2011年10月1日土曜日

九郎と黒尾


前回の家系図の話でご先祖に歴史上の人物がいればミーハー的な興味がわくと書いたが、実は母方にはいるかもしれない。それもほかならぬ源義経だ。

母の旧姓は黒尾(くろお)というが、竹内や二人の祖母の旧姓である小野や中山と違って全国的に見ても珍しい、というか栃木を起源とするその一族しかいない姓だ。つまり黒尾の名字をもつ人々は嫁に来た女性を除き血縁にあたるはず。

黒尾家はもともと栃木の豪族の家(本家は地元の神社の神主をしていると聞く)だが、同家には源九郎義経の“くろお”に地元の山の名前から“黒尾”の文字をあてたのが名字の由来という話が伝わっている。義経の落とし胤の末裔だからこうした姓を名乗り始めたというが、義経が栃木に胤を落としていった経緯も想像がつかず、ご先祖の作り話ではないかと話半ばで聞いていたのを思い出す。

ところがあるとき偶然テレビで義経について取り上げた番組をやっているのを見て、黒尾家に伝わる話がまんざら作り話でもないことを知った。奥州に逃れる途中、北関東に滞在していた義経のもとに地元の豪族が競って娘を送りこんだというのだ。京都が都だった頃の北関東はそれこそ僻地で、その地の豪族にとって天皇家の血を引く人物の子種をもらうことはこの上ない権威付けになったという。とはいえ黒尾の祖先が本当に子種を授かったことを証明する術はないものと思った。

その後皇位継承の男系論者の話を聞いて、黒尾家が本当に清和源氏を祖とする義経の末裔でその後男子の跡取りが続いてきたとしたら、私の叔父やその息子たち(私の従弟)も男子の皇族と同じY遺伝子をもっている可能性があることに気づいた。そしてそのことが確かめられれば黒尾家に伝わる話が現代の科学によって事実であったと証明される。しかしそのためには皇族の遺伝子を調べなくてはならず、やはりハードルは高そうだ。