2010年9月4日土曜日

ホテルニュージャパン

前回のブログで取り上げた防火・防災研修で1982年に死者33名を出したホテルニュージャパンの火災の裏話を聞き、高校の交換留学でカリフォルニア州のサクラメントに滞在していた当時のことを思い出した。およそ1年の留学期間だったが、この間にアメリカのテレビで目にした日本に関するニュースはこの火災と東京湾で起きた日航機の墜落事故の二つだけだった。

ホテルニュージャパンの火災では消防当局による再三にわたる指導にかかわらずスプリンクラーなどの消防設備を設置しなかった横井英樹社長が後に裁判で有罪判決を受けて服役したが、この火災の記憶も新しい1982年の6月に日本の高校に戻ると何とこの横井氏の秘書をしていたことがある英語の先生にあたった。授業の内容はまったく覚えていないのに、この横井氏に関する逸話は今でも鮮明に覚えている。

この先生は大学の卒業を控えて就職課の掲示板を見に行ったところひときわいい条件を出している会社があったので応募したところ、それが横井氏の会社だったそうだ。氏は当時いわゆる乗っ取り屋として知られていたそうで、社長室で先生を窓際に呼び寄せ、そこから見えるある建物を指さして「今度はあの会社をやるから。」などといっていたそうだ。氏の渋ちんぶりは相当なものだったそうで、長年仕えた社員が定年退職の挨拶に来たところ思いもかけず封筒に入ったぶ厚い札束を手渡されたので喜んだのだが、後で中を開けてみると全部500円札だったという。

私の両親が結婚式をあげた当時のホテルニュージャパンは一流といわれていたそうだが、横井氏が買収した後は宿泊客の安全を顧みないコストの切り詰めを行った結果、あのような大惨事を招いてしまったようだ。防火・防災講習の講師の話では、部屋数を多く取るために安い可燃性の素材でできた壁で仕切り、スプリンクラーなどの消防設備の設置要請に対しては、法改正を過去に建てられた建物に適用するのは憲法違反だなどと主張してそれに従わなかったという。そして消防当局が告発の準備をしていた矢先にくだんの火災が起きたそうだ。

横井氏のような人物はそう多くないかもしれないが、防火関連の決まりが日本ほど厳格に適用されていないと思われる国のホテルに泊まるときは気になる。とはいえ自腹のときはネットの安い料金で宿泊するのが常の私は高層ホテルでも上の方の景色のいい部屋をあてがわれることはあまりないので比較的安全な方かもしれない。