2010年8月15日日曜日

都心回帰

久しぶりに投資銀行時代の同僚と飲んだ席、都心の家賃がだいぶ落ち着いてきていると教えられた。3年前に事務所を神谷町から自宅に近い阿佐ヶ谷に移したときには公私混同ではないかとあらぬ?疑いをかけられたが、港区の家賃が高騰する中、神谷町の事務所の契約の更新が迫っていたという事情があったのは紛れもない事実だ。そして事務所のロケーションを多少なりとも気にする海外のクライアントには阿佐ヶ谷は都庁がある都心から4マイルほど(もちろん直線距離)の場所だと説明して理解を得た。もちろん都庁からどちら方向に4マイルかによって大違いなのだが…。

あれから3年余り。元同僚の話では彼が仕事を手伝っている会社が神谷町の駅近くのそこそこ立派なビルに坪1万円台(2万円未満)で借りられたというから驚いた。それでは3月に転居したばかりの中野の事務所よりもはるかに安く、阿佐ヶ谷で支払っていた坪単価並みということになる。私の通勤には便利とはいえ、中野の事務所は窮屈この上ない狭さで、さらに当地にあるまじき高い家賃を払っていたことを知り、にわかに都心への再移転を考え始めた。

ネットで検索したり、不動産屋から情報を取り寄せていると、いずれの物件も家賃の欄が応相談となっているものばかりで、いかに買い手市場になっているかが伺えた。そしてそうした中、別の知人が神谷町の有名高層ビルから移転した赤坂見附駅前(住所は千代田区永田町)のビルのことが妙に気になった。見附であれば都心のロケーションの中では比較的通勤に便利だし、何よりも駅前というのがいい。しかもうちが必要とする小さめのスペースの物件が出ているではないか。坪単価は2万円台半ばというが、それでもこのロケーションであれば文句はない。

ところが不動産屋に調べてもらったところこの物件はすでに申し込みが入っているとのことで、仕方なくほかの物件を探すことにした。四ツ谷で比較的気に入った物件に申し込みを入れようとしたところ、またも一足先にほかの会社にとられてしまい、いよいよ適当なところで妥協しようかと考え始めていた矢先に不動産屋からくだんの赤坂見附の駅前の物件がまたフリーになったとの連絡があった。何でも先に申し込みをした会社とビルの運営会社との間で条件面で折り合わなかったのだという。やはり応相談だとこういうこともあるのか。すっかり諦めていたところに思わぬ朗報で、当初提示されていた家賃より上がっていたがが、即座に申し込みを入れた。こうして中野に3カ月いただけで3年3か月ぶりに都心への復帰を果たした。

阿佐ヶ谷の事務所にいた頃、地元の名士でもあるビルのオーナーから「竹内君はまだ若いんだから都心でもっとバリバリやった方がいいよ。」といわれたのを思い出す。大病をしたことで残りの人生を心穏やかに過ごしたいとだけ思っていた私は会社を大きくして要らぬ面倒を抱え込む気もなかったので、こうしたアドバイスを受けながらその後中野という何とも中途半端なところに移ってしまったが、いざ都心に戻ると闘志がわくとまではいわないまでも気持ちが引き締まる思いがするから不思議だ。そして何より移転して1週間で多くのランチの誘いを受け、いかに自分が都心で働く人たちから心理的に遠い場所にいたかを認識させられた。

そんな折、今回の急な移転のきっかけとなった元同僚が新しい事務所を訪ねて来た。開口一番「便利だね。」といい、ランチと食後のコーヒーを一緒にした後、別れ際に「前の事務所だとなかなか行く気にならなかったけど、ここなら便利なのでちょくちょく来させてもらうね。」といわれた。こちらが都心に移って来てはじめて知らされた本音で、中野だとか阿佐ヶ谷というのはやはり無理があり、ビジネス上の機会損失もずいぶんあったのだろうかなどと考えさせられた。