2009年8月29日土曜日

総選挙雑感

以前のブログで予想した通り、与党のネガティブキャンペーンはすさまじい。こうした相手の悪口はアメリカでは当たり前に行われているが、日本人の美意識にはそぐわないものと思っていたが、果たしてこうした戦略が功を奏するのだうか。長年政権にあった政党だったらもっと堂々と戦ってほしいものだが、それほど追い詰められているということかもしれない。

いつもは当選するのが当たり前とばかりにろくに地元で選挙運動をやってこなかった私の選挙区選出の有名与党代議士も今回は駅前で一生懸命握手している。人間は握手をするだけでその人に投票したくなる心理が働くと聞くから選挙カーの上から演説するよりも確実な票の積み上げにつながる正しい戦略かもしれないが、与党への逆風に加えて野党側がテレビによく出る現職代議士を対立候補にぶつけてきたことへの危機感からやっているのだとすれば、ずいぶんと現金なものだ。

かつて曖昧で、ある種無責任な口約束だった選挙公約がマニフェストとして広く周知が図られるようになったことは日本の政治にとって大きな前進だろう。以前のブログに書いたように私は移民政策の見直しに賛成で、外国人参政権には反対、高速道路の無料化などの受益者負担の原則に反する政策にも反対なので与党候補の政策に賛成するところも多いが、国の無駄遣いをなくさずに増税するのは受け入れがたい。私が仕事を通じて目にする範囲でも日本の政府系組織や天下り団体のお金の使い方は目を覆いたくなる。正直なところ、仕事面ではそのおかげで助かっているところも実はあるのだが、納税者の立場からすると到底納得がいかない。

ただ、私自身がそれほど理性的な投票行動をとっているかというと実はそうではない。今回もすでに期日前投票を済ませたが、これまで常勝だった与党候補の事務所に電話をかけたときに職員の応対があまりに横柄だったので、いくら政策に賛成できてもこの候補に入れる気にはならないのだ。本人の責任でないことは重々承知している。一方で最高裁裁判官の国民審査はきちんとそれぞれの裁判官が下した判決を吟味し、理性的な判断をしたつもりだ。特に今回は衆議院選挙の一票の重みの格差を合憲とした判事が審査の対象になっていたのでこれらの人たちにはバッテンをつけさせてもらった。一票の重みの平等は民主主義の基本であり、二院制の場合は一方をアメリカ議会の上院のように地域代表性を重んじる議席配分にしても、もう一方、特に優越的な権限が付与されている方は一票の重みを平等にしなくてはならない、と私は思う。

常に政権交代の可能性があるという状況は政権にある党に緊張感を与えるという意味で好ましいことと思うが、日本では長い間そのような状況が存在しなかった。大学で政治学を専攻していたとき、著名な政治学者でもあったゼミの先生が20世紀中は自民党が政権を失うことは考えられないといわれていたことを思い出す。厳密にいえば1993年から94年にかけて10ヶ月ほど下野したが、両院で過半数を有する政党(連合)に政権を明け渡したことはない。あれからはや20年。いよいよその日がやって来るのだろうか。

2009年8月22日土曜日

インターン

私の会社では、多摩地区のある大学からの依頼で昨年から夏に2週間ほど学生をインターンとして受け入れている。この大学は電機メーカー時代の同僚が非常勤講師として教えており、学生の語学留学先としてシアトルの大学を紹介したことから外国語学部の先生方とご縁ができた。うちのような零細企業にこうした依頼が来るのは多摩地区に比較的近いロケーションであること、そして一応国際的なビジネスをしているのが外国語部学部の学生の働き先として好ましく思われたからと想像する。

インターンというのは学生と企業の双方にとって実にいい制度と思う。学生側にとっては大学の講義では学べない実社会での生活を一足先に味わうことができるし、進路を決めていれば希望の業種なり職種なりを試しに経験してみることができる。就職した後になって想像と違っていたとなると大変だが、インターンとして経験しておけばより確信をもってその方向に進むことができよう。私が大学在学中にこのような制度があれば、社会人になってから何の役に立つかもわからない講義を受けているよりはよほどためになったような気がする。

