2011年12月10日土曜日

大阪秋の陣

大阪のダブル選挙。東京に住む私にはあまり関係のない話だが、思想も政策もまったく相容れない既成政党が特定の候補者の当選を阻止するためにこぞって同じ対立候補の応援に回ったり、ネットや週刊誌で特定の候補者の人格を否定するようなことが書かれているのを目にして何ともいえない異常さを感じた。それほどその候補者に当選されては困る人たちがいたものと想像するが、その候補者が圧勝したところを見ると、こうしたメディアはさして信用されていないようにも思える。

当選した新市長が前職で“独裁的”だったという批判が多く聞かれたが、クーデターでその地位についたわけでもなし、何たる的外れな批判だろうと思うと同時に、こうした批判をもっともらしく展開する類いの人たちこそが重要な意思決定を遅らせて国の停滞を招いてきたのではないかとさえ思った。知事であれ市長であれ、行政首長には大きな権限が与えられているわけで、その権限の枠内で選挙で約束した政策を強力に実行していくことは何ら問題ではないはず。推進しようとしている政策が間違っていると思うのであればそれを批判するべきだろう。

親戚が大阪市役所に勤めている知人から前の市長が就任して間もなく「抱き込みに成功した」という話を聞いていたが、現職では何も変わらないということが市民にも感じられたのではないだろうか。新市長が良いか悪いかは別として、少なくとも変化はもたらすだろうし、それに期待するしかないほどの閉塞感を感じていた人が多かったものと想像する。歴代の市長を“抱き込み”続けてきた大阪市の職員がどこまでだらけていたのか今後つまびらかになっていくのだろうか。

最近友人と日本人の安定志向がもたらす経済的損失について語る機会があった。優秀な技術者が安定を求めて一部の大手企業に集まっても全員が十分にその能力を発揮する場が与えられるとは思えず、国全体として相当な人的リソースが無駄になっているのではないかと思うが、仕事量に比して頭数が多い役所の公務員が競争や効率の追求とは無縁の世界でろくに働きもしないのも大きな経済的損失。安定を望む国民性だからこそ、公務員になれば一生安泰というようなことはやめるべきだろう。