2011年10月29日土曜日

オリンパス

オリンパスと大王製紙のニュースに触れてついメーカー時代のことを思い出してしまった。仲介会社に相場とかけ離れた巨額の手数料を支払って高い買い物(企業買収)をする会社、上場してもなおオーナー一族を特別扱いしてしまう会社、ものいわぬ役員たち…。いつまで経ってもこうしたことが後を絶たないのは日本独特の企業風土が原因なのか。

企業買収の対価も仲介手数料も当事者間の合意で決まっているだろうから、いわれているような不透明な資金の流れがなかったのであれば、たとえ結果的に高いものをつかまされたとしてもそれ自体が違法行為とはいえない。しかしこうしたことが公になるのは会社にとって恥ずかしいことで、なぜ口止め不能な外国人を社長などにしたのかが不思議。さらによくわからない理由ですぐに解任するなどまさに恥の上塗りだろう。隠し事が多い会社は物言わぬ日本人役員と従順な外国人役員だけで固めておくのが鉄則だ。

会社が高い買い物をしたことで収益が悪化すれば株主が直接的な被害を被ることになるが(現にオリンパスの株価は暴落した)、かつてメーカーで似た経験をした私は社員の士気に与える影響を心配する。自ら何も生み出さず、金を右から左に動かすだけで大もうけをしている業種であればどれだけ多くの損失を出してもあまり同情できないが、メーカーというのは製造の現場などで一円一銭を節約する努力をしているもので、会社のトップ自らがそうした社員の日々の努力を台無しにしてしまっては社員たちは浮かばれない。

私がいた会社の場合、外国人幹部が毎年天文学的な浪費をする一方で、製造現場では限界に近いコスト削減の努力をし、東京の本社のスタッフでさえ年々コピー用紙の質を下げ、裏紙を使い、まさに焼け石に水としかいいようのない節約を続けていたことを思い出す。自らも現場を知るべきメーカーの経営陣がどうしてこうした社員の努力に無頓着でいられるのか。この点はいまだに理解できない。

2011年10月22日土曜日

ソーシャルメディア

友人らの誘いを受けてFacebookを使い始めたのは何年前のことだっただろうか。とはいえ当初はソーシャルメディアなるものの目的がよくわからず、商売のプラスにもならないので、同僚に「実利が見えない」といったところ、「実利を求める人は使うべきではない」といわれた。昨年になってメールすら交換したことがない取引先のエジプト人の奥さんから友達リクエストが来て、同国では多くの人々がFacebookを利用していることを知った。そして今年起きたエジプト革命でソーシャルメディアが大きな役割を果たしたという報道に納得した。

Facebookを使っていていちばん嬉しいのは長年音信が途絶えていた友人からメッセージをもらったときだろう。最近では大学を卒業して以来会っていなかった友人から突然友達リクエストが来た。彼は愛知県の有名政治家の息子でいずれ地盤を継ぐのかと思いきや電機メーカーに就職してその後インドネシアに赴任したと人づてに聞いていた。彼からのメッセージで今もジャカルタに暮らしていることを知って驚くとともに、それがわかっていれば今年の春に当地に行ったときに会っておけばよかったと思った。

最近はFacebookを使って飲み会の誘いが来ることもある。携帯電話が一般に普及し始めた頃、ある一定の年代以下の人たちは携帯をもっていないと友人との付き合いに支障をきたすようになり、それがどんどんと上の年代へと広がって行ったが、同じことがソーシャルメディアでも起きるのだろうか。Facebookの利用者の間でサークルのようなものが作られていることも最近になって知った。私がいた電機メーカーの同期入社の人々のサークルに入ったのがきっかけだ。入ったといっても私が自分の意思で入ったのではなく、同期入社の友人が私をメンバーに入れてFacebookからその通知が届いたのだ。自身の操作で“脱退”もできるのだろうが、そんなことは感じが悪くてとてもできない…。

Facebookを使い慣れている友人は日記のように日々の出来事を画像入りでアップしていてそのマメさに感心する。私などはとても使いこなしているというレベルではないが、それでもつながりたい人とつながっていられるのだからこの上なく便利なツールと感じる。

2011年10月15日土曜日

日本オープン


所属する千葉のゴルフクラブで日本オープン選手権が行われたため観戦に行った。会費を払い、前売り券の販売に協力したのだからタダで見られるメンバーの特権を使わずにはいられない。

ゴルフを始めて6年が経つが、プロ競技を観戦に行ったのは今回が初めて。5年前に所属する別のクラブでも同競技が行われたが、ちょっと体育会系が入っているこのクラブは私のような“若手”メンバーがボランティアとして競技の運営を手伝うこともなくただ観戦することが許される雰囲気ではなかったので結局一日も行かずじまいだった(今にして思えばもったいなかった…)。

大会3日目は最終ホールの残り200ヤードあたりで観戦したが、石川遼初め有名選手が次々にティーショットを私の目の前に落としてくれたおかげで彼らを間近で見ることができ、ミーハー的な欲求が満たされた。トッププロを実際に見て皆意外に小柄との印象を受けたが、それでも残り200ヤードをアイアンで軽々と打ててしまうのだからすごい。また、プレーの合間に選手たちが交わす言葉にそれぞれの人となりや上下関係が垣間見えて面白い。

