2010年12月25日土曜日

オリーブの島


岡山への出張ついでに足を延ばして小豆島へ行った。1泊だけの短い滞在だったが当地のオリーブ農園を見学するには十分だった。私の会社で少量ながらエジプト産のオリーブオイルを扱っているので当地の農園見学は一応商用である。

小豆島は岡山県と香川県の間に位置していて両方のテレビ局の番組が見られるが、岡山側で一杯500円したうどんが小豆島では200円で食べられことから確かに香川県であることを実感する。島に着いてすぐに100年あまり前に植えられたオリーブの原木が残る島の南側斜面に造られたオリーブ園に行ったが、商業生産を行うにはあまりに小規模で、売店で売られているオリーブオイルはギリシャからの輸入物とブレンドされたものばかりだった。

小豆島産のオリーブだけを使ったものは一種類だけ売られていてわずか150mlで3,700円の値段だったが、農園を見学してこのような値段になるのは生産量が少ないからだけではないことがわかった。ここでは実の損傷・酸化を防ぐために一粒一粒手で摘み、栄養価を損なう加熱・加水が行われる量産機は使わず、効率の悪い小型の圧搾機で少しずつ搾っているからだ。私の会社が輸入しているエジプトのオリーブオイルも同じ圧搾機を使って同じように作られているのでこれがいかに手間暇がかかることかがよくわかる。しかしこうしてできる濃厚で味わい深い本物のオリーブオイルは一度使うと量産品には戻れない。

このようなまじめに作ったオリーブオイルは味の面でも栄養価の面でも高いお金を出してでも買う価値があるものなのだが、オリーブ本来の栄養価が失われてしまっている水っぽい量産ものが同じエクストラバージンの名を冠して大量に販売されている中ではよほど知識のある消費者でないとその価値を認められないのだろう。私自身は仕事柄こうして作られるオリーブオイルがいかに貴重なものであるかを知るだけに、骨を折って作っている生産者自身がギリシャ産の安いものと混ぜて売らなければならない現状が残念に思われた。

世はオリーブオイル流行り。本邦では自国の需要をまかなうにも不十分な量しか収穫されていないはずの“イタリア産”のオリーブオイルがちまたにあふれ、大量に効率よくオイルを取り出すための加熱・加水工程でオリーブ本来の栄養価が失われている代物が何の疑問もなく買われている。こうしたオリーブオイルビジネスにまつわる欺瞞が消費者に認識されるようになり、まじめな作り手が報われる日が来ることを願わずにはいられない。

2010年12月19日日曜日

地方グルメ


2泊3日の西日本出張。初日に宿泊した福岡は雪がちらつく寒さにめげず、当地出身の友人に勧められたすしバーに行った。あえてすしバーといったのは最近当地で流行っているというこの店が何とアメリカ・テキサス州のダラスにある店の支店だからだ。広々として洗練された内装の店内には大きなシャンパンのボトルが並べられていて、一人ではめったに飲まない私が無性に飲みたくなった。当地のネタのよさがなせるわざか寿司も実においしく、しばし幸せな気分に浸った。

すしで十分お腹いっぱいになったが、この店が昔友人に連れて行ってもらった長浜ラーメンの店の近くだったのでシメ?に寄ることにした。以前 “元祖”を謳った店名をめぐって訴訟沙汰になっていると新聞で読んだ気がするが、同じような名前の店が二つあり、記憶にあった方に入った。友人と初めて来たときは豚骨ラーメン自体食べるのが初めてだったので濃厚な豚骨スープと歯ごたえのある細麺がとてもおいしく感じられたが、今回は正直なところイマイチというか、当地出身の人に教わった東京にある豚骨ラーメンの方が上に感じられた。

2日目は岡山。同僚と合流して一緒に夕飯を食べることにしたのだが、当地の名物料理が思いつかない…。私の祖母が岡山の人で(池田藩の祐筆の家の出と聞く)、子どものときにはお土産に吉備団子を買ってきてもらったが、さすがに団子では食事にならない。私自身は当地には観光で一度来たことしかなく、名物料理なるものも聞いたことがなかった。岡山駅の周辺にはチェーン店しか見当たらず、同僚も何ら思いつかないということだったので寒い中当てもなく探し回るのはやめ、駅ビルの中にある韓国料理のチェーン店で済ませた。

3日目は広島で、帰りの新幹線に乗る前に駅ビルにある有名お好み焼き店に入った。今が旬のカキとそばが入ったお好み焼きを頼んだのだが、出て来たものの水っぽさと焼き具合のいい加減さ、さらには麺のまずさに閉口した。それでいてボリュームだけはあったためお腹はふくれたのだが、同僚とどこかで“口直し”をせずにはいられないということで一致した。わざわざ広島まで来て食べたお好み焼きが東京にある店よりもまずいなどまったくもって不本意だったが、そもそも有名店というだけで行ってしまう安易な発想が間違っていたようだ。

