2016年2月29日月曜日

検察

東電の元会長らが強制起訴されたが、そもそも検察が不起訴処分にした時点で日本の司法は大丈夫かと疑ってしまう。東電のずさんな原発管理については元GEのエンジニアにも指摘されていたし、何より業界関係者の間では震災前から竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く「米国式設計」をそのまま採用した福島の原発は危ないといわれていたというから(同じ津波の被害に遭った女川等の他の原発では事故は起きなかった)、東電の経営陣がそのことを認識していなかったとは到底考えられない。私の数少ない電力業界関係者の知り合いも異口同音に「あの事故は予見できた」といっている。にもかかわらず、これほど甚大な被害をもたらした大事故の責任者を無罪放免にしようとした検察の罪は重いだろう。かつて厚生労働省の官僚が冤罪事件に巻き込まれたとき、某有名弁護士から検察官は起訴した相手が有罪にならないと出世に響くという話を聞いた。つまり自分の出世のために罪のない人間を犯罪者に仕立て上げることも厭わない輩が検察官をやっているというのだから恐ろしい。検察の行動は東電の旧経営陣を無罪にしたい政財界の有力者が多くいることと無縁とは思えず、自分の選挙区の有権者にあからさまな利益供与を行っていながら不起訴処分になった群馬の元女性閣僚のことを思い出した。日本の司法は大丈夫なのだろうか。