2010年2月28日日曜日

大津波警報

日曜日に公共放送が長時間にわたって伝えた津波情報。こんな大々的な報道ぶりは私の記憶にはない。私はどんな大きな津波もとうてい届かない武蔵野の一歩手前に住んでいるが、かつて旅行した全国各地の海岸沿いの道や鉄道が不通となり、湘南の住宅街を走るあの江ノ電も止まっていると聞いて驚いた。

まさに1960年のチリ津波の再来だが、海外を旅するようになって半世紀前のこの津波が太平洋全域に大きな被害をもたらしていたことを知った。1992年の夏にキラウエア火山の観光拠点であるハワイ島東岸のヒロの町を訪れたときには1960年の津波で建物という建物がすべて流されて、町全体がまさに廃墟と化したことを知った。そして一夜にして家も持ち物も全部流されてしまうようだと、こうした一見のどかな海辺の町で暮らすのも考えものかも知れないと思った。また、一昨年訪れたイースター島では1960年の津波でモアイ像が押し流され、その後日本の企業がその修復に一役買ったことを知った。果たして今回の津波では大丈夫だったのだろうか…。当時はチリが地震国であることも忘れ、のんきに旅行していたが、このとき利用した首都サンチアゴの空港は今回の地震で天井が崩落し、ターミナルビルを結ぶ歩道橋の一部が落ちるなど大きな被害が出たという。

思えば私が訪れた場所はその後災難に見舞われることが多い。サラリーマン時代に会社の同僚とダイビングをしに行った東マレーシアのシパダン島では、我々が帰国した2週間後にフィリピンのイスラム武装ゲリラが上陸して観光客を拉致していった。同じくダイビングをしに行ったタイのピピ島はその後インド洋大津波で甚大な被害を受けた。実際に沖合でダイビングをした身としてはそんなときに突然津波が襲ってくるなど想像もできない。昨年訪れたペルーのマチュピチュの遺跡は増水した川に鉄道が押し流されて孤立した。私が行ったときも同じ雨季で、列車の車窓から見える川の激流が印象に残ったが、思えば護岸工事もしていない川のすぐわきを鉄道が通っていたので、浸食が進んでこのような事態に至るのも時間の問題だったのかもしれない。

延々と続く津波報道を見ながら通信技術の発達はありがたいものだと思った。海岸近くに住む人たちは自分で地震を感じることができればすぐに津波の危険を察知して避難することもできるが、太平洋の反対側で起きた地震のことなど報道で知るしかすべはない。1960年の津波では波が太平洋を渡ってくるなどとも思わず、まさに不意をうたれたのではないかと思うが、今や十分に準備ができる時間的な余裕がある分、近くで起きた地震による津波よりもむしろ遠くで起きた地震による津波の方が安心かもしれない。