2010年4月11日日曜日

コラージュ


電機メーカー時代の同僚が渋谷の文化村ギャラリーで作品を展示するというので行ってみた。退社の挨拶には美術関係の仕事をすると書いてあったが、よもやコラージュ作家になっているとは思わなかった。他社に転職した人は少なからずいるが、芸術家になったのは彼女だけだ。

東急本店で好物の福砂屋のカステラを買ってから会場に行くと、同時期を同じ部署で過ごし、やはりその後転職をした別の同僚が来ていた。聞けば転職先の会社も辞め、今はフリーで社員研修の講師なぞをしているという。差し出された名刺がその3日前にたまたま会ったイギリス系のコンサルティング会社のもので、世の中の狭さに驚かされた。

“自由”の身となった者どうしでサラリーマンの楽さと自営の気楽さについて語ったが、3人とも大きな組織で人をマネージすることに向いていないと感じていたことがわかった。年功序列の日本の大企業では早晩部下を束ねなければならない立場になるわけで、そのような意味で我々は適性がなかったのかも知れない。

さて肝心の作品の方だが、トーマス・マクナイト的なものが好きな私にはコラージュのような抽象系のものは少々難解に感じられたが、作品のタイトルと照らし合わせて鑑賞すると作者の妄想が垣間見れるようで面白い。コラージュの技法は会社を辞める前から習っていたというが、やはりそれなりの感性というか“妄想力”があり、且つそれを再現する能力がないとできないものと感じた。

もう一人の元同僚は即決で気に入った作品を買うことにしたが、私はこれはというものがなかったので、もっと多くの作品を展示することがあれば案内してほしいと伝えた。会社の経費で買って事務所に飾ったらどうかと勧められたが、サービスオフィスに移った今はそれを飾る雰囲気でもなければお客の目に触れることもない。かといって将来彼女が有名になったときの値上がり益に期待するというのも何ともイヤラしい。