2010年5月8日土曜日

タイタニック号


1年ぶりのベルファスト。今回の出張にはベルファスト港周辺地域の視察が組み込まれていた。ここはあのタイタニック号が建造された地で船内の内装工事が行われたドライドックは自由に見ることができるが、今回はふだんは見られない船体工事が行われたドックと工事を請け負ったハーランド&ウルフ社の旧本社屋の中まで見せてもらった。煉瓦造りの旧本社の建物は使われなくなってからの長い年月を物語るように壁の塗装ははがれ、天井近くの柱の間から木が生えていたりと荒れ放題で、我々一行が案内人の説明を聞いていると誰もいないはずの扉の方からノックの音が聞こえてきた。夜一人では絶対に来たくない…。

上の階へと続く木の手すりのついた階段はタイタニック号の船内に設置されたものと同じだそうで、建造に関わる様々な重要事項が話し合われた役員会議室も当時のまま残っている。タイタニック号の惨劇の原因ともなった救命ボートの数もそこで決められたそうで、当時の法律では乗客の数ではなく、船の重量に応じて最低数が規定されていたために本来64は必要だったのが20に抑えられたというから驚く。ボートの数を法律上の最低必要数に抑えたのはタイタニック号を“沈まぬ船”と呼んだ自信もあったのかもしれない。もちろん事故の後、この法律は変えられたそうだ。

はじめてベルファストを訪れた2年余り前、ハイヤーの運転手さんが「タイタニック号はここ(ベルファスト)を出たときには何の欠陥もなかった。」といっていたが、今回の視察に同行した案内人によると、当時ベルファストの人々は当地で建造された世界最大級の客船を大いに誇りに思い、前述の通り“沈まぬ船”と呼んでいたので、その沈没の報に大きな衝撃を受け、しばらくはタイタニック号の名を口にすることもなくなったのだそうだ。そしていつしか自分たちをなぐさめるかのようにハイヤーの運転手さんがいっていたことばを口にするようになったのだそうだ。事故から一世紀経ってもなお、それが受け継がれているのが興味深い。

今回の視察はただの物見遊山ではなく、タイタニック号の建造地やベルファストの港の周辺にある開発用の土地を見て回るのが目的だった。建造地の周辺にはすでに研究所やシティグループの大規模なバックオフィス拠点などが進出し、コンドミニアムの建設が進められているが(今回視察したH&W社の旧社屋は高級ホテルに生まれ変わるとのこと)、造船産業の衰退で余った土地を海上風力発電関連事業の集積地に生まれ変わらせようというのだ。ベルファストはイギリスに3つしかない水深の深い港で、周辺に開発可能な土地が残されているのはここだけだそうだ。何年後かに生まれ変わった姿を見に来たいと思った。