2014年3月29日土曜日

政治家

猪瀬氏に続いて渡辺氏。政治家はかくもお金がかかる生業なのかと認識を新たにした。選挙に出るだけでそれほどお金がかかるなら、新しい政党や既存の政党の後ろ盾がない候補にとってはかなり参入障壁が高い世界といえよう。しかしこれは誰のための政治をするかという根本にかかわる問題だ。政治家に大金を工面する企業経営者が善意でそのようなことを行っているはずもなく、お金がグレーなものであればあるほど、医療法人の経営者に世話になった政治家は病院の払下げで便宜を図らずにはいられないだろうし、薬事法で規制されている化粧品などを扱う会社の社長が規制緩和を唱える政党を支援するのはそれなりの目的があるだろう。(この社長を知る人によると、九州の出身高校が甲子園に出場したときくらいしか寄付もしたことがないという。)渡辺氏の政党が政策に影響を与えるくらい勝利していれば、今回のようなリークもなかったかもしれない。そして我々がこうした日本の政治の裏側を目の当たりにすることも。

2014年3月23日日曜日

シンガポール

2年ぶりのシンガポール。今回は当地に赴任している商社の友人が遊び相手になってくれ、週末に一緒にゴルフをした。一人当たりGDPで日本が抜かれたのは記憶に新しいが、聞けば今や当地のたいがいのものは日本よりも値段が高くなっているという。ローカルの人は官僚が金儲けがうまいというが、腐敗も癒着も天下りもなく、国の経済発展に結びつく合理的な判断を繰り返してきた結果と考えられ、既得権益の保護のために様々な規制を設けようとする日本の官僚と入れ替えてもらえないかとさえ思う。

2014年3月15日土曜日

ワセジョ

STAP細胞発見のニュースに、我がW大出身の理系女子が何たる偉業を成し遂げたのだろうと驚き、感心したが、ここのところちょっと雲行きが怪しくなっている。ほかの論文の転用やコピペはさすがにまずかろうと素人目にも思えるが、肝心のSTAP細胞の存在有無については結論が出ていないようだ。それにしても時代は変わったと思う。W大の文系の学部に通っていた私のクラスにも女子は2人しかいなかったので、理系となるともっと少なかったのではないかと想像する。超マイノリティーであるうえに、自分たちの垢抜けなさを棚にあげた男子学生らからある種蔑称的に「ワセジョ」(早稲田の女子学生の略語と思われる)と呼ばれていた。それが今ではW大出の女子は珍しくなくなり、多方面で活躍している。今回の「発見」は理系ワセジョの地位を高めるきっかけになるかとも思われたが、残念ながら逆の方向に行きそうな雰囲気だ…。

2014年3月8日土曜日

ロックリン

広島のバーで知人と飲んでいると、バーテンダーの青年がテキサス出身というアメリカ人の客と話しているのを耳にした。その会話を聞くともなしに聞いていると、その青年のおばさんがアメリカ人と結婚してカリフォルニア州のサクラメントに住んでいるということがわかった。サクラメントといえば私が高校のときに留学していた地域の中心都市で、カリフォルニアの州都とはいってもロスやサンフランシスコとは比べるべくもない小さな町だ。広島のバーで耳にするなど思いもよらず、つい話しかけてみると、おばさんがいるのは実はサクラメント郊外の、シエラカレッジという大学がある名もない町だという。そのシエラカレッジがある人口数千人のサクラメントよりもはるかに小さな町こそ(「ロックリン」という名前はちゃんとある)私がホームステイしていた町で、ほとんどありえない偶然に驚いた(ソニー時代の同僚がロックリンの隣町の高校に通っていたことを知ったとき以上の驚き)。思えばサクラメントの周辺に住む日系人はそのほとんどが広島の出身かその末裔で、日系人が集まるバーベキューパーティーに行ったときに2世と思われるおじさんに「日本人なのに宮島に行ったこともないのか」といかにも広島セントリックなことをいわれたのを思い出す。彼のおばさんがロックリンの寿司屋で働いていると聞き、昔はあの町に寿司屋などなかったといったら、「僕が行った4年前からありましたよ」といわれ、20歳代にとっての昔と40歳代の昔の時間軸が大きく違うことを思い知らされた…。

2014年3月1日土曜日

現代のベートーベン

一連のゴーストライター騒動を見て、『現代のベートーベン』などと持ち上げたメディアの浅はかさを感じた。よく特定の人物を取り上げて、ヒーローに仕立て上げる番組を目にするが、ビジネスに絡むことをやっている人たちの場合、その実像は美化されるようなものではない可能性がある。今回の騒動の渦中にある人物が身障者を装っていたとしたら、それは本当に障害をもつ人たちにとっては迷惑なことで、批判されてしかるべきだろう。ただ、ゴーストライター氏の曲作りの才能は非常に高いものがあり、曲のイメージを組み立てたのが渦中の人物であったなら、彼の才能も否定できない。クラッシックというマイナージャンルで世に出るためにこんなことをしなければならなかったとすれば皮肉なことに思える。