2020年1月25日土曜日

新型肺炎

武漢を中心とする新型肺炎の発生で大騒ぎの日本のメディアを見て、2009年にメキシコで発生した豚インフルエンザ騒動のさなかに同国から帰国し、成田空港でなかなか飛行機を おろしてもらえなかったことを思い出した。メキシコにいたのでわからなかったが、このとき日本では公共放送を筆頭にただでさえ心配性な日本国民に対してひたすら危機感を煽る報道をしていた。ところが感染が日本全国に広がると(私の甥もかかった)ふつうのインフルエンザに比べて特段危険でないことがわかり、何事もなかったかのように忘れ去られた。今回の日本のメディアの報道ぶりを見ると11年前の教訓がまったく活かされていないように感じる。報じるべきは何人がかかったとか何人が死亡したではなく、ふつうの肺炎に比べて人から人への感染リスクが高いのか低いのか、かかった人の致死率が高いのか低いのかだろう。WHOの発表では致死率は3%。旧型の肺炎で入院に至った患者の致死率が5-10%というから特段危険かというと微妙な数字だ。あとは感染力だろう。報道はもっと冷静かつ客観的にやってもらいたい。

2020年1月19日日曜日

第二王子

長子に子どもができるともはや王室における存在意義が薄れてしまう第二子。それでいて一般人として人目につかず暮らす自由もないのだからかわいそうだ。英王室の二男もそんな立場だったものと想像する。我が国の皇室はいまだに男系にこだわっているため、長男に子どもができても男の子でない限り二男の存在意義は残る。そしてそのことを意識したとも思えるタイミングで二男に男の子が生まれた。本来であれば男の子が生まれた時点で後継の議論は終わるが、いかんせん(理由はわからないが)長男(天皇)夫妻に比べて好感度が低いのが災いしてか、女系天皇論がくすぶり続け、世論的にも男系維持ですんなりいくかわからない情勢だ。あのようなタイミングで子供を産んだ二男の嫁にあざとさを感じるのはかわいそうかもしれないが、実際に彼女の実家(いわゆる「外戚」)が自分の孫を天皇にするために一生懸命と聞き、古代中国の時代と変わらないことをやっているのだと思った。息子がどう育つかによって世論も変わるだろうが、もはや我々の世代には関係のないことだろう。

2020年1月11日土曜日

ゴーン会見

英BBCで生中継された日産元会長の記者会見。取り調べのし方など、世界中の人たちに日本の後進性を印象付けるのに十分だった。日本の法務大臣は虚偽と一蹴したが、日本の法曹界に身を置く人であれば法務大臣のコメントの方が虚偽であることを知っているだろう。10年余り前に起きた厚労省官僚の冤罪事件に関連して検察の事情をよく知る知人の著名弁護士が「逮捕までして起訴できなければその検察官の出世に関わる」といっていたが、冤罪事件の際にも「真実を知ることに関心がなく、あらゆる手を使って罪を認めさせようとした」というゴーン氏のコメント通りのことが行われていたことが想像される。日本の司法制度が歪んでいるとしても、前述の冤罪事件のように明らかに罪のない人を有罪にすることまではしない(と願いたい)ので、国外逃亡までするのはいかがなものかと思うが、取り調べの段階で「ああ、この国はだめ」と諦めたものと推察する。

2020年1月6日月曜日

潜伏キリシタン

いつもながら間際になって決めた正月の旅行先。東京の寒さを離れて沖縄か東南アジアに行きたい気持ちもあったが、今年は「潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に指定されるずっと前から行きたいと思っていた五島列島にした。季節はベストとはほど遠いが、正月は仕事の電話もないので安心して離島に行くことができる。もちろん急に東京に戻らなければならないことなどほぼないので、多分に心理的な問題だ。実際に行ってみると教科書以上に学ぶことがあった。南蛮貿易で一儲けするために自ら改宗し、領民も改宗させたキリシタン大名たち。禁教になると改宗させた側があっさりキリスト教を捨て、改宗させられた側の一部が信仰を貫いて迫害を受けることとなった事実。五島の潜伏キリシタンは大村藩から移住してきたこと。いい土地は仏教徒に取られていたため、開墾が困難な土地で貧しい生活を強いられていたこと。五島出身の仏教徒の人から昔はカトリックと結婚することもありえなかったと聞いていたが、前述の事情でそもそも同じ島でも住んでいる地域が分かれていたことを知った。五島列島はカトリックの島というイメージをもちがちだが、実は大変なマイノリティで、比率が高い島でも35%ほど、人口がもっとも多い福江島では8%にしか過ぎないことも知った。琵琶湖が滋賀県の面積の6分の1しか占めていないと知ったときと同じ驚きだった。明治時代に入ってからも禁教と迫害が続いていたことも、欧米の外圧によって禁教が解かれたことも初耳だった。歌手の五輪真弓が潜伏キリシタンの末裔で、父親は久賀島という島の「五輪(ごりん)教会」でオルガンを弾いていたこと(やはり音楽の才能は遺伝するのか)、クリスチャンではないが野茂英雄の父親が潜伏キリシタンで有名な奈留島の出で島でも有名な大男であったということ、同島にある高校の校歌を作曲した松任谷由実が同校を「サプライズ」訪問した際に実は島民は皆そのことを事前に知っていたという裏話まで聞いた。世界文化遺産に指定されて認知度が高まったものの、島のカトリック教徒を取り巻く状況は檀家が減って寺の経営が厳しくなっている仏教徒と変わらず、少ない信者で神父を支えることができなくなっているため、ミサは月一回巡回で行われるようになっているそうだ。若い人が進学や就職のために島を出るのも他の宗教と変わらず、ミサに参加するのが数名という教会もあるそうで、教会が閉鎖され、過去の遺産となる日が来るのだろうか。文化的価値は人々の現実の生活とは別物なので、当然かもしれない。