技術の方がよほど重要で、よそから買ったブドウでも十分おいしいワインができるといった。試飲してみると確かに価格のわりに美味で飲みやすかった。

アメリカのワイン産地ではシリコンバレーあたりで成功して若くして財を成した人々が農園を買い取って究極のワインづくりを目指したりしているという。第二の人生というと日本では定年後を意味することが多いが、終身雇用が当たり前でないアメリカでは会社で勤めあげて…といった発想はないようだ。それだけに若くして次のチャレンジができるわけで、それはそれでうらやましい身分だ。「竹内さんは定年がないからいいですね。」といわれるが、決まった年齢で組織を追い出されることがないだけで、顧客がいなくなれば否応なくリタイヤせざるを得ない。外国のお客さんばかり相手にしていると、日本の大企業のように長く仕事を続けられるかわかったものではない。