2011年2月5日土曜日

エジプト騒乱

3月に久しぶりのエジプト行きを計画していた矢先の騒乱。同国が実質的には独裁制で選挙の不正や汚職が横行していることは認識していたが、近隣のチュニジアの政変でいっきょに火がつくほど人々の不満が鬱積していたとは…。

旧東ドイツを崩壊させたのは西側から入って来る衛星放送だったといわれているが、カイロの家庭ではなぜか欧米や中東の衛星放送がただで見られ、独裁政権が情報を操作するのが難しい。加えてインターネットや携帯端末を使った通信の普及で情報の広がりもそのスピードも飛躍的に高まったと見える。

テレビでは連日、何度となく足を運んだカイロ中心部のタハリール広場の光景が映し出され、心配になってエジプトの知人の携帯に電話をかけたところ背後が妙に騒がしい。聞けば何と還暦を過ぎた氏がデモに参加していたのだ。ムバラク嫌いであることは知っていたが、抗議活動は若い者に任せればいいのに…。

日本の報道では政権の腐敗が国民の不満の原因とされているが、実際にエジプトの人々と接した感じからすると、そのこともさることながら、同じアラブ人であるパレスチナ人を迫害するイスラエルとそれに加担するアメリカ、さらにそのアメリカから支援を得ている現政権への怒りが根底にあるように感じる。シナイ半島の港にはヨルダン行きのフェリーに乗る貨物トラックが長い行列をなしている。陸路でイスラエルを通るのを避けるためにそこまでやるところにエジプトの人々の本音がうかがえる。

かつては自らのいいなりになりさえすればもっとも腐敗し、国民に嫌われている政権でさえも支援していたアメリカも、キューバやベトナムでドツボにはまった教訓からか、今回は早々にムバラク切り捨てを決断したのが興味深い。エジプトが本当の意味で民主化され、政権が民意を反映するものになると札束でほっぺたをひっぱたくことも容易ではなくなり、これまでのアメリカのやり方は通用しづらくなるが、政権移譲が不可避となれば、来るべき新政権との関係を考えて行動するのはきわめて妥当に思われる。

3月のエジプト訪問は実現しそうもないが、同国の民主化が平和裏に達成され、アラブ世界全体にプラスの効果をもたらすことを願いたい。