思えば以前もまったく同じ経験をし、このブログにも書いた。名古屋の有名味噌煮込みうどん屋だ。本店が人気が出たことで我々のような出張者が利用しやすい駅に隣接したところに支店を出し、味噌煮込みうどんとは思えない強気の値付けをしているパターンまでまったく同じだった。このときは地元の人しかいない近くの別の店でずっとおいしく、ずっと安い味噌煮込みうどんを食べて事なき?を得たが、今回も空いている隣の飲み屋で口直しで食べたお好み焼きの方がよほどおいしく、さらには焼きガキや牛すじの煮込みまで食べて満足して帰ることができた。

それにしてもこうした地方の有名店はなぜ人気が出た途端、拡大志向に走ってしまうのだろうか。値段が上がり味が落ちれば地元の人は足を運ばなくなり、何も知らない我々のようなよそ者だけが行くようになる。それでも商売としてはいいのかもしれないが、こちらは騙されたような気になる(実際には自己責任だが)。今後は出張先で地元の有名店に行く前に直近の評判はどうか、チェーン化して町の中心駅の近くに支店を出していないかなどといったことを確認してから行くようにしたい。

2010年12月12日日曜日

仮名手本忠臣蔵


日本に遊びに来たアメリカ人の友人などに歌舞伎の話をされると日本人でありながら見たことがないというのはいいづらい。高校時代に学生向けの割引料金で見られるイベントなどがあったが、このようなこと?になるとは思わず、参加せずじまいだった。

いつかは見に行こうと思いながらなかなか実行せずにいたところ、ビジネススクールのOB会から歌舞伎鑑賞の案内が来た。資本主義の総本山のような学校のOB会でこのような文化的なイベントをやるのはどういう風の吹き回しだろうかと思ったが、その後同学のOBでキッコーマンの副会長などを務められた茂木賢三郎氏が独立行政法人日本芸術文化振興会の理事長を務めておられ、特別なはからいをしてくださったことを知った。

いい席で観劇できて、しかもその後に文字通り舞台裏を見ることができるバックステージツアーまでついているとなればいうことはなく、一も二もなく申し込んだ。演目は歌舞伎初体験の私でもストーリーを知っている仮名手本忠臣蔵。主演は松本幸四郎と市川染五郎親子、女方は中村福助の顔ぶれ。知っている顔が出ていれば自ずと集客力も上がるだろうから、歌舞伎役者がテレビでの露出に努める理由がわかる。

実際に見てみると、なるほど役者の演技も衣装も音楽も演出も実にすばらしく、休憩をはさみながら5時間という長丁場を感じさせない。台詞を聞きながらストーリーをフォローしていくのはかなりきついが、解説が流れるイヤホンガイドがあればばっちりだ。しかも役者の台詞の邪魔にならない絶妙の語り口でストーリーだけでなく、それにまつわる裏話や史実についても話してくれるのがいい。

照明が電気になり、回り舞台の動力が人力から機械に変わるなどハードの部分が変わったとはいえ、江戸時代に演じられていた劇を21世紀に生きる我々が見ることができるのは何ともすばらしい。特に忠臣蔵などは実話にもとづいているためフィクションものよりよほど面白い。このような機会があればぜひまた参加したいと思った。

2010年12月4日土曜日

再会

サラリーマンをやめてからというもの、外で飲む機会がすっかり減ってしまった。仕事帰りに飲みに行く同僚もいなければ、投資銀行時代のような接待もない。40歳を過ぎてからは合コンの誘いも減り、行くのも恥ずかしくなった。そして最近では年齢のせいか朝早く目覚めるようになり、このため早めに仕事に行き、早めに帰宅し、早めに床につくのが生活のリズムとなっている。

ところがこの一週間余りの間は毎晩のように夜の予定が続いた。しかも長い間会っていなかった高校や大学、大学院時代の同級生と再会したりサラリーマン時代の同僚と久しぶりに飲みに行ったりという機会が集中した。年に一度の年賀状すら欠かすことのあった私にとってはこのようなことはこれまで一度もなく、不義理をしつつもかつて親しくさせてもらっていた人たちの元気な姿を見ることができたのは実に嬉しいことだった。

長年会っていなかった友人たちも容姿はともかく根っこのところでは昔とほとんど変わっていないのが面白い。頭脳明晰で冷静沈着だった高校時代のクラスメートはそのまま年齢を重ねているし、人はいいが空気が読めず、笑いのツボもずれていた大学時代の友人もそのままだ。それでも皆、大企業などで責任ある立場になり、日々頑張っているのだから大したものだ。私も頑張っていないとはいいたくないが、マネージしなければならない上司や部下がいるわけではないので、まだ気楽な方だ。

何年かに一度しか会わない同級生などはあと何回か会ううちにお互いに還暦を過ぎてしまう計算だ。そのときにも皆がハッピーで、私自身もこうした集まりに参加できる状況であることを願いたい。