2011年5月29日日曜日

ゆるやかな衰退

先日ゴルフをご一緒した大手商社に勤める知人が日本の将来をこう評した。「もはや国の体をなしておらず、隣国に攻め込まれたらすぐに占領される。平和な時代で本当によかった。」とも述べた。いったい誰がこのような国にしたのだろうか?

今週は先週のイギリスに続き東南アジアに行った。テレビでは日本のGDPの落ち込みのニュースのすぐ後にシンガポールのGDPが年率にして20%近い高成長を遂げているというニュースが流れた。今回はメーカー時代以来10数年ぶりに同国にも立ち寄ったが、当地のジェトロの人の話だとシンガポールは一人当りGDPですでに日本を抜いており、購買力(PPP)では大きく水をあけているという。今の状況だと日本が再逆転することはないだろう。

シンガポールの発展を支えてきたのは指導力のある政治家と優秀な役人たちであることは間違いない。徹底した透明性の確保と経済の開放、そして効率的で小さな政府によってもたらされる低い税率。企業の登記一つとっても日本では司法書士などの専門家でないとなかなか書くことができない複雑な書類を紙で用意し、法務局に足を運び、一日中そのためだけに座っている窓口のおばさんから印紙を買い、それを貼って提出しなければならないが、シンガポールはインターネットでものの30分で手続きが完了する。

既得権益を守ることで政治家は票、役人は天下り先というご褒美を得る構造が出来上がり、最先端の医療機器はおろか石鹸一つも自由に商業輸入できない仕組みを作り上げた厚生労働省は一方でご褒美が出ない外食産業は生食用の肉の扱いを実質野放しにして死亡事故まで引き起こした。こうした利権構造をあぶり出すべきマスコミも一大スポンサーである電力業界には及び腰で、いつもは正義漢ぶった報道が目立つ民放の夜の報道番組も東電本社に押し寄せるデモ隊のニュースなどほとんど取り上げることがない。

ASEANで一人勝ち状態のシンガポールとは対照的に、今回訪れたベトナムやインドネシアなどほかのASEANの国々は日本でのポジティブな報道とは裏腹に閉鎖的な経済と腐敗のまん延が進出する外国企業を待ち受けている。(日本語で袖の下というが、着物を着ない英語圏ではテーブルの下(under the table)というのが面白い。)EUとの首脳会談ですんなりと自由貿易交渉に入らせてもらえなかったことからもわかるように、日本はあからさまな不正は少ないものの、新規参入を阻む様々な障壁が巧みに作られていて、シンガポールとその他ASEAN諸国のどちらに近いかといわれれば必ずしも前者とはいいきれない。

日本の経済発展を支えてきたのは日本人の勤勉さということがよくいわれるが、購買力をもった1億人を超える市場をあの手この手で保護してきたこともその大きな要因と思う。保護された市場を与えられてある意味それにあぐらをかいてきた企業が突然国際競争にさらされて本当に勝ち抜けるのだろうか。自由貿易は必然の方向性だが関税が下がったところで意思決定が恐ろしく遅い日本の大企業が国際競争に勝ち抜いていかれるか甚だ疑問だ。現に新興国の企業に真っ向から勝負を挑まれている日本企業の多くは海外の市場では敗色が濃く、日本の牙城もいつやられるかわかったものではない。

興味深いのはシンガポールではこうした目覚ましい経済発展にもかかわらず、最近行われた総選挙では万年与党の人民行動党が大きく票を減らした。国民の間に人口の増加に伴う地下鉄などの混雑や閣僚の高給に不満が出ていると聞いたが、日本に比べれば何ともぜいたくな悩みに思える。完全な開放経済で既得権益を作らせず、100%の透明性を確保する。こうしたことを思い切ってやれる指導者が出てこない限り、日本のゆるやかな衰退を食い止めることはできないだろう。

2011年5月22日日曜日

沈まぬ太陽


1年ぶりのエジンバラ。一生に一度行かれたらいいというくらいに思っていたこの町に毎年来るようになるとは思いもよらなかった。観光客でにぎわうエジンバラ城からホリルードハウス宮殿へと続くロイヤルマイルも今や歩き慣れた道だ。エリザベス女王が宮殿に滞在しているときには旗が揚げられてそのことを知らせるが、私の滞在中はちょうどお隣のアイルランドに歴史的な訪問をされていた。

