2011年5月7日土曜日

前任の非

「前任の非は後任の非。」サラリーマン時代の上司がよく口にしていた言葉だ。何たる理にかなわない発言、と思っていたがこれが世の現実のようだ。

以前勤めていた電機メーカーのネットワークがハッキングにあい、個人情報が漏れてしまった。一般の民間企業がこうした不祥事を起こすと経営陣が謝罪したり訴訟を受けたりするだけでなく(特に訴訟大国アメリカではこれが厄介)、顧客離れや買い控えが起きかねず、また不祥事によって生じる経済的損失は会社が被ることになる。しかし地域独占の公益法人の場合、顧客側に買い控えたりほかの業者を利用したりする選択肢はなく、従ってどんな不祥事を起こしても発生した経済的損失は料金への上乗せという形で何ら責任のない顧客が負担させられることになる。

今回の原発事故では自分で扱う実力のないものを扱い、国全体に計り知れない損害を与えた東電も、当初事態を正確に把握せずに楽観的な発言を繰り返し、その後も放射線量等の情報を積極的に開示して来なかった政府も責任重大であり、我々に損失補償の負担がかかる以上はなおさら生半可な報酬カットでは納得がいかない。しかし甘い前提のもとに原発を建てたのは過去の経営陣であり、それを追認し、さらには“原発利権”を生み出したのは前政権なので、より大きな責任を問われるべきは現在矢面に立たされている人たちよりも退職金をガッツリもらってすでに引退してしまっている過去の経営幹部たちといえよう。しかし彼らに責任追及が及ぶ気配はない。

大手企業のサラリーマンは恵まれた稼業とやめてから思うところもなきにしもあらずだが、役職に就く場合には前任の犯した過ちの結果責任もろとも引き受ける覚悟が必要なようで、責任ある立場になるとそれなりのリスクも伴うようだ。前述の上司はまた、部下の一人がチョンボしてチーム全体のアウトプットに影響が出たときも「これがうちの実力」と達観したようなことをいっていた。確かに個々のメンバーの実力がチームの実力に反映されるわけで、それ以上のアウトプットを期待すべきではない。サラリーマンをやめた今でも同じようなことが起きると当時の上司の言葉を思い出し、自らの戒めとしていることに気づく。

人生経験の長い人の言葉は世の中の現実を正確にとらえていることが多い。こうした現実を踏まえれば受け入れるものは受け入れていらぬ波風を立てず、一方で受け入れられないことに対してはあくまでそのスタンスを貫くことができる。しかし自分自身もある程度人生経験を積まないとそうした言葉のありがたみがわからないというのもまた現実のようだ。