2009年3月7日土曜日

サンパウロの日本人街


ブラジル最後の目的地はサンパウロ。大都市なだけでたいして見るものはないといわれていたので2泊3日の短い滞在にした。ただサンパウロで一つだけ見ておきたいものがあった。それは日本人移民がつくった日本人街だ。世界に数多ある中華街と違って、海外の大きな都市で日本人街があるのは私が知る限りリトル・トーキョーで知られるロサンゼルスとここサンパウロだけである。サンフランシスコにもジャパン・タウンと呼ばれるところはあるが規模が小さく、日本人コミュニティという感じではない。

ホテルで日本人街の場所を聞き、地図を頼りにダウンタウンを歩いているとポルトガル語で“日本人移民博物館”という意味らしき言葉が書かれた看板が現れ、その方角に進むと赤い提灯の形をした街灯が並ぶ道にたどり着いた。通りを歩いてみると中国料理屋だとか中医学の治療院だのの看板が並び、店で働く東洋系の人たちも中国や東南アジア系と思われる言葉を話していて日本人街というよりは東洋人街のような感じがした。中華街化が進むニューヨークのリトル・イタリーを思い出させる光景だが、日系ブラジル人の人たちがこぞって日本に出稼ぎに行ってしまったからだろうか。目抜き通りらしきところに出るとようやく日本人街らしい店が多くなった。

日本食の食材店をのぞいてみると店頭には銀米だの金米だのといった聞いたことがない銘柄のお米が並んでいたが、一通りのものは置いてあるようだった。日本を遠く離れた地でもその食文化はしっかり受け継がれているようだ。また、ブラジルによくあるバイキング形式の和食店では春巻なんかが置いてあるのはご愛嬌として、酢の物もかき揚げもみそ汁も味付けはきちんとしていた。値段はやはり割高で、普通のバイキング料理に比べて倍といった感じだった。ちなみに普通のバイキング店にも寿司が置いてあることがあるが、こちらはおにぎり状に固めたごはんの塊(酢飯ですらない)に魚の切り身を乗っけただけのもので超マズく、日本の食文化が誤って伝わっていることにがっかりさせられる。

この日は日曜日だったからか街は多くの人でごった返し、メトロの入り口にある小さな広場にはいくつもの屋台が所狭しと並んでいた。中にはエッセンシャルオイルを売る店など日本とは到底関係のなさそうな店もあったが、寿司や天ぷら、焼きそばやどら焼き、今川焼きの店まで出ていた(焼きそばの麺がビーフンだったりするのもご愛嬌)。中には神主の装束をまとった人が客の依頼に応じて漢字を短冊にしたため、お祓い風のジェスチャーをした後に引き渡している出店もあった。どうやらお守りとして売っているようだった。アメリカ同様、当地も漢字がクールと思われているようで、体に漢字の入れ墨をしている人を多く見かける。

滞在期間が短かったこともあり、サンパウロで観光らしい観光をしたのはこの日本人街(というより東洋人街といった方がいいかも知れない)のみであったが、今や完全に現地化してポルトガル語しか話さない日系人の人たちが日本の文化を守っているのを見て何となくうれしい気持ちになった。