よくアメリカに行くよりも太陽と同じ方向に移動するヨーロッパに行く方が時差調整をしやすいといわれ、私の経験でもその通りと感じるが、緯度が高い当地ではこの時期は夜遅くまで外が明るいのでカーテンを閉めないと寝つけない。しかしカーテンを閉めると朝日が差し込まないので寝過ごす恐れがあり、それを防ぐためにモーニングコールを頼むと当地では忘れられることがある。出張を重ねるうちにここに来るときだけは目覚ましを持って来ることを覚えた。

夏場の日が長いということは当然、冬場は逆転して夜が長い。当地の人たちはよく酒を飲むが、これは冬の長い夜を過ごす娯楽がほかになかったからではないかと思う。彼らは日本に来ても毎晩当たり前のように飲みに出かけ、閉店を知らせる蛍の光のメロディが流れると皆大喜びで歌い始める(ちなみにスコットランド民謡である原曲は別れの曲ではないので彼らには「閉店時間なのでさっさと帰れ」というメッセージが伝わらないのだ)。

初めてスコットランドを訪れたときにグラスゴーでバーを5、6軒はしごしたのはいい思い出だが、果てしなく飲み続けるスコットランド人たちと最後まで付き合うと体がもたないし、翌日の仕事にも差し支える。これもまたスコットランドに来るようになって学んだことだ。

(写真は今回泊まったホテルの窓から撮った“夜の”町の風景)

2011年5月15日日曜日

Zero

珍しく同僚と残業することになり、コンビニに行くついでにコーラを買って来るように頼んだ。ところが頼んでもいないカロリーゼロのコーラが来てがっかり、さらに自分がそこまで見た目が太ってしまったことに気づいて二度がっかりした。

世はダイエット食品流行り。ゼロなんちゃらだとか特定保健用食品とかいったものがずいぶん幅をきかせているが、本来脂肪分が入っているべき食品に入っていなかったり、甘いのに糖分が入っていなかったりというのはいかにも不自然で逆に体に悪いように思える。現に特定保健用食品の中には後になって発がん性があることがわかって許可が取り消されるなんてことも起きている。しかし私の健康を気遣ってくれているであろう同僚にそんなことはいえない。

その後何週間かして急な腰痛に襲われ、たまらずネットで見つけた事務所近くの整体師のところにいった。施術台に横たわる私を見て大阪弁の整体師が体重は何キロかと聞いてきた。「80・・・」と語尾が小声になったのはあまりいいたくなかったからだけではなく、いやなことから目をそむけたがる性格から大台を超えてから1年以上測っていなかったからだ。整体師にやんわりと「ベストの体重は?」と聞かれて言わんとしていることが十二分に伝わった。

それにしてもなぜこうまで太ってしまったのか?年齢とともに代謝が落ちているのに食べる量を減らせていないからだろうが、出されたものを残すのははばかられる・・・。などと考えているうちにあることに気づいた。最近はどこで食事をしてもごはんが大盛りで出てくるのだ。明らかに育ち盛りの年齢ではない私に大盛りにするのはそれだけ食べそうに見えるからだろう。肥満体形を売りに食べ歩き番組に出ている芸能人を思い出してにわかに危機感がわいてきた。

このことに気づいてからというもの、外食をするときは注文する段階でご飯を少なめにと頼むようになった。(それでも出てくる量がふつうだったりする・・・。)こうした努力?を積み重ねながら、コーラを頼んだらふつうのコーラを買ってきてもらえるくらいの体形に戻したい・・・。

2011年5月7日土曜日

前任の非

「前任の非は後任の非。」サラリーマン時代の上司がよく口にしていた言葉だ。何たる理にかなわない発言、と思っていたがこれが世の現実のようだ。

以前勤めていた電機メーカーのネットワークがハッキングにあい、個人情報が漏れてしまった。一般の民間企業がこうした不祥事を起こすと経営陣が謝罪したり訴訟を受けたりするだけでなく(特に訴訟大国アメリカではこれが厄介)、顧客離れや買い控えが起きかねず、また不祥事によって生じる経済的損失は会社が被ることになる。しかし地域独占の公益法人の場合、顧客側に買い控えたりほかの業者を利用したりする選択肢はなく、従ってどんな不祥事を起こしても発生した経済的損失は料金への上乗せという形で何ら責任のない顧客が負担させられることになる。

