2009年4月19日日曜日

大井町の大衆酒場にて


所属しているゴルフクラブのコンペの打ち合わせ。呼び出されたのは大井町駅から線路沿いを歩いた裏路地にある昭和風情漂う居酒屋。庶民的な店は大歓迎だが、以前は銀座のバーでやっていたというからエライ違いだ。

何でも昭和29年創業で、店の中は昭和30年代を描いたドラマに出てきそうなつくりだ。ずいぶんいい歳になった私ですら初めての雰囲気。メニューも昭和そのもので値段も安く、特筆すべきはもつの煮込みだった。“昭和レトロ”の雰囲気に惹かれてか、店内には常連と思しきおじさんサラリーマンたちに交じって若い人たちの姿も多く見かけられた。

大井町はかつて母の実家があったところで、4歳で父の赴任先のアメリカに引っ越すまで、たびたび連れて行かれた記憶がある。長期信用銀行の重役だった父方の祖父の家が杉並の庭付きの広い家だったのに対し、母の実家は庭のない小さな家と町工場が密集する一角にあった。祖母が毎朝作ってくれる納豆と味噌汁の朝ごはんも、年末になると家族総出で行う餅つきも、体が小さかった私が落ちてしまうのではないかと怖くなった汲み取り式の便所も、当時のごく一般的な日本人家庭の光景だったのだろうが、私にとっては大井町の祖父母の家でしか味わえないものだった。

祖父母が引っ越してからは行く機会がなくなったが、大人になって何かの用事で大井町に行ったときにかつて祖父母が住んでいたあたりを歩いてみたことがある。おぼろげな記憶をたどりながら駅からの道を歩いて行くと、貨物線の線路にたどりついた。そして周囲を見回してそこがまだ幼児だった私が祖父に手をひかれて散歩した場所だったことを思い出した。渡り切る前に貨物列車が来てしまったらどうしようなどと心配になった踏切も、大人の目線から見ると2、3歩で渡り切れてしまう。確かに当時と同じ場所に立っているはずなのだが全体が縮小したかのように感じられる不思議な感覚だった。

それはさておき、戦後に闇市が立っていたといわれる一角にあるこの大衆酒場は、我々が行った2日後に閉店して55年の歴史に幕を閉じるということだった。文化財になるような建物でないだろうが、できれば戦後のもののない時代の建築物として残しておいてもらいたいものだ。子供の頃「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句を聞き、私にとっては歴史に感じられる遠い明治の昔に生き、当時を懐かしむ人たちがいるのだなぁと思ったものだが、いつしか我々の世代が昭和を懐かしむ時代になりつつあるようだ。