今年は石川の不振でゴルフ中継の視聴率は低迷しているとのことだったが、それでもにわかゴルフファンと思しきギャラリーが彼を追いかけまわす姿は相変わらずだった。テレビのスポーツニュースを見て順位にかかわらず石川のプレイに時間を割くのに違和感を覚えていたが、実際に観戦してみるとその理由がよくわかった。彼にだけ専属のテレビクルーがついて回って一打一打を撮影しているのだ。これでは一緒にラウンドしている選手がかわいそうだが、石川がホールアウトするとそそくさと帰ってしまう人々は彼を見るために3000円の当日券を買っているのだから、こうした人たちがこのスポーツを成り立たせているのであれば仕方のないことかと思った。

最終日は18番ホールの観覧席で最後の一打まで見届けたが、ベテランの久保谷がこれを入れれば優勝というパットを外して韓国の若手選手にプレーオフに持ち込まれ、前日まで首位だったベテランの佐藤がこれを入れればプレーオフに参加できるというパットを外すのを続けざまに見て、日本人は大事なところで緊張してしまって力が出せないのだろうかと思った(写真はプレーオフ直後)。帰り際に韓国の優勝選手について「石川遼よりだいぶ上だな」というのが聞こえてきたが、遼君ら日本人の若手がもっと上に行かないと日本オープンでさえ日本人がなかなか優勝できない事態になりかねない。

2011年10月9日日曜日

盛者必衰

先日お招きを受けて参加した昼食会であの寺島実郎先生の講演を聞き、アメリカが抱える問題の根深さを改めて認識するとともに、この半年間に私自身の身の回りで起きたことを思い起こした。

中国やインドのようにもともと大国であった国々が再び台頭し、アメリカの相対的な力が弱まっていくのは時間の問題とは思っていたが、イラク戦争以降、それが加速度をつけて進行しているようだ。寺島先生によるとイラク戦争の戦費は現在価格でベトナム戦争のそれを大きく上回る1.2兆ドルに達し、アフガンを含む戦闘での米軍兵士の死者も戦争の発端となった9・11同時多発テロの犠牲者をはるかに上回る6,000人を超えたという。空港で厄介な荷物検査をやられる度に「あのブッシュのせいで…。」と思っていたが、不毛な戦争でアメリカ国民が負った犠牲は計り知れない。

今年に入ってからクライアントであったアメリカの州政府の予算がカットになり、財政状況の悪化が比較的裕福であるはずの州にまで及んでいることを認識させられたが、最近アメリカへの出張から帰国した50歳代後半の知人は長年アメリカに通っているが、あれほどひどい状況は見たことがないといった。また、東南アジアでコンサルティング会社を経営している知り合いのアメリカ人は母校のプリンストン大学(超名門)で講演をするとたちまちアジアで働きたいという学生たちから履歴書が送られて来るといい、英語のオンライン学習を提供しているアメリカの若い女性企業家は高学歴でも職に就けない人が大勢いるので英語の先生はいくらでも調達できるという。そして母校のアメリカのビジネススクールからは米国経済再生の提言を行う参考にするとして、アメリカのビジネス環境やその競争力に関するアンケート調査が送られてきた。

アメリカの状況が時間をかけて少しずつ改善することはあるかもしれないが、冷戦終結後に唯一の超大国といわれた時代に戻ることはなさそうだ。また、弱者救済を社会主義的として頭から否定する国民性からして貧富の格差が是正されることもないのだろう。アメリカが何をやっても許される時代が終わることは好ましいことのようにも思うが、子ども時代から通算6年半を過ごした国が混乱し、力を失っていく姿を目の当たりにするのは一抹の寂しさもある。

2011年10月1日土曜日

九郎と黒尾


前回の家系図の話でご先祖に歴史上の人物がいればミーハー的な興味がわくと書いたが、実は母方にはいるかもしれない。それもほかならぬ源義経だ。

母の旧姓は黒尾(くろお)というが、竹内や二人の祖母の旧姓である小野や中山と違って全国的に見ても珍しい、というか栃木を起源とするその一族しかいない姓だ。つまり黒尾の名字をもつ人々は嫁に来た女性を除き血縁にあたるはず。

黒尾家はもともと栃木の豪族の家(本家は地元の神社の神主をしていると聞く)だが、同家には源九郎義経の“くろお”に地元の山の名前から“黒尾”の文字をあてたのが名字の由来という話が伝わっている。義経の落とし胤の末裔だからこうした姓を名乗り始めたというが、義経が栃木に胤を落としていった経緯も想像がつかず、ご先祖の作り話ではないかと話半ばで聞いていたのを思い出す。

ところがあるとき偶然テレビで義経について取り上げた番組をやっているのを見て、黒尾家に伝わる話がまんざら作り話でもないことを知った。奥州に逃れる途中、北関東に滞在していた義経のもとに地元の豪族が競って娘を送りこんだというのだ。京都が都だった頃の北関東はそれこそ僻地で、その地の豪族にとって天皇家の血を引く人物の子種をもらうことはこの上ない権威付けになったという。とはいえ黒尾の祖先が本当に子種を授かったことを証明する術はないものと思った。

その後皇位継承の男系論者の話を聞いて、黒尾家が本当に清和源氏を祖とする義経の末裔でその後男子の跡取りが続いてきたとしたら、私の叔父やその息子たち(私の従弟)も男子の皇族と同じY遺伝子をもっている可能性があることに気づいた。そしてそのことが確かめられれば黒尾家に伝わる話が現代の科学によって事実であったと証明される。しかしそのためには皇族の遺伝子を調べなくてはならず、やはりハードルは高そうだ。