2011年3月26日土曜日

危機管理2

「こんな時期に海外出張なんていいですね。」などといわれるが、うらやましがられることなど何もない。長いフライトで東京のピーク時よりもずっと高い放射能を浴び続けるだけでなく、最初の目的地が偏西風で放射性物質が運ばれているアメリカの西海岸なので、10時間近いフライトの間、通常より高いレベルの放射能に晒され続けることになる。

出張の機内でイギリスのファイナンシャルタイムズ紙を読んで同国から特に多くの心配のメッセージが寄せられたのがわかる気がした。震災から1週間以上経ってもなお紙面の多くを割いてさまざまなアングルから報じている。そんな記事の一つに買いだめ騒動について取り上げたものがあった。食べ物がないわけではないのにパニック買いに走っている人たちのことだ。

震災の直後にスカイプで連絡をくれたイギリスのクライアントに泊まり覚悟だと伝えると食べ物は大丈夫かと聞かれ、すぐに階下の店に走った。すると棚は写真のような状態で、すぐに食べられそうなものはすでになくなっていた。事務所の周辺を歩くとふだんあまり客が入っていない店まで満席状態で、駅近くのマクドナルドには店の外まで長蛇の列ができていた。(翌日休日出社すると食材の在庫が尽きたらしく、年中無休のはずが臨時休業していた。)

都心は勤め人が当座の食料確保に走ったからこうしたことになったのだろうと思っていたら住宅地にある地元の店も同じ状況で、来る日も来る日も牛乳が買えず閉口した。店の人に入荷がないのかと聞けばそんなことはなく、ただ来るとすぐになくなってしまうとのことだった。命がけで原子炉の冷却作業にあたっている人たちがいる一方で戦後の食糧難の時代でもないのに買いだめに走る利己的な人々もいるわけで、つくづく人間の“幅”の広さを感じる。

紙面の中で同志社大学大学院の経済学者が寄稿した記事を読んで我が意を得た気がした。こうした買いだめに走る人たちや被災地の手前で救援物資を運ぶトラックを降りてしまうドライバーがいるのは正確な情報が迅速に提供されていないからというのだ。つまり物流が滞っているため一時的に搬入が遅れることがあっても食料は十分に足りているとか、いわき市の放射能の水準は内陸の福島市や郡山市よりもずっと低いといった情報を前もってきちんと伝えなかったことが人々の不安を増幅させ、合理的でない行動を招いたというものだった。

同日の日経新聞には日本には“緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム”という仕組みがあって原発で放射性物質が放出された時、その広がり方を瞬時に予測できるそうだ。この予測システムがあれば周辺のどこがいつ危険な状態になるのかシナリオが描けるという。ところが”SPEEDI”という同システムの略称とは裏腹に、こうした情報はこの記事が出るまでまったく公表さなかった。こうした対応がさらなる不安を生み、理性的でない行動を招く一方で必要な人たちが必要な備えをできないという悪循環に陥るのではないかと案じる。

2011年3月19日土曜日

危機管理

原発の事故が明るみになった当初、事態を正確に把握している様子もなく楽観的な発言を繰り返す官房長官の姿勢に危ういものを感じた。そして案じていた通り事態は日に日に悪化していった。

現在のような事態に至ってもなおCTスキャンの被曝量などといった話を持ち出して国民を安心させようとする姿勢に疑問を感じる。事態が目に見えて悪化していく状況の中で国民に知らせるべきことは、すでに起きてしまったことよりも最悪の事態に至った場合の備えだろう。そんなことをするとパニックが起きるという向きもあるが、それよりも備える時間もないままに最悪の事態を迎えるのとどちらがいいだろうか。そもそも「“ただちに”健康に影響を与えるものではない」という言い方はいかにも欺瞞ぽく、引き合いに出す医療機器がたとえ本当に安全なものであったとしても汚染地域で日常生活を送るのと比べると晒されている時間があまりにも違いすぎる。

木曜日に予定されていた某国大使館でのミーティングがキャンセルになった。大使館員からの自動返信メールには緊急事態に対応するため日常業務を停止していると書かれていたが、実際にはさっさと退避しているのかもしれない。こうした政府の発表と外国政府の対応との温度差も気になる。日本人だろうと外国人だろうと同じ人間なのだから放射性物質から受ける影響も同じはず。なのになぜ外国の政府の方が退避勧告の対象にする地域が広かったり、自国民に出国を促したりするところまであるのか。日本の政府のいうことが楽観的すぎるのか外国の政府が過剰反応をしているのか。後者であってほしいが前者の可能性も否めない。

政府のいうことを信じていない人たちが多いのか、私のまわりでは週の半ばあたりから疎開を口にする人や実際に実家のある西日本に避難する人が出て来た。東京にしか生活の基盤をもたない立場としては政府の楽観的とも思える発表が正しく、事態が収束することを願うしかない。

2011年3月13日日曜日

震災

いつかはやって来ると思っていたものがついにやって来た。事務所で電話中に激しい揺れがやってき、すぐに収まるどころかさらに激しくなったため、電話を切って机の下に避難した。

激しい揺れの割には棚に飾ってあったガラス製のかぼちゃが落ちて壊れた以外に物損はなかった。ほんの一週間ほど前に棚に陳列してあるガラス細工を落ちにくい場所に配置し直し、事務所と廊下を隔てるガラスの壁にぶつからないようにブラインドを下ろしたばかりだった。

揺れが収まったところで仕事を再開したが、ほどなくしてアメリカのクライアントから電話がかかってきた。ニュースで大変なことになっていると聞いたので心配になってかけたという。その後朝を迎えたイギリスのクライアントから続けざまに心配のメールが届き、事務所にテレビがないのでユーストリームで津波の光景を見てようやくことの重大性に気づいた。

かつて旅した風光明媚な三陸の町が跡形もなく押し流されていく映像はあまりにショッキングだ。釜石や女川では昔の津波の話を聞いたが、今回はかつてない規模だったとようで、電機メーカー時代に出張でたびたび訪れた多賀城の事業所にまで被害が及んだ。ここは海岸のすぐそばといった感じのところではないのだが、平坦な土地が続いているので波をせき止めるものがなかったのだろう。

同じ自然災害の映像でも自分がかつていた場所で起き、知っている人たちが被災したとなると現実味がまったく違う。自分にもいつどこで降りかかってくるかわからないことを改めて思い知らされた。

2011年3月4日金曜日

FOODEX


仕事柄展示会に行くことがよくあるが、年に一回この時期に幕張メッセで開かれる食品の展示会FOODEXほどテンションがあがるものはない。何せ海外からの輸入食材や全国各地の物産が食べ放題、飲み放題なのだ。もちろん飲み食い目当てでやって来る不届き?な輩を排除するために、ほかの展示会と違って招待状がないとお金を払っても入れない。

最近日本で行われる展示会は規模の縮小が目立つ。我が国の斜陽ぶりを物語っているようで寂しい限りだが、そうした中にあってこのFOODEXは今でも幕張メッセの会場を埋めるだけの出展者が集まるのだから大したものだ。不要不急の商品と違い、やはり食というのはいつの時代にも必要とされ、景気の影響を受けづらいというのが強い。

今年もアジア、欧州、北米、中南米、オセアニアからアフリカまでまさに世界中の企業が出展し、色々なものを試食・試飲させてもらったが、日本の各県の出展コーナーにはアジア各国からのバイヤーが目立ち、「輸出歓迎」的な看板を出している出展者が目立った。展示会は日本で行われていても企業の目はやはり成長著しいアジアの新興国に行ってしまっているようだ。