2010年4月3日土曜日

ホノルルの空港にて

夜のフライトで到着したホノルルの空港。ダウンタウンのホテルまで路線バスで行こうとターミナルビルの前にあるバス停に向かった。同僚につまらないところでケチだといわれたことがあるが、大きな荷物をもっているわけでもなければ初めて来る土地でもないので窮屈であまりきれいでもないタクシーに乗るよりは路線バスで済ませて浮いたお金でおいしいものでも食べたほうがいいという発想はそれほど間違っていないと思う。

バス停に着くと料金が2ドル25セントになっていて(6年前に来たときは2ドル以下だった記憶がある)、クォーター(25セント硬貨)を一つも持ち合わせていないことに気づいた。2ドル50セントであれば3ドル払っても仕方なく思えるが、2ドル25セントなのに3ドルを払うのは何とももったいない気がする。タクシーに乗ることを思えばたいした金額ではないので、このあたりはつまらないところでケチといわれても仕方ないか。

夜遅かったためかなかなかバスが来ず、やはりタクシーにしようかと思いかけたとき、ラフな(というかやや粗末な感じの)身なりをした40歳前後と思しき黒人の人が荷物も持たずに歩いて来た。ほかに話し相手もいないのでどこに行くのかと尋ねるとダウンタウンに行く途中のマクドナルドだという。そこが食べるのにいちばん安くていいのだそうだ。クォーターを持ち合わせていないことを思い出し、1ドルを両替できないかと尋ねると無造作にポケットに手をつっこんで入っていたクォーター1枚、ダイム(10セント硬貨)1枚とペニー(1セント硬貨)1枚を私に差し出した。いやいや両替してもらえないかという意味で、ただで受け取るわけにはいかないといっても取っておけの一点張り。あなたもバスに乗るのに必要だろうというと、彼は兵役で負傷して後遺症があるので1ドルの割引料金で乗れるのだという。そういえばバス停に歩いてくるときに片足をひきずっていたような…。タクシーに乗るお金がないわけでもない私が食費を切り詰めるためにマクドナルドに向かおうとする人からクォーターをもらうなど、何てことをしてしまったのだろう。バス代も倹約しようというのか、彼はしばらくしてやっぱり歩いていくといってバス停を去って行った。

自分が金に困っていたら果たしてなけなしの金を惜しげもなく見ず知らずの人にあげることができるだろうか…。お金がない人ほど心がきれい、などと一概にはいえないかもしれないが、私が見る限り金をもっている人間の方が渋ちんで意地汚い人が多いようには思える。日本の一般のサラリーマンとはけた違いの報酬をもらっていた投資銀行時代の上司に食事をおごってもらったことは一度もない。奥さん名義で会社を経営し、横浜の豪邸に住んでいた電機メーカー時代のある上司は一緒に飲みに行くと恩着せがましく「多めに出してやる」といいながら、私が出した金額を含めて店から領収書をもらい、その会社の経費にあてていた。彼が余計に出した額はわずかで、明らかに節税額の方が大きかった。

ビジネススクール時代のクラスメートの中にも財を成した人が少なからずいるが、在学中と変わらない人もいれば悲しいかな人間が変わってしまったような人もいる。自分より稼ぎの低いクラスメートを上から目線で見るようになる者もいれば、投資銀行で何百万ドルも稼いでいても誰それに比べればまだまだなどという者もいる。しかしこうした人々は常に不平不満ばかりいっていてあまり幸せそうには見えない。彼らは物質的には恵まれた人生をまっとうするのだろうが、やがて経済的な成功をもって人にリスペクトされるわけではないことに気づき、晩年には長年かけて貯め込んだものもあの世にはもって行かれないことに気づくのではないかと思う。