2009年5月9日土曜日

モントリオール

北京に向かおうとしていた矢先、ネットのニュースで中国当局がメキシコから帰国した豚フル患者を隔離したとの報に触れた。当地で会うことになっていた知り合いに聞いたところ、機内でこの患者の近くに座っていた人たちも監視下におかれているとのこと。メキシコを出てすでに5日が経っていて、カナダ経由で入国する予定だったが、慣れない国でのこと、日本への帰国の日程が遅れるリスクはとれないので北京行きを断念し、その分長くカナダに滞在することにした。とはいえハリファックスにこれ以上いてもやることが思いつかない。そこでボストンに留学していたときに訪れたケベック州のモントリオールに再び行ってみることにした。

思えばボストンに留学していたのは17年も前のことで、そのときは車で5時間かけて行った。これほど長い時間ドライブするのは初めてで、なるべく早く着こうとスピードを出しすぎて途中のニューハンプシャー州で白バイに停められたことを鮮明に覚えている。その場で70ドル余りの罰金を払って済ませることができたが、スピード違反で捕まったのは後にも先にもこのときだけだ。

島国育ちには陸路の国境越えは海外を旅行するときにしか味わうことができないことだが、カナダに入ると道路標識がマイルからキロメートに変わり、ケベック州だけあってフランス語の看板を目にして別の国に来たことを実感した。同じカナダでも英語圏の地域を訪れていたらあまり国が変わったという印象は受けなかったかもしれない。

このときはモントリオール市内のB&Bに泊まったが、今となってはどうやってそこを見つけたのか、また、どのあたりにあったのかも思い出せない。今回久しぶりに行ってみて何となく街並みに見覚えがあると感じるくらいだった。唯一思い出せるのは目抜き通りにある皮革製品を売る店で、中東系と思われる店主と価格交渉の末、エメラルドグリーンっぽい色合いの皮ジャンを買ったことくらいだ。ちなみにこの皮ジャンはデザインも洗練されていて、ボロボロになるまで着続けた。

カナダにフランス語圏が存在することを知ったのは高校時代にアメリカに留学していたとき。近くの高校にケベック州から来ていたカールという留学生がいて、彼の英語のたどたどしさに驚いた。聞けば彼の地元では英語を勉強しなくても何の支障もないとのこと。国全体が商品のラベルを二言語表記にするなど、フランス語圏の人々に配慮しているにもかかわらず、フランス語地域では子供に積極的に英語を教えようとしていないのだろうかと思った。そして実際にケベック州に行ってみるとテレビはフランス語のチャンネルばかりで、特に年配の人たちはあまり英語を話さなかった。

今回久しぶりに当地に行って驚いたのは、どのレストランやお店でも若い店員さんは皆流暢に英語を話すことだ。旧世代の人たちは南部のルイジアナ州などを含めて国全体が完全に英語化されてしまったアメリカの二の舞にならないように(今ではアメリカの一部がスペイン語化されているという説もあるが)、子供になるべく英語を話させないようにしていたのかも知れないが、周囲を英語圏に囲まれていては自ずと限界があろう。国内のフランス語地域の中にはすでに子供たちがフランス語と同じように英語を話すようになっているところもあると聞く。

ケベック州の場合、州全体がフランス語圏で人口の母数も多いので、そう簡単に英語化されることはないだろう。看板や標識の表記や地下鉄のアナウンスはいまだにフランス語のみだが、英語しか話せない旅行者が問題なく滞在できるようになったことはありがたい。