インターンの制度は企業側にとってもいい学生を卒業前に見つけておけるというメリットがある。ここでいう“いい学生”というのは仕事ができるという意味であって、偏差値が高い大学に通っているとか学力が高いという意味ではなく、両者は必ずしも一致しない。仕事ができるかどうかは実際にやらせてみなければわからないが、就職面接に来る学生の能力をその場で見きわめる方法はないので、企業は往々にして学歴などを判断基準にしてしまうのだろう。大学をあまり選別しすぎず、広く学生をインターンとして受け入れれば、その企業にとって必要な人材を見つけ、採用に結びつけることもできよう。

仕事の能力という点についていえば、たとえば顧客の前に立つ業務と裏方の業務とでは必要とされる能力も異なる。しかしどの会社でももっとも大きなウェイトを占めるのは地味な下調べやデータ作成、資料づくりなどの業務で、こうした業務を正確かつ迅速にこなせる人材が確保できれば経営の効率も高まる。こうした業務を行う能力は何も学歴や学力に比例して高いわけではないが、いわゆる一流大学出の学生ばかりを採用している企業ではそうした人たちがそのような業務にあたることになる。彼らにもっと適した業務があるとすれば、こうした人たちが一部の大企業に集中してしまうのは経済全体にとってマイナスだろう。

インターンの学生には当然ながらこうした地味な裏方の仕事しか任せることはできないのだが、今年私の会社に来たインターンの優秀さには驚かされた。同僚が1週間はかかると思って頼んだデータベースづくりを3日で終え、丸一日はかかると思ったウェブ検索や名簿のアップデイト、宛名ラベルづくりなども、ものの半日で終えてしまった。私が学生のときを思い起こすととても彼ほど仕事はできなかったように思う。

彼が通っている大学は多摩地区の中でもいわゆる偏差値が高い名の通った大学ではないが、多くの企業が必要としている業務の遂行能力の点で、彼はそうした大学の学生に比べて遜色がないどころかもっと上を行っているかもしれない。彼の大学の教務課が許せば引き続きアルバイトとして来てもらい、うちが新卒を採用できるような会社であれば採用を真剣に考えたいくらいだった。インターンを受け入れる企業がますます増えて彼のような才能を発掘するのに役立つことを願いたい。

2009年8月16日日曜日

足裏マッサージ


私の最近の密かな楽しみは渋谷の公園通りにあるマッサージ屋に行くこと。ご存知の方も多いと思うが、公園通りはマッサージ屋の激戦区。私もいくつかの店を試した末にここに行き着いた。

中国風の店名から察しがつくように台湾人の人たちがやっている店なのだが、ホームページからダウンロードできるお試しクーポンを何度持って行っても文句をいわれたことがない。日本人経営の店だとこうはいかないだろう。また、タイマーできっかり時間を計る日本人経営のマッサージ屋と違い、決められた時間を超過しても一通りの施術が終わるまで続けてくれる。

しかしこうしたことだけではもちろん常連にはならない。ここの施術師は腕が確かなのだ。足裏マッサージはサラリーマン時代にシンガポールに行った際に現地に赴任していた先輩社員に連れて行ってもらって以来、マレーシアや日本国内でも何度かやっているが、ここは足の裏のつぼが内臓につながっていることが実感できるくらいぐいぐいと効いてくる。全身マッサージも蒸しタオルで体を温めながらやるなどかなり本格的。しかも何人もいる施術師の誰にあたってもはずれがない。

この店は規模からしてもちまたにあふれる怪しげな中国式整体とは一線を画す存在で、どのようにして施術師を採用あるいは教育しているのだろうと不思議に思っていたが、あるとき若い施術師の一人に聞いてようやくなぞが解けた。ここで働いている施術師は高雄の中医学の学校に通う学生で、実地研修を兼ねて一定期間日本で働いているとのこと。どうりで腕がしっかりしているわけだ。

以前は月に一度行くか行かないか程度だったが、すっかり常連扱いでいつ行っても割引料金を適用してくれるので最近は月に2、3回のペースで通っている。しばらくはやめられそうにない…。

2009年8月7日金曜日

築地


前回商工会議所のイベントに出ても、ものを売りたい人ばかりが集まって買い手がいないのでしかたがないと書いたが、会員になってから外国の企業からの問い合わせが来るようになった。おそらくうちの会社の概要が会議所が運営する英語版のウェブサイトに掲載されたからだろう。