今回の原発事故では自分で扱う実力のないものを扱い、国全体に計り知れない損害を与えた東電も、当初事態を正確に把握せずに楽観的な発言を繰り返し、その後も放射線量等の情報を積極的に開示して来なかった政府も責任重大であり、我々に損失補償の負担がかかる以上はなおさら生半可な報酬カットでは納得がいかない。しかし甘い前提のもとに原発を建てたのは過去の経営陣であり、それを追認し、さらには“原発利権”を生み出したのは前政権なので、より大きな責任を問われるべきは現在矢面に立たされている人たちよりも退職金をガッツリもらってすでに引退してしまっている過去の経営幹部たちといえよう。しかし彼らに責任追及が及ぶ気配はない。

大手企業のサラリーマンは恵まれた稼業とやめてから思うところもなきにしもあらずだが、役職に就く場合には前任の犯した過ちの結果責任もろとも引き受ける覚悟が必要なようで、責任ある立場になるとそれなりのリスクも伴うようだ。前述の上司はまた、部下の一人がチョンボしてチーム全体のアウトプットに影響が出たときも「これがうちの実力」と達観したようなことをいっていた。確かに個々のメンバーの実力がチームの実力に反映されるわけで、それ以上のアウトプットを期待すべきではない。サラリーマンをやめた今でも同じようなことが起きると当時の上司の言葉を思い出し、自らの戒めとしていることに気づく。

人生経験の長い人の言葉は世の中の現実を正確にとらえていることが多い。こうした現実を踏まえれば受け入れるものは受け入れていらぬ波風を立てず、一方で受け入れられないことに対してはあくまでそのスタンスを貫くことができる。しかし自分自身もある程度人生経験を積まないとそうした言葉のありがたみがわからないというのもまた現実のようだ。

2011年5月1日日曜日

ドルトムント


震災後、海外の友人・知人たちからずいぶん心配のメールをもらったが、3年ほど前にインドのタージマハール観光で知り合ったドイツ人からのメールは嬉しい驚きだった。デリーからの飛行機が悪天候で着陸できずに引き返し、空港でさんざん待たされた揚句、ようやく夜中過ぎに車で目的地に運ばれたのは忘れ難い思い出で、このとき同じ車に乗っていたのが彼だった。その翌年、大の相撲ファンである彼が息子と二人で日本に来ることになったが、あいにく私が出張中で会えず、それ以来連絡が途絶えていた。

偶然とは不思議なもので、彼からメールをもらったとき、何年かぶりにドイツに行く予定を立てていて、しかも彼が住むドルトムントに近いデュッセルドルフで週末を過ごすことになりそうだった。そのことを伝えると車で案内するのでどこか行きたいところはあるか聞かれた。ミーハーにも香川真司が活躍するドルトムントの町を見てみたいといったところ、「私はドルトムントで生まれ育った人間なので断言するが、この町に見所は一つもない!」といわれた。何と明快で潔いコメント。大学時代、名古屋出身のクラスメートが同じことをいっていたような…。

というわけでドルトムントはあきらめてベルギーとの国境地帯の町をめぐることになったが、その代わりに?彼が撮った香川の写真を2枚ほど送ってくれ、タージマハールに行ったときにも彼がものすごい勢いで写真を撮っていたことを思い出した。ドイツで会ったときにこのときの写真を保存したディスクをくれたのだが、デリー出発前に撮った空港の写真や振替輸送で手配された車の写真、さらには運転手がお客を待たせて腹ごしらえをしに行った沿道の食堂の写真まで几帳面に撮っていたことに驚いた(さすがドイツ人…)。

ドイツで彼と再会したときには香川はけがで戦線を離脱してしまっていたが、彼はドルトムントが香川なしでも勝てるチームになったといっていた。そして昨日(4月30日)、とうとうドイツ1部リーグで9季ぶりの優勝を決めたことをニュースで知った。何となく我がことのように嬉しくなって彼にお祝いのメッセージを送ったところ、すぐに「これも香川のおかげだ」と返事が返って来た。香川が引き続き当地でがんばってくれれば、いくら見どころがない町でも次回は行く口実になるかもしれない。