2011年9月3日土曜日

唐津


出張ついでに訪れた唐津。福岡からの電車は玄界灘沿いを通るのだが、その景色の美しさにずっと窓外を眺め続けた。海辺を走る路線は少なくないが、トンネルもなく、これほど長い時間にわたって海を眺め続けられるのは珍しいのではないだろうか。

その地名からもかつて大陸との交易で栄えた歴史が感じられる唐津は譜代大名の城下町でもあり、刀町、城内、大名小路といった地名にその名残を残す。九州にはこのように海があって城があって武家屋敷や寺町もある“模範的”な日本の町が多いような気がする。そして関東にはない歴史が感じられる。

当地に住む父の友人が運転する車で市内をめぐると海沿いにあるお城の天守閣が見えて来た。当地の観光パンフレットにも出てくるこの天守閣は再建されたものかと尋ねると、唐津のお城にはもともと天守閣などなく、いわば“でっち上げ”とのこと。全国各地で数多くの城を見て来たが、もともとなかった天守閣をつくり、それを観光資源にしてしまっているところは聞いたことがない。

お城の近くに我が出身大学の付属校があった。拡大志向が顕著で“粗製乱造”に陥らないか心配な同学が建学の父である大隈重信公の出身地である佐賀に付属校を建てたという話は聞いていたが、唐津は佐賀県ではあっても佐賀藩ではない。今は福岡の経済圏に入っているためか、当地の人たちは佐賀への帰属意識は希薄であるように感じられた。

今回は父の友人の計らいで海岸線沿いに建つ老舗ホテルに泊まらせてもらったが、窓から見える玄界灘の美しい海岸線(写真)のすぐ向こう側に今話題の玄海原発があると聞いた。何でも市町村合併で唐津市が拡大する中で原発マネーで潤っていた玄海町だけは加わらなかったため、まわりを唐津市に囲まれる形になっているという。原発を再開したくてしかたなげだった町長の弟は佐賀県の建設業界の重鎮で、原発利権にどっぷり浸かっているという報道は間違っていないそうだ。

虹の松原という地名に違わぬ風光明媚な町。10数時間の滞在だったがそのよさが存分に伝わった。今度いつ訪れる機会があるかわからないが、そのときは柿右衛門薫や呼子の朝市を訪ねてみたい。