そのうちの一社に日本に魚介類を売りたいというパキスタンの水産会社があった。メールの署名をみると同国の元首相で暗殺されたブットー元首相の父親でもあるズルフィカール・アリー・ブットーと同姓同名だった。インドでいえばガンジーみたいな響きだ。それだからというわけではないが、日本での市場性を探るために同社が扱っている何十種類にも及ぶ魚の名前を訳して(辞書に載っていないものが多く、日本語名を調べるのが結構たいへん)、以前仕事でお付き合いのあった築地の大手卸売会社の社長を訪ねた。

社長はヘッドハンティングだとか同業者への転職が少ない業界にあって珍しく大洋漁業(現マルハニチロ食品)から招かれた人で、後になって興銀の常務から大洋漁業の副社長になった私の祖父をご存じであることを知った。何でも外語大のロシア語科を出て大洋漁業に入社したときの配属先(国際部)の担当役員だったとかで、まさに“雲の上”の人だったそうだ。サラリーマンは誰しも新入社員の時代があるが、父の世代の会社社長が新入社員だった頃というのはなかなか想像ができない。ただ祖父はその社長と親子ほど年が離れていたわけだから、私がサラリーマン時代に自分の父親と同年代の役員を見ていたのと同じ感覚で見られていたというのは想像がつく。

その祖父は父の赴任で私の家族がアメリカに住んでいる間に他界した。ずいぶんかわいがってもらったと聞くが、渡米する前の幼児の頃、休みの日に近所のおもちゃ屋に連れて行ってもらったことや、お土産にやどかりやパンを持ち帰ってきてくれたことをおぼろげながら覚えている。その後祖父はがんを患い、我々が一時帰国したときにはすでに病床にあった。不思議なことに今でも祖父の姿を思い出すことができるのに、声はどうしても思い出せない。もちろん祖父の職場での顔など知る由もなく、実家の仏間に残っているロシア(当時のソ連)との漁業交渉のときのものと思しき写真を見て想像をめぐらすくらいだった。

7年ぶりに訪ねた卸売会社の事務所は築地の市場の建物の一画にあり、当たり前だが4年前に行ったときとまったく何も変わっていなかった。丸の内の旧丸ビルも日比谷の三信ビルもなくなってしまった今、これほど戦後の時代を感じさせる建物は東京にあまり残っていないのではないかと思う。まるで昭和30年代の映画かテレビドラマの中にいるようで、まさに祖父が現役だったころを体感できる空間だ。都議会議員選挙で民主党が勝利したことで築地市場の移転がどうなるかわからなくなったというが、こうした建物が失われるのをもったいないと思うのは単なる懐古趣味だろうか。

2009年8月1日土曜日

デフレ時代

一ヶ月ほど前、事務所の近くのインド料理屋の前を通りかかるとランチ680円の看板がかかっていた。もとは850円だった。それからしばらくして行きつけの中国料理屋に行くと1050円だったランチの定食がいつの間にか950円に下がっていた。私の好物の鴨肉チャーハンも1200円が1050円になっていた。注文してみると味も盛りつけも以前と変わらない。むしろ鴨肉の量が増えた気がする。

円高で輸入食材が下がったのはかなり前の話。やはり不景気で客の入りが減り、値下げを余儀なくされたものと思われる。一般の飲食店でこれほど値下げが目につくのはバブル崩壊後の景気低迷期にも見られなかったことで、最近よく「これまでの不景気とは違う」ということばが聞かれるのもうなづける。

新宿の大手デパートに勤める知人によると所得の二極化がいわれていた頃に売れていた高級品も売れなくなり、比較的お金があるはずの中高年層もますます価格に敏感になっているという。一方、円高・ウォン安のメリットを最大限に享受できる韓国のデパートは日本人観光客であふれかえっている。

企業はどうかといえば、今年加入した商工会議所のイベントに出るとサービスを売りたい企業ばかりが集まって、肝心の買い手がいない。名刺交換をした企業から熱心な売り込みをされると、うちのような零細企業を相手にしなければならないほど困っているのだろうかと思う。特に不要不急のサービスを提供している企業はたいへんなようだ。

株価の動向を見る限り新興国の多くは再び成長起動に戻りつつあるように見える。こうした国々への輸出が回復すれば景気も上向くのかも知れないが、いったん価格に敏感になってしまった消費者が再び財布のひもを緩めることはあるのだろうか。今年はいよいよGDPで中国に抜かれるそうだが、内需の差はますます広がりそうだ。