2011年7月23日土曜日

再転職

日本中が女子サッカーのワールドカップで沸いているさなかに届いた電機メーカー時代の友人からのメール。転職先のメーカーの駐在員として北京に赴任していたのだが、再び転職するために帰国するという。彼が初めての転職をしたのは40歳近くなってからだったと記憶しているが、その転職先の会社も2、3年で辞め、今の会社に入ってからもまだ2、3年しかたっていないはず。転職は癖になるといっていた投資銀行時代の同僚のことばを思い出す。

この友人とは同じ年にソニーに入社したときからの付き合いだが、配属先は私が本社の経営企画、彼は海外営業とまったく別の道を歩むこととなった。その後も付き合いは続いたが、一緒に仕事をした間柄でもなかったので彼の結婚式で挨拶を頼まれたときにはちょっと驚いた。しかしその後会社の別の友人からも結婚式の挨拶を頼まれ、私が彼らにとって悪い話を知らない程度の距離感がある“安全牌”であることに気づいた。

それはさておき、彼はソニー時代、今や新興国としてもてはやされているインドを担当し、その後会社の派遣で北京大学に1年間語学留学した。帰国後に彼が中国人と話しているのを聞いてその流暢さに驚いたが、その後転職した2社でも中国駐在となり、今度の転職先でも中国を担当するというから、メーカーでの経験に加えて語学力が買われたことは間違いないだろう。英語ができる人材なら掃いて捨てるほどいるが、北京語はまだ市場価値が高いようだ。

それにしても40半ばを過ぎてなお転職先があるというのは大したもの。運もあろうがメーカー一筋でありながら都区内に家を買い、中国で株に投資して大きな含み益をもつ彼の人生設計には感心する。北京ではゴルフ三昧だったらしく、今からしきりに誘われているが、羽振りもよくなったようなので何でも一円単位まで割り勘する癖が直っていることを願いたい。