2013年5月11日土曜日

ロンドンデリー

商用で訪れた北アイルランドのロンドンデリー。「ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)」で知られるこの町を訪れるのは三度目だったが、今回はホストの計らいでガイド付きのツアーに参加したことで、ようやくこの町の複雑な歴史について理解することができた。17世紀前半にフランスなどの外敵の侵略から町を守るために、イングランド王の命でロンドンの商工業者が資金を出して城壁が築かれ、第二次大戦中にはドイツ軍のUボートがやって来たというから、今はのどかなアイルランド北部のこの町が地理的に重要な場所であったことがわかる。紛争時代の1970年代から80年代にかけては町のそこかしこで爆弾が爆発し、城壁の中で被害を受けなかった建物がほとんどなかったというからすさまじい。城壁の砲台では、貴重な戦力である成人男子を暴発事故で失わないために、危険な点火役を子どもにやらせていたという話を聞き、小学生の頃ドキュメンタリー映画で見た1972年の血の日曜日事件が起きた現場では、現キャメロン政権になってようやくカトリック系の若者たちを銃殺したイギリス軍の非を認めたということを知った。ところでロンドンデリーの本来の名前はデリーで(綴りが違うが日本語ではインドのデリーと同じに聞こえてしまうため、私はあえてロンドンデリーといっている)、もともと当地に住んでいたカトリック系の人たちの中にはロンドンデリーと呼ぶことを嫌う人が多い。しかし自らもカトリック教徒のツアーガイドはロンドンとの歴史的なつながりのおかげでイングランドから大勢の観光客が訪れ、アイルランド人の懐を潤してくれるのは喜ぶべきことと冗談めかしていって笑いを誘った。ちなみにこのガイドはTripadvisorでトップの評価を受けている予約待ちの人だそうだが、間際に電話で予約を申し込んできた女性がスーザン・ボイルと知って特別に時間をやりくりしたという。そんなガイドの案内を受けられたのは実に幸運だった。