2012年1月7日土曜日

香港


12月の後半は欧米のお客さんが冬眠状態に入るので、例年だと休暇をとるのに絶好のタイミングだが、昨年の年末は大みそかまで積み残しの仕事をすることとなった。しかしどこにも行かないのも癪なので、年明けの数日間でも旅行に出ようと思い立った。

旅行先をあれこれと考えているうちに、日本航空のマイルが貯まっていることを思い出し、ハイシーズンなのでダメ元と思いながら調べてみたら、元日以降は結構空きがあった。しかもかなりのマイルが今年の前半に期限切れとなることに気づき、行き帰りとも羽田便に空席があった香港に行くことを即断した。日本航空には経営破たんされて株で損をさせらされたので、この上マイルをエクスパイヤーさせることなど考えられない。

思えば初めて香港を訪れたのは20年余り前だった。当時町中にあり、飛行機が高層の共同住宅の間をかすめるようにして着陸していた啓徳機場を知る人間はもういい歳といえるだろう。その後も中国への返還の前後に留学先のアメリカのビジネススクールのクラスメートたちや会社の同僚と訪れたが、投資銀行時代の2002年にM&Aの仕事で行った後は足が遠のいていた。

今回滞在した尖沙咀(チムサーチョイ)辺りの町並みは昔と変わらず、新興のチェーン店がそこかしこに現れ、一方で以前行った足裏マッサージ屋や粥の店がなくなるなど、店の入れ替えが見られるくらいだった。香港に来るたびに通った老舗の飲茶レストランは同じ場所にそのままあったが、料理を乗せたカートで席をまわる方式から注文形式に変わっていた。

返還前の香港は「深夜特急」にも描かれた猥雑といった感じの独特の雰囲気があったが、その後町がきれいに整備されていくとともに、ちょっと味気のない町になってしまった気がする。ここのところ足が遠ざかってしまっていたのも一つにはまた行ってみたいという気がわかなかったこともある。そんなこともあって今回はせめてショッピングでもしようと私にしては珍しく小型のスーツケースを転がしていったが、結局これといってほしいものが見つからず、半分空のまま帰って来てしまった。

今回行って改めて香港の“中国化”が着実に進んでいるように感じた。返還前に教育を受けた世代は英語が流暢だが、北京語教育が始まった後に教育を受けた若い人たちは外国人相手の接客をする店でも英語がおぼつかなかったりする。かくいう私も今回香港でしたいちばん大きな買い物は北京語の学習教材で、滞在中にスカイプでチャットした(もちろん英語で)北京のビジネスパートナーと近いうちに北京語で会話しようなどと大口を?たたいてしまった。それが実現すれば今回香港に行った甲斐があったといえよう。

(写真は九龍側から望む香港島)